義妹のお見舞いへ都内の病院に行きました | 乳がんサバイバー5年め年金生活突入です

乳がんサバイバー5年め年金生活突入です

今思えばコロリン達夫婦は小学校の教科書に載っていた「蟻とキリギリス」のキリギリス生活を送っていたのだと年金生活になってやっと気がつきました
トントンの生活習慣病は自覚無しの危機的状況、コロリンは乳がんサバイバー5年目
現在節約生活頑張ってます

こんにちはヾ(@°▽°@)ノ

訪問ありがとうございます


昨年トントンのお母さんが88歳で脳梗塞で倒れ
後遺症から左半身付随で車椅子を使い不自由な
生活をしています
介護は結婚せず自宅に残り生活する弟と妹が
二人で協力してこなしています

かつては訪問しても部屋に閉じ籠り殆ど挨拶を
交わすことのなかった2人が今は家を切り盛りし
介護をこなし頼られる事で自信が湧き上がり
堂々と周囲の人達と接しています

先日突然義妹が甲状腺の腫瘍摘出手術をすると
連絡がありました
手術後の入院期間は一週間です
コロリンの乳がんの術後よりも長いです
介護疲れでは無いかと心配になりました

心配するコロリン達に妹は言います
「大丈夫お母さんの介護が落ち着いたから
切ることにしただけ( ´ ▽ ` )ノ心配いらないのよ」と
母の面倒は弟が一週間仕事を休み面倒を見ると…

手術3日後お見舞いに行きました

その日の高速道を都心に向かう車の窓からは
青い空が広がり一見穏やかな天気でした…が
白黒混じりの不気味な雲が仲間を集めてゆっくり
成長していました

しばらく走ると

義弟から電話が入ります
「今病院にお見舞いに来てるんだよ
お袋が兄貴に会いたがってるから
出来るだけ早く来てくれる?」と

その日行くとだけ伝えてあった予定ですが
きっとトントンに会いたくて義母は弟に頼んで
病院に連れて来てもらったのでしょう

それを聞き急ぎ走ろうとすると
突然空が唸り出し雨が狂った様に降り出し
水の流れが窓を走り洗車機の中の様に車を包み
道の先は車が滞り出しました
慌てて近くのインターチェンジで高速道路を離れ
一般道を走行する事にしました


一般道をナビに逆らい空いてる道を選び進むも
暗くなった街角のビル間めがけて天上から稲妻
道路はどこも水で溢れ車は思うに進めません
近くまで来ていたわりには病院に着いたのは
電話を貰ってかなり経っていました


地下駐車場に逃げ込み車を止め

エレベーターで五階へ登ると
エレベーターの前では弟が待っていました

弟に導かれ大きな窓のラウンジに行くと
隅の席には車椅子に座る以前より少し太った母と
点滴を抱えコーヒーを飲む妹が衣服を整えて
座って待っていました

手術後間も無いのに着替えし元気そうに振る舞うも
持病の腎臓のせいか顔色が土気色不安が募ります

妹は尋ねる前に「軽い手術だから問題無い」と言い
弟も母に気遣いし「介護は大丈夫だよ」と話します

母はデーケアセンターで塗って貰ったマニュキュアを
自慢げに見せて楽しげに様子を話します
皆で明るい話題を探し気持ちが落ち込むのを避け
何度も大きな声で笑います
笑いが波の様に押し寄せ砕けサァ~と遠ざかります

妹の手術後の身体に負担をかけない様に適当に切り上げ
帰りました

帰りに駐車場に止まる車椅子用のレンタカーを
見せてもらいました
助手席の座席が自動で動いて車外の車椅子の隣に
器用におりてきて定まると
母は弟に抱えられ車椅子からシートに乗り移りました
その機器の技術の素晴らしさと弟の手際に驚きました

車が走り出すと弟が助手席側の窓を開けて
そこから義母がクシャクシャの涙顏で覗き
いつまでも手を振ってトントンとの別れを
惜しんでいました


ふと心配になりトントンに
「本当に大丈夫なのかな?
介護を押し付けたままでいいのかなぁ?」
と聞くとトントンは
「あんなに大丈夫と言ってるんだから勘繰らないで

今は2人を信じてそのままを見てあげよう」
と答えました

こちらが「大丈夫?」の言葉を重ねれば
それを証明しようと無理をする二人
親に甘え育った負い目を今は必死に払拭して
輝いている姿のそのままを尊重しましょう

我らは感謝の言葉と気持ちを重ねるしかありません

地下駐車場から抜け出るとさっきまでの雨は止み
何事も無かった様に穏やかな空気がただよい
道を明るく照らしていました

トントンのお母さんのその後…

は今回はここまで