東京都世田谷区民は「なりすまし共産主義者」を支持しましたー自衛隊にスルーされた世田谷区 | 日本人の進路

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左翼全体主義(共産主義)国家化が進む日本。マスコミはどこを向いても左翼ばかり。これでは日本国民が洗脳されてしまうのはくやしいけどどうしようもない。ただあきらめてしまったら日本の明日はない。日本の中、露、朝への属国化が現実のものとなってくる。

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東京都世田谷区民は「なりすまし共産主義者」を支持しましたー自衛隊にスルーされた世田谷区
















東京都世田谷区民はなぜか「日本を解体し滅亡させることが目的」の共産主義者を支持し区長に当選させました。
日本を滅亡させるサヨクの何(どのような政策)を支持したのでしょうか。
 













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パチンコ屋の倒産を応援するブログより

http://ttensan.exblog.jp/





2012年 07月 20日

自衛隊にスルーされた世田谷区








【首都直下地震想定し統合防災訓練 自衛隊】

マグニチュード(M)8クラスの首都直下地震に見舞われたことを想定した自衛隊の統合防災演習が16日、5日間の予定で始まった。陸上自衛隊練馬駐屯地では、徒歩で東京23区内の区役所に隊員を派遣する訓練が行われた。

 隊員らは午後7時、2人1組で各区役所に連絡員として被害状況、災害派遣要請の有無などを把握するため、出発した。

 正門前には迷彩服姿で都内を歩くことに反対するため、拡声器を持った労組関係者ら数十人が「自衛隊の災害派遣は戦争への道」などとシュプレヒコールを繰り返した。一方で訓練を支持する市民も10人ほど集まり、「自衛隊頑張れ」と声をかけた。一時は双方が怒鳴り合うなど騒然とした。

 訓練の主体となった陸自第1師団によると、23区のうち、危機管理監などが対応し、訓練に協力したのは7区役所。残りは「休みで人がいない」と述べるなどして対応しなかった。自衛隊員の立ち入りを拒む区役所もあったという

(2012/7/16 産経新聞)



訓練に協力した区や拒否した区役所とかどこなんだろうと、
こういうのを調べるときは
一貫して中国共産党の意向を汲んだかのように動いてきた共産党です。
共産党目黒区議会議員の
森美彦区議のサイトより。
 



・受け入れした区
台東区、墨田区、大田区、荒川区、練馬区、板橋区、足立区、葛飾区



・宿泊だけを拒否
文京区、品川区、豊島区



・完全拒否
北区、目黒区
 



・むしろ自衛隊の方から「区役所での宿泊をしません」と言われた区
世田谷区



世田谷区は特亜を宗主国とする反日政党の元エースが区長ですからね。
むしろ自衛隊からお断りされるあたりに
自衛隊の警戒感がうかがわれます。
 



ついでなので共産党の話題にいきます。
【共産党が創立90周年…党員減少歯止めかからず】
 創立90周年を迎えた共産党は18日、都内で記念講演会を開き、次期衆院選での党勢拡大に向けて活動を強化する方針を確認した。

 「現実・柔軟路線」で幅広い支持獲得を狙っているが、党員の減少傾向には歯止めがかからない。地域政党「大阪維新の会」など「第3極」にも押され気味だ。

 志位委員長は党員・支持者約1800人が集まった記念講演会で、「消費税に頼らない別の道がある」「(米海兵隊の垂直離着陸機MV22)オスプレイの配備は中止せよ」などと気勢を上げた。

 共産党は、消費増税や原子力発電所の再稼働など野田政権が進める政策について、「党の反転攻勢につながる」(志位氏)と期待を寄せている。党幹部は積極的に脱原発のデモや集会に参加し、支持を呼び掛けてきた。
(2012/7/18 読売新聞)


共産党が蟹工船ブームなどと言って毎月1000人ずつ党員が増えている
などと言っていた時期もありました。
ですが、平成2年の49万人をピークに
2006年 40万4300人
2010年 40万6000人
2012年 31万8000人

2年で急に減ったように見えますが、
単に「蟹工船ブーム」などと言って党費すら払っていない
幽霊党員をそのまま温存して党員数を水増ししてきていたのですが、
その幽霊党員9万人を整理したらこうなりました。
というものです。


深刻なのは赤旗でピーク時に355万部あった発行部数が
今や130万程度まで減りました。

志位和夫体制になってから急速に衰えている形ですが
ブログ主としては
2004年に綱領を改正したことが大きいと思います。

驚かれる人もいるかもしれませんが、
日本共産党は独自憲法制定を掲げていました。
が、2004年に護憲派に転向しました。
ところがこれも32年テーゼを引きずっていたりと
はっきりしないような状態になりました。


野党として舌鋒鋭く追求する時はやるのですが、
自分たちのこととなるとしどろもどろ。
これで古参の党員の一部は冷め始めたのだと思います。

ある意味で旧社会党化してきたのでしょうね。
(それでも勉強するだけ旧社会党=現民主党とは違いますが)

自分たちの商品価値である「一貫性」を
自ら世論に迎合しようとして毀損した事に気付いていない
ブログ主はそう考えています。






(以上 パチンコ屋の倒産を応援するブログより)








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(2012-07-20日掲載)



東京都世田谷区民は「なりすまし共産主義者」を支持しました


http://ameblo.jp/kororin5556/entry-10871983335.html





統一地方選
東京都世田谷区長選において
東京都世田谷区民はなりすまし共産主義者
保坂展人氏を当選させました。

東京都民は一体なにを考えているのでしょうか。
共産主義国家、全体主義国家に日本がなればよいと
かんがえているのでしょうか。
共産主義を標榜したら、行き着く先は、
中国共産党にのみ込まれ、全体主義国家中国の
属国になってしまうということを、
考えないのでしょうか。




東京都民の考えはわかりません。
自民の分裂アホ戦略のせいもあるが、
なりすまし共産主義者に
とにかくこれだけの大量票を与えたことに
驚くばかりです。
 











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保坂展人氏とはどのような人物か


$日本人の進路-保坂展人01








元社民党国会議員
共産主義者
朝鮮系疑惑議員

超売国議員  なりすまし疑惑議員
       北朝鮮党社民党  土井たか子(李高順)、福島瑞穂(趙春花)らと同列




売国奴順位




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売国議員ランキング と売国度
ランキング評価点


 選挙前・com 評価点によるものとする。

 全ての政治活動は、国益重視(+1)、中立(±0)、国益軽視(-1)

 の三段階で評価し、その合計点により政治姿勢を判断します。

 出自 下記議員はいずれも 韓国朝鮮系疑惑議員です。
    各議員に三代の出自の公開をお願いしましょう。




 

1ー30位まで
ランキング 国会議員名  所属  評価点       
 NO.

第1位  01福島瑞穂   社民   -30  

第2位  02千葉景子  (民主)  -30   

第3位  03小沢一郎   民主   -25  

第4位  04鳩山由紀夫  民主   -23   

第5位  05岡崎トミ子  民主   -18  

第6位  06近藤昭一   民主   -17  

第7位  07赤松宏隆   民主   -16  

第8位  08仙谷由人   民主   -15  

第9位  09細川律夫   民主   -15  

第10位 10神本美恵子  民主   -15  




第11位 11松岡徹    民主   -15  

第12位 12岩国哲人   民主   -14  

第13位 13山下八洲夫  民主   -14  
第14位 14保坂展人   社民   -14  

第15位 15辻本清美   (社民)  -14  

第16位 16金田誠一   民主   -13  

第17位 17土肥隆一   民主   -12  

第18位 18鉢呂吉雄   民主   -12  

第19位 19平岡秀夫   民主   -12  

第20位 20日森文尋   社民   -12  



第21位 21円より子   民主   -12  

第22位 22川上義博   民主   -11  

第23位 23今野 東   民主   -11  

第24位 24松野信夫   民主   -11  

第25位 25小宮山洋子  民主   -11  

第26位 26中川正春   民主   -11  

第27位 27小林千代美  民主   -11  

第28位 28山崎 拓   自民   -10  

第29位 29管直人    民主   -10  

第30位 30川端達夫   民主   -10  






ーーーーー



保坂展人の政策


クラスター爆弾禁止推進派
日朝友好議員連盟
百万人署名運動
恒久平和議連
民団の外国人参政権推進集会に賛同
衆議院法務委員
国立国会図書館法の一部を改正する法律案(提出者)
国旗及び国歌に関する法律に反対した議員
人権擁護法案反対派
朝日新聞の外国人参政権に関する質問に「賛成」と回答
外国人住民基本法
児童ポルノ規制慎重派(請願紹介)
集団的自衛権の行使を禁じた政府の憲法解釈について「見直す必要はない」と回答
読売新聞の外国人参政権に関する質問に「賛成」と回答
選択的夫婦別姓について「賛成」と回答
日本版US-Visit法反対に関する院内集会(代理出席)
防衛庁設置法等の一部を改正する法律案(防衛省への格上げ案)へ反対・棄権した議員
永住外国人への地方選挙権付与に対し「賛成」と回答



外国人参政権について「納税義務と参政権はセットだと考える。『地方参政権』は幅広く認められてよいのではないか」と回答(名も無き市民の会)



-14



+++++++++++



経歴

東京都千代田区立麹町中学校在学中に学園闘争の影響を受け「麹町中共闘」を結成。機関誌「砦」を発行し、ビラを配ったり大学生の「共産主義者同盟マルクス・レーニン主義派」の集会に参加するなど積極的な運動を行っていた。

内申書に中学校での学生運動経歴を書かれ高校受験の面接では質問が思想的なものに集中したとし結局全ての高校を不合格となり、東京都立新宿高等学校定時制に進学することとなった(後に中退)と自身で述べている。

内申書に不利な経歴を書かれたとして千代田区教育委員会を提訴するものの、内申書の内容は執筆を担当した教員の裁量であるとして敗訴した。保坂は最高裁に上告したが、最高裁は「思想、信条そのものを記載したものではないことは明らかである」とし棄却した。判決は重要判例として憲法の講義でよく紹介される(麹町中学校内申書事件)。

その後は、教育ジャーナリストとして管理教育の打破を訴えた。ミニコミ誌「学校解放新聞」を発刊したり、子どもの立場からの教育問題を雑誌に寄稿したりして1980年代の反管理教育ブームの旗手として知名度を上げていった。飲酒を理由とする退学処分をめぐって学校と裁判を起こしていた西原理恵子(現在は漫画家)を取材したこともある。また、公文式の批判本を著した。







国政活動

比例区復活当選から落選まで


1996年、社民党党首の土井たか子に請われ社民党より衆議院第41回総選挙に東京22区より立候補し、小選挙区で落選したが、重複立候補した比例代表区の東京ブロックで復活当選した。小選挙区では供託金没収点未満(得票率5.89%)であり、供託金を没収された。この件をきっかけに、小選挙区で得票率が著しく低い人物が当選することに批判が沸き起こった。この後国会は、小選挙区で供託金没収点未満であった候補は比例区で当選できないよう公職選挙法を改正した。小選挙区での得票率5.89%は復活当選の中では歴代最低記録である。

同じ選挙で当選した辻元清美や中川智子、また1998年に参議院議員に当選した福島瑞穂などと並んで「土井チルドレン」と呼ばれ、労働組合との関係が比較的薄い「市民派」の議員と見なされた。

1999年の通信傍受法案審議中、自分の携帯電話が「盗聴」されていると告発した。保坂がテレビ朝日『朝まで生テレビ』に出演した際の交渉会話が記録された怪文書が朝日新聞社に届けられ、これは警察が試験的に始めた通信傍受によるものという内容だったという。実態はわからないが、当時の与党からは「組織的犯罪対策三法成立を妨害しようとした者の犯行ではないか」(当時の自治大臣・野田毅)という批判も出た。また、電話の相手は普段は平河クラブ(与党担当の記者クラブ)・宏池会担当のテレビ朝日記者であったという。保坂は被疑者不詳のまま検察に告訴したが、2000年、証拠不十分で不起訴処分となった。

2000年の第42回総選挙で再選した。保坂は選挙区を東京6区に替え、小選挙区と比例代表東京ブロック(名簿順位1位)に重複立候補した。選挙区では落選したが供託金没収点(有効投票の10%)は超えており、社民党は比例代表東京ブロックで1議席を獲得したため保坂は再選を果たした。
青少年保護を理由とした有害図書規制にも批判的で、そのためか2003年の第43回総選挙ではコミックマーケット準備会代表であった米澤嘉博らが推薦人に名を連ねた(ただし米澤は個人としての推薦で、コミックマーケット準備会自体が推薦したわけではない)。2005年12月の「コミックマーケット69」に初めて参加(一般参加者)した。




2003年の総選挙では落選した。前回総選挙と同様に重複立候補(比例名簿第1位)したが小選挙区では当選できず、得票率は全体の9%で供託金没収となった。比例区での復活当選に必要な小選挙区有効投票の10%を得られなかった。この選挙で社民党は、比例代表の東京ブロックにおいて議席を獲得することができなかった。








復活当選

落選中は演説などをこまめに行い、2004年6月には東京都狛江市長選で現職で日本共産党の党員である候補矢野裕の応援演説にも駆けつけたことがある(他政党所属の非共産党員が、落選中の元職であっても日本共産党の候補者の応援をすることは極めて珍しい。狛江市は保坂が初当選を果たした衆院選で立候補した東京22区に含まれる)。
2005年の第44回衆議院議員総選挙で当選し、国政復帰を果たした。このときは選挙区での立候補を断念し、比例東京ブロック単独で出馬した。名簿順位は第2位だったが、社民党の党勢を考えると1議席獲得できるかどうかという状況であった。この選挙では自民党が大勝し、東京都でも小選挙区において自民党が東京18区(菅直人の選挙区)を除く全ての議席を獲得した。また、比例代表では8議席分が配分されるはずであった。しかし自民党の予想外の大勝で重複立候補した候補者のほとんどが小選挙区で当選し、これを除くと自民党の名簿登載者が7人しかいないという事態が生じた。このため公職選挙法の規定により、ドント方式においてその次の順位に付けていた社民党が1議席を配分されることとなった。社民党で名簿順位1位の中川直人は小選挙区との重複立候補で小選挙区で有効投票の10%を得られていなかったために当選資格を失い、比例区のみで出馬した名簿順位第2位の保坂が当選した。






2009年衆院選、2010年参院選落選

2009年、第45回衆議院議員総選挙では東京8区から出馬。民主党は候補の擁立を見送り、保坂の推薦に回った[3]。当初は2000年、2003年と出馬した東京6区からの立候補を検討していた。しかし、同区は民主党の小宮山洋子の地盤であるため、選挙協力により保坂は民主党の候補者のいない空白区である東京8区に国替えし、出馬したが自民党の石原伸晃に約3万票差で敗れ、落選。比例復活も出来ず、衆議院議員を失職した。

その後、総務大臣に就任した原口一博により国民新党顧問の亀井久興らと共に総務省顧問に任命された[4]。落選後も党副幹事長に留任していたが、2010年1月に辞任(後任は服部良一)。2010年3月17日には参院選出馬を見据え、総務省顧問を辞任した[5]。

2010年7月の第22回参議院議員通常選挙に、社民党公認で比例区から出馬し、東京・生活者ネットワークなどの団体から推薦・支援を受けたが、社民党の比例区での獲得議席は2に留まり、保坂は次点で落選した(当選者は福島瑞穂、吉田忠智)。






世田谷区長選

2011年、4月6日に記者会見において世田谷区長選挙への出馬。及び社民党を離党したことを表明した。4月24日開票の結果、83983票を得て当選する










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