平成28年10月16日川越まつり、二日目最終日。
12時に午前の町内曳きが終わった連雀町太田道灌の山車は、
熊野神社前に山車を留め置き、しばし昼休憩となった後、
13時に午後の部、いよいよ町内を出て他町へ山車を曳き回して行くことになる。
祭りは神聖な町内行事から、他町との交流へと移り、祭り人達のボルテージも上がっていくようだった。
午後の部の山車曳行の目玉としては、特に13時半~15時頃までの間、
市役所前に各町内の山車が集まって来る山車巡行。
この時間帯に市役所前に曳いて行くことが決まっていて、
それぞれの町内がルートに組み込んでいる。
観衆にとっては絶好の山車鑑賞ポイントでしょう。
また、一番街も多くの山車が曳かれて行き、
日中ならではの蔵造りの町並みと山車のマッチングは人気がある。
山車に関わる多くの祭り人達は、午後の部、これからどんなドラマを生み出していくのでしょう。
13時、熊野神社前から山車を連雀町交差点に進めてから、
山車曳き出しの儀式を始める連雀町、
「山車が動くみたいだ」、様子を察知した観衆で交差点はもうぎゅうぎゅう詰めだ。
さあ、綱を伸ばせ!川越日高県道いっぱいに綱を張り、町衆が綱を握り締める。
綱先まで人で埋まって、いつでも行かん!という興奮を鎮めるように、
職方達に習い、目を伏せながらその声に耳を傾ける曳き手達。
集中力を高め、神経を研ぎ澄ましていく。
木遣りは午前の部でも、午後の部でも、夜の部でも、
山車曳き出しの時の大切な儀式なのだ。
消え入るように静かにすっと木遣りが終わると、
頭(かしら)がみなの意識を覚醒させるように拍子木を二つ大きく打ち鳴らす、
前方にいる副宰領が拍子木を打って全体に進め!と合図を送る。
すぐに続いて囃子が始まり、天狐が舞い始める。もちろん午後の部も出だしは天狐に変わりない。
曳き手達が、「ソーレー!」「ソーレー!」と大きな掛け声と共に綱を曳くと、
山車は、ゆっくりと動き始めた。。。静から爆発的な動へ、
何度見ても感動的な山車出だしのシーン。
さあ、行くぞ、と気合を込め、「ソーレー!」「ソーレー!」の掛け声に力が入る。
綱の内側には午前の部よりさらに町衆の数が増え、立錐の余地もないほど。
これから3時間半を掛けて、ゆっくりと山車を町に曳行して行く長い旅が始まった。。。
県道を東へ進む道灌の山車。各所で停まっては、山車の正面を向けて挨拶して行くのはこれまで通り。
すぐ視界の先に・・・山車の姿がうっすらを見えてきた。
山車が停まっている、どちらの方向に進むのだろう?
連雀町の先触が前方の状況を掴もうと駆け出して行った。歩くのではなく、常に走る!
三久保町はまさにこの通りの先にある町内で、連雀町とは県道で結ばれているので、
県道のどこかで「合う」可能性は高いのだった。
先触が見ているのは、山車の存在だけでなく、山車が今どちらを向いていて、
これからどちらに向かおうとしているのか、というところ。
それによって自分達の山車の進み方が変わる。
それを山車同士が近づく遥か前に調整しているのだ。
相手の情報を得て自町内に戻って来ると山車運行責任者の宰領に伝え、
宰領が山車の進行の判断を下すと職方に指示を出し、
あるいは綱先の人間が方向やスピードを調整し、職方が拍子木を使って全体に合図する。
これを山車が動きながらやりとりし、
刻一刻と状況が変化していく中で、また次の判断を下して全体は動き続けているのだ。
その間も曳き手は大声で掛け声を発し、囃子は絶えず続き、
山車曳行は、大勢の人による総合芸術のような美しさがある。
三井病院前に居た三久保町の賴光の山車は、
県道を西へ、連雀町が来た道へ進んで行くようだった。
「それではすれ違うところで合わせましょう」
うちはここで停まっています、ではうちはそこに入っていきます、お互いの町内は話しを付け、
停まっている賴光の山車の横に、道灌の山車を入れ込んでいった。
すれ違いそうになるところで、山車の位置を確認して頭が拍子木を打つ、山車を止める合図だ。
お互いの町内の職方が山車を回転させると・・・見事に正面を向き合う二台の山車!
川越まつり最終日、道灌の山車の初の曳っかわせは、三井病院前で行われたのだった。
曳っかわせはもともと、山車同士がすれ違う時の儀礼として奨励されたもので、
対戦なんていう意味合いは始めからない。
しかし、囃子が至近距離で向き合えば、負けるな負けるなと、見ている方はどうしたって熱くなる。
二つの山車の上では二つの囃子連が競演、連雀町の雀会囃子連は天狐が応戦。
熱くなる周囲をよそに、クールに状況を見ている頭が、
もういいだろうと拍子木を叩くと曳っかわせは終了、その冷静さがなんとも粋。
山車はまた向きを変えられ、三久保町の賴光の山車は県道を西へ、
道灌の山車は東、松江町交差点へと進み、別れを告げるのだった。
今後の時間でまた三久保町とは出逢えるだろうか・・・
これが今年の最初で最後の曳っかわせになるのか・・・?誰にも分からないこと。。。
山車は松江町交差点に近づいて行く、近づいて来たということは、
他町に足を踏み入れるということであり、
連雀町の先触はすでに松江町一丁目の会所で渉りを付け、入町許可を得ていた。
許可を得ないと川越まつりで町境は越えられないのだ。
そして、町境に立って連雀町が自町内に入るのを待ち構えているのが、松江町一丁目の案内人二人。
午前の部で、中原町との町境で案内人が会所まで先導したように、
もちろんここでも案内人が先導するのは変わりない。川越まつりのしきたりです。
松江町一丁目の案内人は、連雀町の山車が自町内に入る境から案内し、
その後も山車が自町内を出る町境までまた先導して見送る。
もちろんこれは、連雀町内に他町内の山車が入ってくる時も、
連雀町の会所で待機している人が案内人として迎えと見送りとしている。
迎えと見送り、が絶えず町中で行われている川越まつり。
(山車行列の先頭に居るのは、天狗を思わせる姿の猿田彦(さるたひこ))
さらに松江町交差点が近づいて来ると、頭が拍子木を打って山車を止めた。
前に進めない・・・??
どうやら交差点で二台の山車が停まっているらしい、
南通町の納曾利の山車と松江町二丁目の浦嶋の山車、 まさに曳っかわせの真っ最中だった。
それをただ指を加えて見ているだけではない連雀町、
二台の間に山車を入れ込んで三台の曳っかわせを実現させるのか?
現場の話しの調整が行われた結果、ここでは合わせないことになり、
南通町と松江町二丁目の山車が進行方向に進んで行った後に、
道灌の山車は交差点を曲がって行った。
南通町は川越街道を北に、連雀町と同じ進行方向なのでこの先で合わせるタイミングもあるかもしれない。
反対に、松江町二丁目は川越街道を南へ、午後の時間に再会するのは難しいはず。。。
南を臨むと松江町二丁目の山車の他に、別の町内の山車が姿が。
もうどこに行っても山車と遭遇するような今年の川越まつり。
道灌の山車は交差点で停止した後、綱を北側に急いで張って、町の人も大移動した後、
ゆっくりと山車の向きを変え、川越街道を北へ進んで行く。
松江町一丁目の交差点から市役所までの風情ある川越街道の風景と山車がよく合う。
やはり歴史ある道と山車の相性はぴったりです。
この川越街道における数百メートルという区間の山車の曳行は、
今あまり見返されることはないかもしれませんが、
改めて言及すると、歴史ある街道は、
川越の古い建物が残り、川越の色濃さを残している通りはなんとも山車に合う。
さらに、広過ぎず、ちょうど良い狭さの道幅と建物の高さが山車をより映えさせていて、
かつては道幅から計算して曳行できる山車のサイズを設計したはずで、
街道の風景は時代で少し変わっても、当時熱狂的に賑わったであろう祭りの喧騒がどこからか聴こえてくるよう。
道灌の山車から響く囃子の音色を聞きつけた松江町一丁目の会所から人が出て迎えてくれる。
「ソーレー!」「ソーレー!」町衆達が曳いて来た道灌の山車がだんだん大きくなってくると、
頭が拍子木を打ち山車が打ち、会所に山車の正面を向けて挨拶する。
囃子に一層力が入り、松江町一丁目の会所の人達から拍手が送られる。
この間も現場は動き続け、綱の外の警護が周囲に気を配り、
先触が、街道北からこちらに迫って来ていた仲町の羅陵王の山車と話しを付け、
街道途中で「合わせる」ことが決まっていた。
常に前もって、次、次、と山車の予定は決まっていくのだった。
山車はまた向きを正されて、松江町一丁目会所を離れると北へ進んで行き、
川越街道上で仲町の羅陵王の山車と曳っかわせを実現。雀会はおかめが舞う。
その後は、松江町二丁目の会所に山車を向けて挨拶し、と進んで行った。
(川越街道に残った山車曳行の跡、もう既に何台通っているのだろう。。。)
「ソーレー!」「ソーレー!」
続いて町境で大手町の案内人が待機していて、連雀町の山車曳行の案内に立つ。
城下町の名残らしい大手町のクランクを見事な山車さばきで越えると、
街道を真っ直ぐ進むと川越市役所が見えてくる。
川越まつりでは両日とも、市役所前に山車が揃うというのが恒例行事で、
初日は山車が勢揃いする「山車揃い」、
二日目は13時半から15時頃までに、時間差で山車が次々にやって来るという「山車巡行」。
なぜ時間に幅があるのかというのは、
ぴったりの時間に山車を一ヶ所に揃えるのは難しいというのは、
連雀町のこうした現場の様子を見てもらえば納得してもらえるのではないでしょうか。
思ったより早く運行している、思ったより時間が押している、とそれぞれの町内の当日の事情があり、
だから二日目の山車巡行は、13時半から15時頃までの間でと幅を持たせているのだ。
市役所前交差点、いや、正確に言うと、河越城の西大手門に近づく道灌の山車、
ついに道灌が、自身が築城した城の入口まで帰って来ることができたのだった。
ちなみに、市役所前には太田道灌の像が立っていますが、
それは道灌の鷹狩りの様子をモチーフにしたもので、
連雀町の道灌の山車の人形も、鷹狩りを再現しているもの、見比べれば瓜二つなのです。
14時、市役所にはどれだけの山車が残っているだろう・・・
「ソーレー!」「ソーレー!」と綱を曳く町衆たちも様子が気になるよう。
先触や宰領、頭が先に走って行って市役所前の状況を確認しに行くと、
なんと、四台もそこに居た。。。!やっぱり今年の川越まつりは山車の遭遇率が高い。
市庁舎を目の前にすると、そこには駐車場を詰め尽くす人人人、
いろんな山車がやって来るのを心待ちにしていた観衆が詰め掛けていた。
時間差はあっても山車が集まれば、期待して人も集まる、
山車にとっては現代の晴れ舞台が市役所前でもありました。
西大手門から城内に入ると、
旭町三丁目の信綱の山車、
新富町一丁目の家光の山車、
川越市の猩々の山車、
今成の鈿女の山車が既にやって来ていた。
絢爛豪華な山車がここに四台揃い踏み、囃子も重なりカオス感がまさに祭り。
旭町三丁目の信綱の人形の松平信綱は、
太田道灌が築城した川越城の城主として新河岸川の舟運など川越を飛躍的に発展させた立役者。
(旭町三丁目の信綱の山車)
そこに太田道灌が迫る!川越の歴史上の人物があいまみえるというのも、川越まつりの楽しさでもある。
四台の山車が集まっているということは・・・
現場の祭り人達が走り回っていることは想像できるでしょう、、、
各町内の山車はこれからどこへ進もうとしているのか、
情報収集してお互い話しを付け、自分達の動きを決める。
四台いれば手間は四倍かそれ以上。
旭町三丁目の信綱の山車が先に市役所を出て行くということで、道灌の山車は交差点で待機。
・・・と、待機していたところに、信綱の山車が通り過ぎて行く時に曳っかわせを披露、
道灌像の目の前で道灌の山車と信綱の山車による貴重な曳っかわせが行われました。
この後、道灌の山車は観衆に向け囃子を披露した後に、川越市の猩々の山車と合わせ、市役所を出発。
市役所から札の辻方面へ、本町通りを進んで行くと、
本町通りの向こうからやって来ていたのが、野田五町の八幡太郎の山車。
そう、午前中に出逢ったあの山車とここで運命の再会。
向こうから来る・・・どちらかが引く?待つ?どうするのか、、、
・・・と、この狭い道でそのまますれ違うことに。
お互いの町内の職方が細心の注意を払いながら、ぎりぎりのところで通り過ぎて行った。
雀会の舞は三番叟へ。行き違いが出来た瞬間、ほっと胸を撫で下ろす町衆だった。
通り沿いにある元町一丁目の会所に挨拶し、札の辻まで来ると、
頂上に設置していた道灌の人形を収納する。
この先の道すがらにある電線を考慮して、事前に山車の高さを低くしておく職方の対応だった。
名残惜しそうに姿を消していく道灌、しばしお休み頂いて、
また勇んで山車を曳いて行く町衆たちは、
札の辻を越えて菓子屋横丁方面にある高澤通りへ、元町二丁目に挨拶にやって来た。
舞はもどきに。
午後の部、連雀町から一番離れたここまで来るのが一つの到達点、
ここを折り返し地点として、あとはホームの熊野神社まで帰って行くことになる。
高澤通りの途中、休憩で山車を留め置いた際には、雀会の天狐が観衆の目を釘付けに。
札の辻まで戻ると、辻では既に人だかりが出来、山車の到着を待ち構えている人が大勢居た。
札の辻という場所は、川越まつりではいつも何かドラマが生まれる場所で、
数台の山車が合わされる場に立ち会える確率が高まる。
特に午後になると市役所から札の辻に向かう山車が多いので、
ここに居れば間違いなく、断続的に曳っかわせに遭遇する。
市役所方面からやって来たのが、通町の鍾馗の山車。
道灌の山車と札の辻で対面し、山車の位置を慎重に決め、お互い合わせた。。。!
その後、札の辻で再び道灌の人形を山車の頂上に掲げ、一番街を真っ直ぐ南進して行く。
ここからはいよいよ蔵造りの町並みの一番街。
町並みを背景にして山車が通る様子を観たいと、沿道で見守る人の数が特に多くなる。
ちなみに太田道灌と言えば、河越城を築城したのが1457年のことでした。
ということは・・・??
そう、来年2017年は河越城築城560年というメモリアルイヤーとなります。
太田道灌の存在はさらに注目されるでしょう。
一番街各所で山車を向けて挨拶して行く連雀町。
今年の一番街で話題となったのはなんと言っても、川越のシンボル、時の鐘。
耐震工事が続いていましたが、川越まつり前にシートが外され、
(職人達がまつりまでに間に合わせようとしたので)
真新しい銅板が光る時の鐘を背景にした山車曳行というのは、
ここまでで山車曳行は午前から数えて曳き続け、囃し続け、4時間は超えている。
ハレの舞台の一番街ではあってもさすがに疲れが見え始めた山車の曳き手たち、
だが、「一番街に来ると自然とまた力が湧き上がってくる」と話し、
「ソーレー!ソーレー!」
綱を握る手にさらに力が入り、道灌の山車を誇らしげに曳きながら一番街をゆっくりと進んで行く。
囃子台では獅子の舞。躍動感ある舞が沿道の観衆を魅了。
埼玉りそな銀行前で幸町の翁の山車と曳っかわせを行った後、仲町交差点が見えてくると、どこかの山車が向き合っているのが遠くに見える。
大手町の鈿女の山車と通町の鍾馗の山車が合わせているところだった。
曳っかわせの名所として知られるこの交差点も人で埋め尽くされていた。
あの混雑を見たら、二台の曳っかわせが終わるまでしばらく待機したいくらいの思いになりますが、
いや、道灌の山車は、
どうにか交差点に入れ込みたいと現場の祭り人達は動いていた。
通町の鍾馗の山車が引いた後に、道灌の山車を入れることで話しがつき、
人と山車でぎゅうぎゅう詰めになっているところで、見事に山車の入れ替わりを実現。
交差点中央に道灌の山車を慎重に進めて行った。
一旦、鈿女の山車を通り過ぎてからの、山車を回転させ、相手に合わせるという職方の職人芸が光る。
こうして交差点の「真ん中」で合わせることができるのです。雀会は再び天狐へ!
仲町交差点で午後の部クライマックスの曳っかわせを魅せた後は、
央通りを南下し、仲町の羅陵王の山車と合わせ、
ホームである連雀町の熊野神社に帰還した道灌の山車。
午前の町内曳き、そして町内へ出て他町の山車と合わせていった午後の部、
ここまでで5時間半の山車曳行が終了しました。
祭り人達は疲れも見え始め・・・・いやいや、祭りはここからが本番!と
いよいよ目が輝き出していくのだった。
日が暮れ始め、辺りが薄暗くなっていく頃、川越まつりはついに夜の部へと突入していく。。。
祭り人達の本当の熱狂はこれから。
夜の部は18時から、それまでしばし休憩に入り、エネルギーを補充。
2016年川越まつり最終日夜の部、百花繚乱の曳っかわせは、もうすぐ始まろうとしていた。