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気になる記事や心境を独り言としてログ(記録)しているモバイル日記

enchant Moon に、興味を持って貰うことは
「未来のコンピューターの在り方を考える事」に等しくて
それは、子供を保つ親ならば、実は、既に無意識下で感じているように思う。

それは、子供達が熱心にテレビゲームやiPadやiPhone を弄る姿を見て
「これで良いのだろうか?」という事。

今回、見て頂く記事から抜粋したものですが
enchant Moon とアランケイは切っても切れません。

http://d.hatena.ne.jp/shi3z/20130116/1358319670

引用元:アラン・ケイ氏にenchantMOONを見せて来た - UEI shi3zの日記


記事では、


パソコンの父 アラン・ケイ(Alan Kay)氏は、学校で学ぶ子どもたちの姿を見て次のように語る。
「学校に行くと、コンピュータがたくさんある。子供たちは、それらのコンピュータを使って楽しく学んでいる。しかし、子どもたち自身が興味のあることをしているわけではない。子どもたちは、これで本当に成長できているのだろうか?」

ジミーとベスが、屋外でコンピュータゲームをしている。コンピュータはネットワークにつながっており、対戦をしている2人の画面には同じ映像が映っている。


「Dynabook」のコンセプト画として有名なこの絵だが、実はこの背景にはあまり知られていないストーリーがあった。

 ジミーとベスがやっているゲームは「SpaceWar」。
宇宙船を撃ち落とし合う「宇宙戦争ゲーム」だ。
ゲームをしているうちに、ジミーは宇宙船の動きがおかしいことに気付く。

そして、ジミーとベスはこんな会話をした。

「星の近くを飛んでいるから、宇宙船は重力の影響を受けるはずじゃない?」
「この前、理科で習ったよね」
「この動きは変だよ」
「じゃあ、重力の影響で動きが変わるように、プログラムに組み込んでみよう!」。


これが、アラン氏が考える「コンピュータリテラシー」である。

コンピュータリテラシーと聞くと、
パソコンで読み書きする能力やインターネットに関する知識をイメージしがちだが、
実はそうではない。
コンピュータは、どのようなメディアにもなり得る能力を秘めている。
従ってその読み書き能力(=リテラシー)とは、
コンピュータを使って課題を解決するだけにとどまらず、
メディアを作り出す能力を持つことを意味する。

アラン氏は、子どもたちのコンピュータリテラシー向上を支援するために、
簡単にプログラムが書ける道具も考えた。
「Squeak Etoys」という、非開発者向けビジュアルスクリプティング環境である。
このSqueak Etoysを参考に開発されたのがScratchだ。
2013年4月時点で、Scratchの登録ユーザーは世界で150万人、
320万個の作品がアップされている。

Scratchを開発したミッチェル氏は言う――「子どもたちが知的に活動しているのは、彼らにとって個人的に意味のあるものを組み立てているときだけだ」。


http://www.atmarkit.co.jp/ait/articles/1306/06/news111.html

引用元:アラン・ケイ氏が考えるコンピュータリテラシー:「Dynabook」の背景にあった、知られざる物語 - @IT


さて、アランケイとenchantMoonの話に戻ります。



Ryo:
  What do you think about an enchantMOON?
Alan:
 I think what you want to do with it is fantastic, and I think and I like the use cases.
I think you need more use cases. And I like that you are doing some of the testing on this thing, but I would even try doing tethered…where you don’t have to optimize this to get performance….it’s a different thing. Optimization is different from design.
So I think you get into this position where…you know first if you can do it all what you want to do.And then…and again like I said, in the end the end users…if they are going to do something that involves programming or creativity, in the end most of them are willing to work. So if you are doing creativity, that’s nice thing.
Once they have decided to do it, these are children and adult who is not satisfied with simple kits. They are not satisfied with cooking hotdogs in the kitchen.
So you can say “Ok so this is the personality” that I am making this thing for, and then the thing is that they might not be experts.
But it’s personality and not experts, what should I do?
And if it were musical instrument, No1 thing you don’t do is to, for instance you don’t put frets on violins just because that makes thing easier in the beginning.
It can kill you later on. They have tested that. And putting kids on synthesizer can have some benefits for the kids but synthesizers are not for expressive, and music is about expression, right? So what’s brilliant about HyperCard is that Bill Ackenson and people who did HyperCard they had perfect theory of their end users, which was a person who wanted to use the fact that computer had a screen and these are people who wanted to create media. Some of them were doing for talks, some of them were for professors, teacher, and students making things…so what they did was just make a programmable media. And I don’t think it’s been done better. Their improvements you can make in HyperCard graphics you can do lot better. And Bill had weak conception of graphics, but it didn’t matter cause Apple gave it away for free and few years later they looked to see who would scripted application and they found 4 million separate users. Even today they own couple of million programmers in whole countries. But here you had in a period of couple of years, you had widest varieties of children and adults programming in the history. So Apple never understood it, they had problem of their own, so blew the HyperCard opportunity.


これは、アランケイがEnchant Moon について書かれた、清水代表への返事の部分です。


(あえて訳さない事が、ここでは需要なのかもしれません。)
それには、こんな清水代表の言葉があるからです。



「そうではありません。アラン・ケイ自身は"iPadはDynabookではない"と明言しています。何度もね。比較されることを非常に怒ります。なぜか。プログラミングができないからです。プログラミングができないものは、ケイによれば"コンピュータではない"。
与えられたコンテンツしか見れないものは、本当の意味でのコンピュータとは呼べないんです。
コンピュータは、人類の進歩を後押しするためのツールであって、コンテンツを供給して堕落させるための道具ではない。

iPadは、Dynabookもどきなんです。
Dynabookではない。
そしてDynabookを超えた先というのは、ユビキタスです。

この概念も、Dynabookと同じく、ゼロックスのPARCで産まれました。
1980年代、マークワイザーが、パーソナルコンピュータが実現したその先、複数人で一台を扱うメインフレームから、一人一台のパーソナルコンピュータ、そして一人が複数台、無数の偏在するコンピュータに囲まれるユビキタスコンピューティングという概念を発明するのです」






ここからは、僕の言葉ですが

「なんでも、観るだけ」で「理解するだけ」で良いのか?


上の英語の文章だって英語が得意、不得意関係なく
昔ならば、自分が気になる英語くらいは、自分で翻訳していなかったか?

例えば、自分の好きな外国のバンドの歌詞くらい。訳していたのでは?
そこには、自分なりの言語の深さがあったはずです。

例えば、Father を父と訳したか?という話ですね(笑顔)

実は、Fartherは「For +others」かもしれません。
それは、consideration(良く考えてみると)

consideration for others「思いやり」

と訳すかもしれません。

家族や親しい人を思いやる姿が「父」なのかもしれません。

というのが子供への「Farther」という単語の意味かもしれませんよね?という
自由な教育があって良いのだと、僕は思うのです。


enchantMoonに興味を保つこと。
そこには、便利さではないコストパフォーマンスでもない。
有意義な時間の費やし方が存在しており、それは、とても大切な「手間」ではないか?とも
思うのです。

enchant Moon を見守ること。
そこには、そんな思いがあるんですよねぇ…(笑)
僕は、enchantMoonについて、語るほど、技術的にコンピューターの世界の人ではないのですが

コンピューターも、ある種の行動学であると思うのです。

現実を変えるために、存在するというモバイラーでありたいからですね。笑顔。

●最後に
僕のブログは、わかりにくいですが(笑)

僕がブログを始めたのは「あくまでもTwitterの補足のため」なんですね。
毎日、多くの記事をRTしていますが「それがあって、ブログがあります」

ブログ+Twitterで、1日の自分が完結しますし別では、ありません。
もちろん、Twitterからブログへ誘導することは、ありません。


そもそも、ブログを始めた理由は、140文字では、表せないものだけをブログにしよう。
Twitterで自分の思いを語ると嫌われる(笑)んです。
というところから始まり、そして、Twitterの延長のブログでこのブログは終わります。

そこには、最新の記事を最新でつぶやけるというTwitterの魅力があり
「最新は、時間が経てば最古になる。」という当たり前の中で
Twitterだけがスピード感があるSNSだと、今も思っているわけです。

わかりやすくいえば

地震があれば、即、Twitterで確認する→行動のための情報収集

そういう世界はTwitterだけですね。
先日の関東のゲリラ豪雨は、数分単位でゲリラ豪雨が移動しているのを
Twitterの検索で「ゲリラ豪雨 」と入れれば、行動規範になります。
そこが、Twitterの好きなところなのです。


enchant Moon は、僕から見ればそういうプログラムしながら
子供がコンピューターと進化していく姿が、ワクワクドキドキするわけですね。

是非、注目していきたいところなのです。




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