こたつ | korochanのつぶやき。

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気になる記事や心境を独り言としてログ(記録)しているモバイル日記

少しひとりごとです(笑顔)

昨日というか、深夜のことですが

フリージャナリストの佐々木さんと本田さんが
「言い合い」というか、「SONYの方との」話を
やられていた。まぁ、そのことは
「どっちでも良いこと」なのですが

「こたつ」という言葉に
korochanは興味をもったわけです。



要するに

「こたつに入りながらネットの情報を集め評論する」
みたいな話の例えのようで

苦労して足で歩き情報を集める取材とは、違いインターネットでGoogle検索やリーダーで集めた記事を読み、くっつけたりして、あたかも自分で取材したかのように、評論する輩を指しているようです。


ある側面では

ベストセラーを出している佐々木氏への嫉妬から来る「こたつ話」でもあり、ある側面では
ジャナーリストならば
本田氏のいう「取材ありき」や「取材無くしての記事や批判へは、どうなのよ?という違和感」もわかるところ。

今回は、どちらが正しいとかではなくて

「こたつ」をすることが

korochanには新鮮でした。


korochanはメディアの人間ではないので
答えは無いわけですが



本田氏も
「プロでなければこたつもOK」的な感じであることのつぶやきをされていたことは
付け加えておきたいと思う。


まさにプロではない(笑)
korochanのブログ記事のほとんどは
「まさにこたつに入って、みかんを食べながら」
なのです。笑顔



そしてこの拙いブログを拝見してくださる読者の皆様も
「こたつに入りながら」ですよね?笑。



ネットやソーシャルの世界では
ある時は「情報発信者」で
ある時は「情報収集者」でもあるわけで

今後世界70億「総こたつの時代」に「こたつ」とは
いったい何か?を
「自分として」持つ必要があるのかもしれないぞ。

なぁんて、昨日の2人のやりとりを見て思ったのでした。



私は「korochanのつぶやき」というタイトルで
ブログをほとんど毎日書いています。

要するに「ひとりごと」なのです(笑)


毎回、気をつけていることは

「自分の思いを悩まずに、加工せずにブログすること」
ここには、こだわりがあります。




誰になにがおこったのか?

どこで、なにがおこるのか?

ではなく

自分はなにを思ったのか?
自分は、なにをしたいのか?


を「ログ」したいのです。



Twitterは140文字

korochanのブログは

「あくまでもTwitterの延長」であること。
そしてそれ以上の価値はないこと。
実はその薄っぺらさが大事だったりします。



間違いなくこれから「こたつ」はふえていくでしょう。
それがマスメディアとしてどういう価値があるのか?


それは大胆に「マスメディアの人たちに任せるとして」


今のマスメディアの情報に
「あれ?」と薄々感じている
僕のような、一般の人たちがふえていることは
間違いありません。



そこには
「マスメディアも本当のことは書かない」
とか
「どの業界でもスポンサーに左右される」
という「大人の事情をプラスする必要がある」からです。






「まず答えありき」の時代の中で

取材する前に答えを出していることは、どの業界でも
少なくありません。

その姿は「みんなが嫌う検察となにも変わりません」




どっぷりと「こたつに入り」深夜、佐々木さんと本田さん
のやりとりを、みかんを食べるくらい(笑)
こたつに入りながらも
korochanは思っていました(笑)






妄想はkorochanのおかず。です。
僕はこたつ大好きです。

毎日のわずかな隙間時間。
暇つぶしといいましょうか?
こたつのい時間が好きです。




しかし、こたつで得た情報で動くことは
あっても「決断することはありません」


こたつは、自分のもっていない視野を広げるための
「興味」「関心を広げるもの」と、思っているからです。


推理小説が真実である必要がないように。
テレビドラマや映画が真実である必要がないように。

大切なのは「こたつはこたつ」と見抜き
その上で「自分の足で動いてみる」
その上での取材も真実も
1つの方法として必要なのだと思います。

それは一流メディアへの
ソーシャルの世界の1つの壁かもしれません。

そして何でも言えるという
ソーシャルの世界の魅力かもしれません。




ある日、テレビのニュースチャンネルで
「どっちでも良い、芸人と占い師の話」のメディアの
話を「もういいよ」というくらい
拝見することがあります。

みなきゃいい。と断ち切ることは簡単ですが
実は、したたかな「信仰への批判」を感じ取れる中で

無意識下で「そういう政党批判へ導く手法」ではないか?
と、思ったりもします。




今我々は情報が容易に手に入る中で

どう、こたつにいながら

一握りの

「それぞれの自分にとっての真実へ」

導いていける情報を手に入れることが
出来るのかを模索しなければいけません。



最後は自分で決めること



僕は自分の思うことを、自分が思うように
日々書いていくことで
周りが判断すればよいことだと、任せています。

私は周りには無責任なのです。
自分には責任が生ずるけれども(笑)

だからせめて自分のブログだけは
「自分の思い」を伝えようと思います。

これからも、こたつに入りながら(笑顔)

客観性と責任。

この2つの あい異なることに
日々、折り合いをつけていく作業は

いつも「自らの内なる思い」を
解き放つことから始まるような気が勝手にしています。








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