自分の携帯電話をみると、いつも思うことがある。
自問自答とでも、いうべきだろうか?
「小型のコンピューターが欲しいのか?より機能が高い携帯電話が欲しいのか?PDA端末がほしいのか?」
答えは、いつもその時その時におかれている環境で違う。
僕のau HTC evo Wimaxは大きい。
その大きさは、画面を見るときには味方であり、電話をする時や頻繁に電池交換する時には敵である。
おそらくスマートフォンの中で、出来ることは「そんなに大きく違うことはない」
そのことはiPhoneから各種android端末を使い続けるkorochanの中でその答えは間違ってはいない。
多少のスピードや画面の見やすさ、形状が人間工学的になってきたという違いがあっても「昔から出来ることは、そんなに進化していない」
もちろん「誰もが使えるように近づいたこと」が「スマートフォンブーム」へと発展していくわけだが、本当の意味でスマートフォンをどう使うのか?という自問自答の繰り返しから抜け出ていないように思う。
「小型のコンピューターが欲しいのか?より機能が高い携帯電話が欲しいのか?PDA端末がほしいのか?」
とても最先端とは言えない、ただ便利なシンプルチックなポメラを使い
「居心地の良さを感じる」korochanの中で「本当の進化について」考えてしまう。
世の中は今も、エネルギーを求めて、そして、周りには自分の居場所を見つけるために、世界はいつも「見えない戦争」をしている。
「独占」「独裁」に溢れたままの21世紀。
1999年の自分が求めていたあの「あこがれの21世紀」に今のあなたは近づいていますか?
「ITで世界を平和にする」と高らかに宣言したとある電話会社の社長がいたが、
震災から半年経過し、仮設住宅で住む人々に korochanが明後日会う中で「未だに電話がつながらない現実」を前に
僕はその経営者の言葉を信じることは「永遠にない」だろうと思う。
ほんの少し震災があるだけで
「自分は元気です」と伝えることすら出来ない
「トラフィツク急増の回避が責務のキャリア」の実情の中
今日も自問自答する自分を発見する。
ITは今、迷宮のラビリンスなのだと僕は思う。
映画 迷宮のラビリンスの主人公 サラの持つ本愛読書が今の時代はこれ。
ゴブリンの王であるジャレスことApple CEOのジョブズはやヒューレッドパッカードのCEOさえも引退した今
ゴブリンにつれさられて スマートフォンの世界の中
から未だに抜け出すことが出来ない現実。
ストーリーの最後に
「あなたに支配はされない」
そう宣言した瞬間に迷宮のラビリンスは崩れ落ちる。
使いこなしているのか、使いこなされているのか
その境がわからなくなった瞬間、迷宮のラビリンスに陥っている瞬間だ。
「あなたに支配はされない」
その言葉を持つものだけが サラなのだ。
iPhoneからの投稿