情報と向き合う | korochanのつぶやき。

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おサイフケータイは必要な管理人です。

気になる記事や心境を独り言としてログ(記録)しているモバイル日記


今日は「情報」の話。
スマートフォンやインターネットの最大の「効果」は「情報伝達」にあります。

昔、クロヤギさんがお手紙を食べたの食べないの…(笑)
なんて歌にもあったように「お手紙」が最大の情報手段でした。そして「電話」に変わり「今はインターネット」に変わっています。
このブログも「お手紙の一種」でしょう(笑)
書いてすぐアップすれば、多くの人に「すぐに届きます」

歩きながら、モバイルしながらスマートフォンで新しい情報を収集出来る時代になり「自宅でテレビを見ている人」よりも
「メディアの人」よりも「情報ビジネスをしている人」よりも
「モバイル」で 素早いネットワークを活かししかも「手軽に簡単に」そして「安価に」情報を手に入れることが出来ます。
今や「情報に価値はありません」
twitterのように「情報は生まれては流され、生まれては消えていきます」

これからは「過去」「現在」の情報は「ビジネス」にはなりません。「今、価値ある情報」も「30分後には多くの人が知っている」時代なのです。

「未来の情報」「先の情報」だけが「情報」であることを再認識する中で「いかに上手に情報を収集して情報を発信して」
しかも「棄てていける」かが大事な時代に入りました。

スマートフォンが増えて「誰もがモバイル」する時代に
「Yahoo!の情報」はもう会話にもならない「時代」に入りました。(笑)
他人は「知らない情報」にしか興味がありません。
しかも「自分の生活に直結した情報」が価値あるものです。

「情報の先端をとらえ具現化していく力こそ」モバイルの真髄です。
「今、何が起こっているのか?」を「立ち止まり」客観的に知り、昨日と今日の違いを考えなくとも感じとって「方向性を決める」

そこまでがモバイルであり、情報に埋もれることなく情報の波を優雅にネットサーフィンする力を養うことができることでしょう。
まぁ…安っぽい啓発本 みたいな(笑)出だしになりました(笑)




情報を考える時に「継続の力」が大切です。
「継続のみが力」です。

例えば以前NHKのドラマの影響で「坂本竜馬」が「流行りました」今はどうでしょうか?
あれだけ流行っていたものでも、スッと引いてしまいます。
あれだけ会社で「なんとかじゃき!」と言っていた後輩が今や「ニーチェやドラッカー」を読んで「その他人の知識を振りまいています」(笑)


勿論、情報大好き人間が沢山いればいるほど多くの著名人が潤うことができるのでそれをいけないこととは、否定しませんが
「牛肉のセシウム騒動」をとってみても「情報の在り方」が問われています。

「良い情報よりも悪い情報の方が伝達する速さが早い」ということがあるのと同時に「情報元がわからない」のにもかかわらず「行動するところ」にあります。

「普段、貧乏で高級な福島や宮城牛を口にできない人まで騒ぐ」恐ろしさです。


その情報を考えるよりも、「じゃぁ豚は大丈夫なのか?」
「そもそも、稲藁のもとの米はこの秋どうなるのか?」
「セシウムは遠くまで飛ばない」と言ってなかったっけ?
「山で貯めた水は川に流れて最終的には貯水池に繋がるよね?」ということになると「どうなるのか?」って話になります。

しかも、車で大気汚染の方が遥かに身体に害がある真実は伏せられるわけで(笑)

安心基準を上げていけば食べるものが国内になくなり、
「偽装して市場に必ず流通します。」「必ずです」
「外国の輸入の肉は安全なのでしょうか?」

「それ以前にあなたの身体に今どれくらいの放射線があるのでしょうか?」
「じゃぁ、あなたにできることは何があるのでしょうか?」

ということになります。

「じゃぁ肉は辞める」になり
一番放射能の多い野菜を摂取することになります。

健康に一番必要なことは「バランスの良い食事」です。
いつの間にか、本質から離れ
「危険な情報」で冷静さを失い

一番気をつけているようで一番危ない橋を渡っていることがあります。
それは「情報感度の良い人」は犯罪者からみれば「ネギを背負ったカモ」だからです。

カモでありながら鵜呑みをすると(笑)
鳥だらけになってしまいますが(笑)

情報はプラスの面よりもマイナスの面が多いことを知っておかなければいけませんし忘れてはいけません。

鳥は三歩で忘れてしまいます。
カモにならない。鵜呑みにしない。
サギに気をつける。

鳥にならないように気をつけていきたいものです。

そもそも情報は誰のためにあるのでしょうか?
「常識」や「非常識」の境目はなんなのでしょうか?

今やGoogleでぐぐれば「共通の情報」「情報の共有が容易な時代」に「記憶することの価値」はいかほどあるのでしょうか?

「情報」を使い「想像力」を屈指して「創造する」中で
「多くの人から支持される」ことに意味があるわけですが
その背骨には「自分の望む気概や価値観」が一番必要なのです。
「情報はあなたが望む未来の糧でなければいけません」
やりたいことのためにやりたい情報を集める。

他人にこんな情報を集められる自分。ではもう通用しません。
お金にならないのです。

100聞は1見にしかず。

どんなに情報がモバイルでスマートフォンで集まってきても
「行動の中」ででしか「情報は自分の情報」になりません。

遠回りしても良いんです。
「自分らしい情報の収集術」の前に「自分らしい情報の活用術」を見いだすことに「時間と費用」を投資すべきです。

「好きな食べ物を極めて見る」
例えば、korochanはあんこが大好きですが「ルーツ」は?
日本で一番美味しいあんこ作りをする人は?

ネットでお取り寄せしてみる。
現地に行って食べてみる。

そんな周りからみれば「くだらない。些細な情報」でも
「自分にとって至福の時間」であることが「情報の価値」
なのです。

twitterで何万人からフォロワーされることよりも
「自分をパワーアップさせる情報活用術」を見つけることの方が「遥かに有意義です」

「自分を見つめ直す」

0ゼロからの出発の前にまず、貯め込んだ要らない。いつか使うととっておいた「見えない情報の山」を「バッサリ棄てましょう」

心が軽くなった分しか新しい情報は入りません。
棄てられなかったものだけが真の必要な情報です。

自分をandroidのように、一度タスクキラーして(笑)
キャッシュをクリアして(笑)

感度の高い自分に戻りましょう。

ハイスペックな自分を目指すのではなく、メモリの多い自分を目指すのではなく、情報を溜め込むのではなく右から左へ素早く流しそしていつも情報の先端だけを掴む。

そんなポテンシャルを身につけたいものです。
情報に右往左往されるのではなくて情報を右へ左へ流せる

そんなモバイル術を身につけたいものです。

自分という存在意義を考え自分により良い糧となる情報に触れていく人生ほど尊く貴く愛おしいものはありません。

たった1つの情報が自分の一生を左右する」ことがあります。
その情報を活かせるかどうかは…自分の空き容量にかかっています。


















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