新思潮No108の巻頭言に
「書は心の絵であり、言葉は魂の音楽である」
とあった。これは川上三太郎の言葉らしい。
こじつければ、川柳は魂の音楽ということになる。
自分の思いをリズムに乗せて吐く。
リズム感の悪い音楽ほど聞くに堪えないもの。
川上三太郎は、
昭和4年、国民新聞の川柳選者となり、
のちの結社「川柳研究」を立ち上げた。詩性派の
青年作家が多く集まった。
身の底の底に灯がつく冬の酒 (三太郎)
われは一匹狼なれば痩身なり (三太郎)
私は番傘同人であるが、最近、「川柳塔」の
柳誌を読む機会があった。
新家完司さんのコーナーがあり、
・ 「 」 かぎかっこの是非
「 」の否定論から、
記号であり言葉ではない。言葉で
表現するのが文芸であり、記号を言葉の代用に
使用すべきでない。記号は音読に適さない。
披講で読み上げるとき、「かぎかっこでくくってあります」
と補足説明しなければ正確に伝わらない。
肯定論では、作品の内容を分かりやすくしてくれる。
賛否両論あるが、使用するかしないかは自身で
考えて判断するよう結んでいる。私は否定派かな。
夫を「つま」と読ませることも、川柳ではどうか?
という議論もありますね。川柳は口語体で表現が
原則ですから、「おっと」と正確に読みたいです。
これを肯定すると、地球を「ほし」と読ませたり、
宙、天を「そら」、娘を「こ」など当たり前に横行している。
作品にルビを振ることはできるだけ避けるべきだが、
大会などで投句数が多い時は、難解な漢字にルビを
振ることは、良しと思っている。私は近詠などの同人誌
への投句はルビを振っていない。
もう一つの影が自由にしてくれぬ (紋章)