朝鮮学校ってどんな学校? | ここが変だよ在特会(仮)

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古くからの読者さんなら過去に何度か朝鮮学校について書いたエントリーを覚えてらっしゃる方も多いと思いますが、ここ最近になって当ブログにお越しになった、所謂新人さんたちの中で過去の記事までさかのぼって読んでる方は極々少数だと思います。

で、春日さんの提案もありましまして、機会があれば朝鮮学校を紹介する記事を書こうと思っていたところ、タイミングよくネタが転がっていました(こういう書き方は失礼ですね。。。反省)


千葉朝鮮初中学校の校長先生のFaceBookより。。。


 先日、イギリスの大手一般新聞<ガーディアン>の記者が千葉ウリハッキョに来て取材して行った内容がこの度、記事となって掲載されました。
 記事は、ウリハッキョの教育について多少誤って解釈されている部分もありましたが、基本的には公平なスタンスで報道されたと思います。

 この取材は、FBを通して知り合った日本外国特派員協会 鄭賢淑さん(朝大外国語学部卒)の紹介で実現しました。
 とても長文なので鄭賢淑さんが翻訳してくれたものを要約し、以下に紹介いたします。
*写真は、その新聞に掲載されたものです。


「ピョンヤンとの高まる緊張により苦境に立つ朝鮮学校」  2014.9.15
         ジャステイン・マカリー ガーデイアン東京特派員



優しく教師に導かれ初級部の生徒達が教室を元気のよい歌声でうめつくす。廊下には彼らが初めて学んだ漢字の習字作品が並んでる。

白いTシャツ、ブルーの短パンに上履き姿、東京郊外の千葉にあるこの学校の生徒達は日本のどこにでもいる子供達と全く同じだ。ただし校内で聞こえる言葉は日本語ではなく朝鮮語であり、壁に掲示されているお知らせは全てハングルで書かれている。


北京でのハイレベル協議後、北朝鮮捜査当局は日本独自の制裁の緩和と引き換えに、拉致被害者の新しい情報を公表する準備を始めた。この取り決めは両国間において希少な緊張緩和の可能性を生み出している。しかし千葉朝鮮学校のキム・ユソプ校長にとって関係改善の好ましい知らせはあまりにも遅いものだ。『私たちの学校は核問題トロ地事件の怒りのあおりを受け続けている』彼は本誌にそう話す。『私たちは許しがたい差別を受け続けている。政治的な理由により朝鮮学校は日本の教育制度からも事実上除外されている。70年前この学校を建てた時、私たちの生活はとても苦しかった。しかしなんとか道を入り開き、自分たちの教科書も編纂し今日までやってきた。』彼は続けた。

『その頃は今みたいにカルト集団のようには見られてはいなかった。多くの日本の人々は私たちを進んで助けてくれた。』

その善意はしかしほとんどなくなってしまった。過去4年間都道府県、また多くの市は朝鮮学校への補助を保留している-戦前・戦中に労働力として強制的に日本へつれてこられた数百、数千万の朝鮮の人々が建てた学校だというのに。

総聯がこだわる彼ら独自の教育システムを運営することは日本の保守勢力との緊張の原因でもあった。何故?彼らは問う、非友好的な政権に忠誠をはっきりと宣言しているグループを日本の学校と同等に扱う必要があるのかと。


日本の批判的な人々は今、政界の長老達の中に見方を見出している。2010年、日本政府は15歳までの義務教育に続き導入された、高校無償化制度から朝鮮高校を外した。朝鮮高校の除外は2013年、日本の保守的な首相、安倍が政権をとった2ヶ月後正式決定となった。

当時の文部大臣下村博文は、朝鮮学校は政治団体による”不適切なコントロール”を受けていると主張した。同年、東京都が朝鮮学校への補助金を打ち切った9つの都道府県の最初の行政機関となったことで学校へのプレッシャーは一層深刻になった(東京には全国の朝鮮学校の1/3がある)

この流れは多くの朝鮮学校に深刻な財政難を引き起こした。千葉朝鮮学校の教師達は3年間、給料の一部しか受け取れず、何人かは教職を辞めて行った。

校長は、教師達は主体思想や先軍思想のエキスパートを育てることより、朝鮮の文化を愛する心を育てることにより関心があると言う。『勿論、私たちは金ファミリーを批判したりもしないし、また過激なこともしない。私たちのアプローチは、彼らは私たちの指導者であり、ゆえに尊敬すべきだと言う事だ』

私が何故日本の市民権をとらないのか、校長先生の子供達も日本の学校へ送り、朝鮮語と朝鮮の文化は家や夜学で教えようとは思わないのかと聞くと、彼は笑って答えた。

『良く言われます、日本人になって楽に生きたらどうだと。僕はそれをすると私たちの歴史を否定し、民族性を失ってしまうんですよと伝えます。子供達がここで朝鮮語を学ぶ時、彼らは外国語を学んでいるのではありません、それは子供たちの母国語なのです。』


ピョンヤンが少なくとも10数人の日本人を拉致したと認めた10年前から北朝鮮に対する日本の態度は強硬なものになった。2002年に5人の拉致被害者とその家族が帰国したが、残りの被害者は死亡したという主張を日本は信じることを拒絶した。2006年の核実験開始と長距離ミサイルのテスト発射は緊張状態を更に悪化させた。在日の人々はこの間、当y校の強硬派は日常的に在日を標的にしたと主張する。

ここ数年、在特会のような極右グループによるアンチコリアンデモが劇的に増加した。これを受け、先月ジュネーブにて人種差別の撤廃に関する国連委員会は日本に対してしっかりとヘイトスピーチと人種差別に対処する事と周回中の人種差別的な暴力と憎悪の扇動についての改善も要求した。


『在日の権利においてなにか進歩があったとは私は思わない。』と在日朝鮮人人権協会の事務局員、キム・ウギさんは言う。『日本政府は1960年代に朝鮮学校を閉鎖しようとしたが、世論によってそれは失敗に終わった。数十年経った今、またその動きがある。』

ジュネーブでの証言に参加したキムさんは日本の中心的な政治家たちの中で起きている歴史に対する修正主義、その不寛容な現在の流れを批判する。

安倍首相も戦時中日本軍によって運営された売春宿で強制的に働かされた数千の朝鮮の女性について証拠がないと信じる一人だ。

『日本の教科書では慰安婦に関する記述は2006年に削除された。』キムさんは語る。『日本の子供達は正しい歴史を学ぶことができない、之が私に子供がいたら絶対に日本の学校へ送らない理由であり、この歴史問題を解決できないのは私たちではなく、日本が抱えてる問題の例だとして日本人に話します。』

『今のままの状況が続くと20年、30年と朝鮮学校が存続できるかどうかわからない。私たちが日本に求めているのは教育の機会が懸念されていることに関し、国際的な基準を尊重してほしいということだけなのだ。』

右翼のデモは1990年代、拉致問題が明るみに出た頃を思い出させる。当時、通学の生き返りで女子生徒達のチマチョゴリの制服が切り裂かれるという事件が頻発した。



日本で育ったカン・チナさんは言葉による虐待の恐怖について語った。ひどい事に言葉の暴力を避けるため日本の学校のデザインと同じ制服を着て登校し、学校に到着すると伝統的なチョゴリの制服に着替え、下校時には再度制服を替えなければならなかったと説明した。現在、千葉の学校で朝鮮語を教えるカンさんは希望を持っている。背府が拉致問題を解決しようとしているので、日本の人々と在日はお互いの違いを乗り越えられるだろうと。

『日本で生まれ育っても私は朝鮮人なのです』23歳のカンさんは言う。『だからこの学校はw他紙たちにとってとても大切です。』

『私たちはフェスティバルのような学校行事では近隣の住民の方々と一緒に歌ったり踊ったりします。また地域の日本学校とは授業の交換プログラムも企画しています。このように草の根レベルでい互いに学び、理解することができれば全体の状況は改善していくでしょう。』

キム校長は彼女の楽観的な考えとは少し違うようだ。『授業料や補助金等々で明らかな在日に対する公的な不寛容は、在日を”内なる敵”と見なす増殖する極右勢力に自由裁量権を与えてしまっている。』

『あなたは私たちの祖先が好きで日本に来た訳ではない事を知っておかなければならない。私はいつも言っているのだが、日本が本当に近代的で国際的な国家であるなら、在日にどのような対応するかがある種、リトマステストになるだろう


原文はこちらです↓

http://www.theguardian.com/world/2014/sep/15/japan-korean-schools-tensions-pyongyang


この記事を読んで、何か感じてくだされば幸いです。