子どもに社会的役割があることに気付きました。それは大人に数々の出会いを作ってくれることです。子どもに感謝!
”光(ひかり)の人今井彰(文芸春秋2018年)”を読んで、カナダの国是「人種差別をまったくしないこと」に目がとまりました。「日本の国是とは何か?」ネットで調べると、日本の国是は「特になし」とあります😃国是とは、"国を挙げて是と認めた施政上の方針”いつの時代、どこの国においても、その国の繁栄、発展のために必要なものだと思います。国是を定めよう - 社会への提言 | 松下幸之助.com (konosuke-matsushita.com)「日本の国是とは何か?」 - 株式会社cubridge (cu-bridge.com)「是」という言葉には、「正しい」という意味があり、「国にとって正しい道」を示したものが「国是」。国是は憲法とは異なり、憲法以前にある国の方向性。国の標語と表現されている場合もあるとのこと。私の日本の国是提案は、「弱者を大切にする」です。弱者とは「子ども」「高齢者」「障がい者」「マイノリティの人」など、本人が望んだわけでなく、今困難に直面している人と言えて、100%の誰もが、「弱者になる」のです。カナダの国是(差別をしない)を含みます。日本の様々な基準が「健常な男子」なので、視点を根本的に変えて考えること。『弱者(弱き立場、力無きもの)』にすれば、幸せになれる人が増えると思います🙂大事なのは他人に対する「リスペクト(尊重)」です。置かれている環境は当たり外れ、不平等であっても「命の価値は平等」です😊子どもだから、女性だからと、強姦したり、労働を搾取したり、軽く見たりしてきた人。差別偏見は男性ばかりではありませんが、「今の男性中心社会」を変えなければなりません。世界はまだ未だ未成熟で、成熟に近づくには、男性は女性や子どもへのリスペクトを女性も自信をもって、意識を変えて、内なる愛の力 や協調性をもっと生かしましょう。オセッカイは愛です。「男性はタテ糸、女性はヨコ糸」という表現もあるように、女性は、争うよりヨコのつながりや対話をするのが得意です。タテ(組織)に従順な男性は、軍を作りやすく、組織に従順で上司に逆らわない、逆らえない人が多いので、戦争も止められないのです。平和な対話の外構をして戦争を避けるには、女性のヨコ糸力が必要です。女性が首相だったドイツ(メルケルさん)は、良い例ですね
戦後20万人とも言われる孤児を生んだ第二次大戦。日本は、今も続くウクライナやパレスチナ・イスラエル戦争と同じ状態でした。この本は、2020年に読んだ「駅の子」も孤児の実態を伝えてくれましたがこの本も戦争を考え、未来の日本を考える上で大事な一冊です。孤児を知ることで「親とは」「子にとって親の在り方」「「血がつながらなくても周囲の人が出来ること」を考えさせてくれます。親は我が子の成長過程で、期待し褒め続けるのです。・・・えらいね、お利口だねと褒めたたえるのが親。母親の言葉は子どもの未来に向かって発せられている。その期待を愛というのかもしれません。<戦争孤児>就職は、住み込みしかなかった。飯を食わせ寝かせてやっているのだと無給でこき使われた。勤め先をやめれば保証人もいない施設出身者は、さらに下層へと落ちた。P76児童憲章 昭和26年 日本国憲法の精神に基づいて定められた児童の権利宣言 一 児童は人として尊ばれる。 二 すべての児童は、家庭で、正しい愛情と知識と技術をもって育てられ、家庭に恵まれない児童には、これにかわる環境が与えられる。児童憲章を黙殺する国への怒りが使命感を駆り立てた。(P337)カナダは人種差別をまったくしないことを国是にしている国 (P214)子供が目の前にいない時、どこでどうしているのか、たちどころに頭の中で想像できるか否かにあります。本来は母親が果たす役割です。絶えず心の中で心配し、愛情を持っていなければ出来ないことです。それは必ず、子供たちに伝わります。(P249)昭和39年12月7日、佐藤栄作政権は入間基地でカーチス・ルメイ(アメリカ空軍少将:東京大空襲の立案・実行者)に、勲一等旭日大綬章を授与した。(P282)やはり日本は非常の国であった。茅ケ崎の図書館にもありますので、手に取って読んでいただければ幸いです。私は読んだ後購入しました😊
今年度は、南湖ハウスのメインの活動として「性教育」に取り組んでいて、その勉強もあって様々な「性」に関する本を読みまくっています😄避妊男子 - 花伝社 (kadensha.net)この「避妊男子」もその一つで、先日2月17日に東京の北区滝野川というところまでイベント見学に行った際、主催してくださったピノッキオと早稲田里親研究会代表の川名はつ子さんに紹介してもらった本です。1月10日にも「射精責任」をこのブログで紹介しましたが、射精責任が女性の著者だったのに対して、「避妊男子」は、男性自らが「避妊」について研究した本です。歴史的にもざっと100年前から研究されていたのに途中で頓挫(理由はこの本を読んでください)。射精責任 ガブリエル・ブレア著 [太田出版] | 子どもは地域のみんなで育てよう! (ameblo.jp)「射精責任」と「避妊男子」を読むと、女性だけに『避妊』を押し付けてきた長い歴史があり、『望まない妊娠』をして、出産や中絶を命がけ、余儀なくされてきた女性の大変さを男性にもわかっていただきたいと思いました。ピル(経口避妊薬)も飲めば、嘔吐や生理不順も招くようですし、避妊男子の中には、「彼女がかわいそうだから自分が避妊する」と避妊パンツ(ヒートパンツ)を自ら製作しているということでした。😊男性も心優しい人が多くいることもわかって、「避妊」を男性も考えて実行してくれているし、もっとそう考えてくれる人が多くなればいいなと思います🙂
この本は、小さな映画館の書棚にあって手に取り、購入しました。RESPECT 男の子が知っておきたいセックスのすべてRESPECT 男の子が知っておきたいセックスのすべて (gendaishokan.co.jp)と副題があり、内容的には男子が読んだ方がいいことがたくさん書いてあるけど、女子も「男の子の気持ちや考え方」がわかるので、読んだ方がいいと思いました。今もって、どこの国でも男女間のジェンダー問題やギャップがあると思います。この本の著者が繰り返し言っていることは、相手へのリスペクト=「相手の気持ちを尊重する」ことです。相手の「ここまではいいよ」を尊重して、確認しながら進めましょう。対等な関係、平等な関係 セックスは義務じゃない!
たくさん人を殺した人は死刑。これで、日本の社会は安心なものになるのでしょうか?この問いを考える本に出合いました。書き留めた部分を何度も読み返すために貼り付けます。一緒に考えてみましょう。死刑について。***********************社会の側の怠慢を問わなくてよいのか(P37)1999年 山口県光市 母子殺害事件2012年 死刑確定 加害者18歳 彼の生育環境 本来なら、そういう状況に置かれている人たちを、私たちは同じ共同体の一員として、法律や行政などを通して支えなければならないはずです。しかし、支えられることなく放置されていることがあります。 放置しておいて、重大な犯罪が起きたから死刑にして、存在自体を消してしまい、何もなかったように収めてしまうというのは、国や政治の怠慢であり、そして私たちの社会そのものの怠慢ではないでしょうか。・・・根本的な問題が解決されていない以上、同様の犯罪は繰り返されます。これは行政や立法の不作為と言ってもよいでしょう。人を殺してもよい社会とするのか(P41) 「なぜ人を殺してはいけないのか」という問い 刑罰を科す側は倫理的に優位に立っていなければならないでしょう。でなければ、刑罰としての意味を持ちません。お前が殺したのなら、自分たちも殺すというように、同じレベルにまで国家や社会が堕落してしまっては、法制としての刑罰を科すことは倫理的にできなくなってしまうはずです。政治日程との兼ね合いで命が奪われる(P42) 死刑執行がどのように決められ、どのように行われているのかなどの情報の開示がない・・・実際には、誰にいつ執行するか、どの時期に何人執行するかなどは、政治と官僚組織の中でとてもシステマティックに議論され、しかも、ほとんど恣意的に決められています。意味を失う犯罪抑止効果(P45) 日本のように死刑制度がある国では、自暴自棄となって通り魔的な殺人を犯した犯人が「死刑になりたかったからやった」と述べる事件が、2000年代に入り相次いで起きています。・・・例えば、大阪教育大学藤久池田小学校で8人もの児童の命を奪った事件(2001年)の犯人が、自分の犯した罪を反省した、ということはなかったでしょう。暴力で言うことを聞かせる社会の危険性(P51) 本来、人間の社会の中では、自分の意思を実現させたい時、相手と話し合いをしなければなりません。自分がこうしたいと思っても、そうしたくないと思う人もいる。その時には、相手の意見を聞いて、相手を説得したり、あるいは、自分が譲歩したりという様々なプロセスを経て、たとえ少しであっても、自分の意思が実現できる方向に動いていくわけです、」民主主義的な社会の最も基本的な仕組みとも言えます。 ところが、暴力というのは、そうした複雑なプロセスを経ることのない、非常に単純な方法です。相手を力でねじ伏せて自分の言うことを通してしまう。死刑制度がないことが前提だったら(P54) 例えばフランスは40年前の1981年10月に死刑制度を廃止しています。世論調査でも半数以上が死刑を支持している状況下で、ミッテラン大統領が公約に掲げた死刑廃止を大統領就任により、議論を経て廃止された。基本的には政治決断だった。 犯罪被害者の司法に対する憤りには、愛する人を無残に殺されたにもかかわらず、司法の場で「極刑がやむを得ないというほど、悪質とは言えない」といった類の裁判官の言葉を聞かされることにもあります。しかしこれは、最高刑が死刑かどうか、ということとは別問題です。「犯人をゆるす」ことと、「死刑を求めない」こととは一度切り離して考えるべきでは?(P58)死刑を求めないからといって犯人をゆるしたと考えるのは短絡的。全国犯罪被害者の会 安田好弘弁護士 なぜ死刑廃止を訴える人たちは、自分たち被害者がこんなにつらい目に遭っていることに目を向けず、犯人の命や人権のことばかりを主張するのか。そう感じている。その怒りは、犯罪者だけでなく、むしろ司法制度に対する怒りも強くあります。しかし、世間はそこには無関心。・・・そもそも、被害者に対するケアという視点が、この国ではとても弱いと感じます。彼らが今後、生きていく上で困らないような手厚い金銭的、精神的、現実的な支援が必要なのではないでしょうか。(P62)「ゆるし」と「罰」が持っている昨日(P63) 復讐心を抱いて、相手を憎しみ続けるというのは、際限もなく生のエネルギーを消耗させます。被害者を、その人生の喜びから遠ざけてしまうことになります。この憎しみに終止符を打つものとして、「ゆるし」と「罰」があるとアーレント考えたわけです。 被害者の中で「死刑を望んでいない」という意見に批判がある。それによって、被害者が再び傷つくことがある。「生きて罪と向き合い続けてほしい」という声が社会の無理解や多様性とはかけ離なれた形で抑圧されている。犯罪被害者の会 ミシュカの森 世田谷一家殺害事件の妻の姉 入江杏さん P65 人権の翼 山口女子高生殺害事件 の母 中谷加代子さん入江さんと 加害者を責めるのではなく、被害者遺族からの語りかけで「思い」を届けることが、誰もが幸せを感じて生きることができる社会をつくるための着実な一歩になる。国家による合法的な殺人には否定的。「罪を犯してしまった人に必要なのは、向き合い、反省、謝罪、更生、そして未来の自分を生きることであり、そのための時間。死刑はその時間を奪うことになる。「自分が被害者だったら加害者をゆるせるか」「被害者の気持ちを考えたことがあるか」という問い憎しみに特化した被害者への理解や共感でなく、もっと繊細で複雑な被害者家族の想いに寄り添うべき。P70日本における人権教育の失敗 (P71)小中学校では「相手の気持ちになって考えましょう」式の感情教育に偏っていて、個人として有する当然の権利としての人権について、歴史的、概念的に説明するということはほとんどなかった。人権を感情面だけで捉えてしまうことは、共感できない相手に対しては、差別も暴力も、何の歯止めが無くなってしまう可能性が高まる点で危険。(P72)・・・むしろ授業では、とても共感できない人の人権をこそ尊重するケーススタディが必要ではないでしょうか。(P74)死刑についての考え方とも深く結びついていて・・・死刑囚になるような、心情として共感しにくい人物について、日本では権利の問題として考えるという発想がとても希薄です。「死刑が支持される理由」としてメディアの影響 (P76)死をもって罪を償うという文化(P79)「死んでお詫びをする」切腹。死に謝罪や責任を取る意味を認める文化。自殺することで、罪を償うことが潔いものとして肯定される文化。 表裏一体で、「過ちを犯した人間は死をもって償うべきだ」という発想は、日本特有の文化ではないか。「のうのうと生きている」・・・存在の抹殺死刑廃止派の中にも「死ねば殺した責任を果たせるわけではない、生きて償ってほしい」神の存在を意識しているキリスト教やイスラム教とは違い、神の存在、死後の世界に対する観念がとてもあいまい。・・・人間社会で起きたことは、すべて人間社会の中で解決しなければならないという考え方につながっていきます。・・・この社会に自分たちの手で地獄をつくらなければならないという発想。(P84)「税金の無駄遣い」を厳しく問う排他主義(P90)救済されるべき人とされるべきでない人役立たない者、害となる者税金を使うべきでないとする者、外国人(在日コリアン)。税金を納めているのに。参政権は?生活保護の不正受給者の率、0.4%程度。必ずしも悪質とは言えない。先進国では極端に低水準。むしろ、必要な人が適切に受給できていない日本。死刑についても「税金で生き長らえさせることは許さない」という声、それで本当にいいのでしょうか?アベノマスク、オリンピック、武器の大量買い、には無批判。死刑をめぐる議論は、とかく感情的にヒートアップしがち。(P93)深刻で難しい問題を、粘り強く冷静に話し合うことは、民主主義社会に生きている私たちに負わされた課題です。国際社会を視野に議論する(P93)日本国内だけで議論しても限界がある。自明なことと捉えられ、疑問を持つ余地がないから。海外では、いろんな和解やゆるしの実践が行われている。(P95)基本的人権から考える必要性(P96)死刑という問題はやはり基本的人権から考えていかねばならないと思います。その意識が、日本社会ではあまりに欠如しています。人間は誰からも生存の権利を奪われてはならないという大前提について、社会的な認識が深まる必要があります。他者に心情的な共感を持てるということは、社会にとって非常に重要です。しかし、罪を犯す人の中には、そうした共感能力に問題を抱えている人もいます。だからこそ、犯罪抑止のためには、共感するよりも人権の理解が重要であり、そうである以上、死刑制度は背理なのです。すべての人間が、人権という権利主体であることを認めた上で議論していなければ、人間による人間の選別が際限なく行われていくことになってしまいます。(選別は死刑か否かも含まれる) *岡山の事件を「人間業とは言えない」という憲法学者、戦争犯罪はほとんどが人間業ではない。基本的人権の尊重人間が、「人間らしく生活するために生まれた時から持っている権利」が、基本的人権です。そしてこの権利は、侵すこと※のできない永久の権利として日本国憲法で保障されています。※侵す:邪魔する、なくしてしまうという意味被害者のケアと加害者への視点 死刑廃止運動では、ともすると被害者へのケアの視点が欠け、加害者の人権ばかりが主張されているように見られてきました。 社会自体が、加害者への憎しみという点で被害者に共感するのに、社会から置き去りにされ、孤独な状況に追いやられている被害者へのケアはけっして十分ではない。 僕は国家に優しくなってもらいたいと思っています。政治の世界でも、人事権をもって相手を従わせようとする姿が散見されます。恐怖心による支配の究極が死刑制度です。 被害者への共感を犯人への憎しみの一点とし、死刑制度の存続だけで、被害者支援は事足れりとしてきたことを、私たちは反省すべきです。 被害者がどこまでも尊重され、被害者を社会的にどう救済していくべきかを考えることが、・・・加害者の置かれてきた劣悪な生育環境などにも目を向けていくことにつながっていくはずです。劣悪な環境に置かれている人たちへのケアという発想が生まれれば、犯罪の加害者となってしまうのを未然に防ぐこともできるでしょう。少なくとも、国はそういう努力をしなければならないはずです。ある男 立法と行政の失敗を、司法が、逸脱者の存在をなかったことにすることで帳消しにする、というのは、欺瞞以外の何ものでもなかった。戦争の反省から生まれた憲法において、三権分立が、間違った使い方で法が作られ、裁決されると、戦時中のように冤罪で死刑になることもまかり通る恐れが増す。想像力をもって国民は死刑制度の使われ方を考えなくてはならないのでは?「憎しみ」の国か、「優しさ」の国か 被害者に寄り添うから、死刑を維持すべきと考えるのか。被害者に寄り添うからこそ、死刑を廃止すべきと考えるのか。「憎しみ」で連携する社会か、それとも「優しさ」を持った社会となるのか。死刑をめぐる議論は、この国と社会をどのようにしていくかという深い議論につながっていく問題だと、僕は考えています。P117死刑が国家による殺人であることは否定できない。死刑の肯定とは、一つの思想である。しかしそれが変化しないとは必ずしも言えまい。粘り強く対話する
ガブリエル・ブレア著 村井理子訳 齋藤圭介解説 この本は「望まない妊娠」の不安を解消し、生まれてくる命と母体への負担を激減させる前向きな提案と読み取れました。異性の体のことについて、詳しい人は少なくないと思いますが、最低限以下のことについては知っておく必要がありそうです。 ●望まない妊娠は、男性が無責任に射精した場合のみ起きる● 男性の意識転換と協力で「望まない妊娠」は激減する●女性の排卵時期は予測できない● 精子は射精後5日間生き続ける●男性の生殖能力は女性の50倍で一生続く●排卵はコントロールできないが、射精は管理できる● 女性の避妊具は手術と痛みが大きい● 男性の避妊具はリスクも少なく安価で簡単以上のことから、男性が避妊するのが生物学的にも無理がなく、望まない妊娠への確率も下げられそうです。「望まない妊娠」で喜ぶ人は当事者(子ども)を含めていません。たとえ養子縁組をしても実母子ともにトラウマ(捨てた・捨てられた)をかかえて生きていかざるを得ないのです。「望まない妊娠」とは、子どもの人生に対し、この上なく失礼です(子ども達の声を聴いてきたので)。上記以外にも「射精を管理すること」による効用として、以下のことが挙げられます。● 親になるタイミングをコントロールできる(余裕をもって子育てできる)●女性の生命、仕事、経済的・社会的な影響を無くす● 妊娠する不安や心配無しにセックスできる避妊について 避妊は男性の精管結紮術(せいかんけっさつじゅつ)と女性の卵管結紮術(せいかんけっさつじゅつ)やコンドーム、経口避妊薬などがあります。精管結紮術(せいかんけっさつじゅつ)=「パイプカット」という名前の方が一般的女性の卵管結紮術は、男性の精管結紮術(パイプカット)に比べて麻酔や手術の危険性が大きく、術後の苦痛も大きいので、どちらかが避妊手術を受けるのであれば、男性側が受けるべきと言える。男性にとって、全身で最も敏感な部分にメスを入れるわけなので、恐怖感があったり、激しい痛みを伴うのではないかという心配があったりすると思うが、手術は短時間(15分程度)で済むうえに、ほとんど痛みを伴うこともなく、思っている以上に負担の少ない手術。また、手術後も、手術前と変わらず精液を出すことはできる(違うのは、パイプカットをしたのちは、精液にほとんど精子が含まれなくなる)。 <吉沢クリニックHP参考><感想>タイトルからして、男性が責められる本なのかと思いましたが、そうではなく、「望まない妊娠」をしないための避妊方法や「妊娠する確率を下げるにはどういう行動が効率的か」という内容が印象的でした。ガブリエルさんも「男性には耳が痛いかもしれませんが」と断りながら、「男性は、一度理解すれば責任ある行動をするし、この話題をすればするほど、男性は責任をもって射精するようになる」と言っています。「反論も対話の一つ」と言っていて、この本をきっかけにオープンに「性を語る」のに良い本だと思います。軽く読めます!男性が責任ある射精をすることによって、女性も余裕をもって子育てできて、 親になるタイミングをコントロールできるということは画期的なことです。社会的養護の子どもの多くが父親が違う5人兄弟というのはよくある話です。私の母も10人兄弟でしたが、昔は尚更女性が男性への拒否権は無かったし、命がけの出産を強いられていたのですね😥
10/11に「性教育のこれから」についてチガラボチャレンジで、「助け未来21」の西さんと発表しました😄!ずっとしなくちゃと思っていたけどなかなかできなかった「性教育」。でも、今回のジャニーズ問題がきっかけになりました。性教育イベントの報告 | 南湖ハウス (nangohouse.net)図書館で借りた本は3冊①えほん「いいタッチわるいタッチ」安藤由紀(岩崎書店)②えほん「いや!というのはどんなとき? きたがわしょうこ(アニー出版)③親子で考えるから楽しい!世界で学ばれている性教育 上村彰子・田代美江子(講談社)最も大事なのは、性的同意(意思確認)は意見表明(権)だと思いました。(P98) ・相手の同意を確認する 「キス」「タッチ」「セックス」どこまで? ・相手の気持ちの前に「自分の気持ち」を大切にする。 ・NOと言われても「存在を否定された」わけではない。 ・日本の刑法では、激しく抵抗したり、抵抗できないように拘束されたりといった「暴行・脅迫」要件が無いと加害者の「同意があると思った」という主張が認められてしまう。 ・デートDV、支配、束縛、暴力、主従関係、上下関係、不平等、全ては人権侵害につながる P134 ・デンマークでは2020年「同意のない性行為を犯罪とする」。積極的な同意「イエス」以外はレイプと見なされる。意識し直す点については¡ 「意思を伝える」には、日ごろの「伝える」練習と親や大人とのコミュニケーションが必要¡ 「二人きりになったからと言って同意ではない」セックスの同意ではない!¡ 性的同意の壁に「雰囲気を壊す」「つきあう=セックス」が当たり前ととらえている人もいるけど、そこは明確に!¡ 性の話は、恥ずべき話でもはしたない話でもなく、生きていく上で重要なこと 他にも性の問題はいろいろ避妊方法・性感染症・予期しない妊娠・中絶とリスク・不妊・社会的養護・多様な家族 ・アフターピル(緊急避妊薬) 性交後24時間以内で95%、72時間がタイムリミット ・予期しない妊娠を「どうしたいか」は妊婦に聴く。養子縁組という選択もある。 ・未成年で妊娠した女子のも「教育を受ける権利」の保障と一人親サポートの充実を ・LGBTなど※秋田県で2004年度から中高生に対して妊娠、出産、避妊、性感染症などについての性教育をスタートしたら、2011年度には人工中絶率が3分の1にまで減少した。➡性行動に慎重になるのです!友達と、家族と、周囲のいろいろな人と、性について率直に語り合う実践こそが、子ども・若者を大切にする社会づくりに直結していくとあり、性を学ぶことは人権を守ることだと認識を新たにしました!😀
2016年に初めてお会いした座間市役所の林さん。今回この番組で久しぶりにご活躍ぶりを知ることができました。ETV特集「断らない」 ある市役所の実践 - NHKプラス9月23日までNHK+で配信されて見られますので是非、一緒に後で話し合えたらと思います。周囲の方にもこの番組のことをお知らせ(拡散)いただけたら幸いです。 ETV特集「断らない」 ある市役所の実践 NHKEテレ 9/16 (土) 23:00 ~ 0:00 (60分)「誰も断らない」をモットーに、困窮者支援に取り組む神奈川・座間市。「住む所がない」「なぜか仕事が続かない」あらゆる悩みに耳を傾ける先進的な取り組みに半年間密着。「なぜか仕事が続かない」「家から出られない」―神奈川・座間市役所では、『誰も断らない』をモットーに、困窮者支援に取り組む。きっかけは、国が2015年に始めた生活困窮者自立支援制度。「仕事が続かない」隠れた背景は?「家から出る」意欲を、社会につなげられないか。市役所では一人一人の声に耳を傾け、地域のNPOなどと構成する“チーム座間”が自立まで伴走する。独自の支援を模索する取り組みに、半年間密着した。
サイコセラピスト網谷由香利さんのまとめた「子どものこころが傷つくとき」を読みました。子どものこころが傷つくとき―心理療法の現場から | 網谷 由香利 |本 | 通販 | Amazonこの本と出合ったのは、茅ケ崎市立図書館で、直感で手に取り、その後購入して線を引きまくっています。事例も多く、繰り返し後述して深めているので何度も繰り返し復習できるテキストになります。様々な事例を他人事と考えず、ちょっとでも自分の琴線に触れたことは、心に留めておくことが大事です。母親と父親の関係大人の病理が子どもに感染する子どものこころを治療するための場所子どものファンタジーが子どものこころを癒す子どもの前にまず、大人のこころが健康であることが先って感じですね。頭で子どもを理解しようとすることは出来ない。自分が子どもの時のこころで追体験して、子どもに寄り添うこと。セラピストには資質や辛抱強さが必要で、なかなか大変な仕事だと思いました。でも、こうしたプロは必要ですね。地域のおばちゃんも少しでも近づけるようになれたらいいなと思いました。
西欧を旅すると、ちょっと歩けば教会に出会う。その点は、日本も同じで寺や神社は多いと思う。ただ、そこに親しみや日頃の関係性があるか、コミュニティがあるかが大事なのだと思った。生きていれば、良いことも悪いことも謝りたいけど謝れないこと理不尽なことをしたりされたり、モヤモヤすることがいっぱいだ!そんな時、話を聴いてくれる人が必要。西洋では教会がその役割を果たしているし、懺悔室はその場所なのだと思った。ある教会の懺悔室一方日本はどうだろう?戦前や70年代頃までは、寺はそうした役割を担っていて、住職さんはそれゆえに尊敬されていたような気がする。何で檀家と住職の関係が希薄になったのだろうか?瀬戸内寂聴さんみたいな方は良いモデルだが、今は寺は墓守の役割くらいにしか思っていない人も多い。どっちが悪いというよりは、お互い様なのだと思うが、最近の簡略な葬式でさらに縁遠くなった。孤立の深まる日本人は、近親者でない安心できる人を身近なところでつくった方がいい。我が家も「ただ聞いてくれればいいの!お母さんの意見は求めて無いの!」と言われる😅 親は子どものことを一番わかっていると思っているが、だからこそ黙って見守る精神力が必要なのだろう。難しいけど
西欧は石の文化に対して、日本は木と紙の文化。その地域ごとに特徴のある素材があって、それを使って人は住居を作ってきた。38年前には表面的なところしか見えなかったが、今回は飲食店などでトイレなど建物に入った時気がつくことがあった。それは、西欧の建物の多くに地階が存在するのではないかということ。陸続きなので侵攻されやすく常に市民には脅威があるので、シェルターとしての機能を備えているのではないかな。平和なの時はワインや食料の倉庫にもなるしこれはサクラダファミリアの地下。ここにも別の地下教会があった😯また、今回の旅行で最も好きな地域イタリアのアルベルベッロは、大戦前に保存地域になったと冊子に書いてあったが、国や世界が文化財保護の認定をすることは、平和にも貢献すると思った。一時的な権力者の感情で戦争を行い、人が何百年も守ってきた文化財を破壊することの罪は大きい(絶対にやってはいけない!)。アルベルベッロの教会平和があってこその観光である。互いの文化を認め合い、先人へ守ってきてくれた感謝をする。自分が正しいと思って戦争を続けるプーチンのような人には、文化への造詣と謙虚さを持ってほしい。
今回の旅で、西欧は地域の観光資源の建築物(教会や遺跡など)で観光客を惹きつけて観光業を活かしているなと思った。今問題になっている外苑前のイチョウ並木(坂本龍一さんが発信)を何の権限や意識があって伐採することになっているのか全く理解できないが、一度、小池都知事にはロンドンや西欧諸国の街を自分の足で見回ってほしいと思う。ロンドンのちょっとした公園でも高い木(木陰をつくり人々の心に安心を与えている)パリでも背の高い街路樹がまちを美しくしている。グラナダの街 赤屋根と白い壁、緑の調和が美しい。
日本では当たり前のバスタブも西欧ではシャワーが通常だ。ローマの民泊宿今回泊った宿は全部で12箇所だったが、お風呂がついていたのは2か所のみ。ローマとグラナダだ。自宅に帰って入ったお風呂は最高!西欧と日本の比較で、日本の課題が目についたが、日本の良さは靴を脱いで生活することとお風呂かな。畳は欠かせないと娘が言っていた😊
街を旅をすると必ず出会うのが路上生活の人だ。彼らの背景は様々で事情はわからないが、国によって行動の違いがあるように思った。ホームレスは、難民という印象はなく、集団でなく個人だ。イギリスとフランスでは大人く、白人が多かったが、イタリアのベニスとローマでは積極的にコップをもって人々にアピールしていた。ただ、都会ではないアルベルベッロでは出会わなかった。人が集まるところに多い旅人という点では、路上生活者もツーリストも変わらない。体を清潔に保つことは生きて行く上で大切なことと改めて知ったので、それができないことは食の確保と同等に大切なこと。今回の旅では、「社会的弱者は生活の質が保てないことが問題であること」がわかる貴重な機会だった。
西欧旅行をしていると感覚的には外国人の1割〜2割の人がタトゥー(入れ墨)をしている。街歩きしているとたまにこのような店を見かけ、西欧ではタトゥーはファッションの1つになっているようだ。日本のようなヤクザという特別視するイメージは無い。日本で今はどうなっているのかわからないが、外国人観光客を受け入れ、観光産業を発展させるのであれば旅館やホテルで「入れ墨の方は大浴場に入れません」の看板は検討が必要だ。これは行政と共に国レベルで考える必要がある。今回の旅をして、日本がいかに「多様性」を理解していないかを自身で体感した。”自分が多様な人間の一人であること”を理解するには、外国人の中に身をおいてこそ、実感し理解できるのかもしれない。その意味では、国会議員は元より議員の方々は市政、県政の多様な人への受け入れを考える上で海外視察は不可欠だと感じた。しかもそれは、公費でなく、民泊などを利用して市民目線で訪れることが大事だ。議員だけなく、大人も子どもももっと外国の人と触れ合い、多様性への理解と感謝をし、意識を変えていかないと、先々日本自体の存続が危ぶまれる気がする🙂 国づくりは一朝一夕に変わるものではないので。
今回の旅で日本で言う入湯税のような料金を宿泊施設に払っている。イタリアでもそれはバラバラで、一人一泊 1€〜5.5€くらいまでの差がある。観光地の維持には建物やインフラ整備ゴミ処理にもいろいろお金がかかると思う。だから税金は取って当然かもしれない。ゴミが一番気になったのはローマだったが、どこの都市もゴミ箱は公共の場に設置されていて、分別できるようになっていた。ゴミを回収する人は、アルベルベッロとバルセロナでは早朝や夜遅くに掃除と回収をしているようだった。この時間帯なら観光客にも影響が少なく、時間の使い方が上手いと思う。ベニスなど古い都市で車が使いにくい場所ては、飲食店ではゴミ出しをマメにしていた。道にゴミ袋が多数出ているのはきれいではなかったが、どの都市でも大きな課題なのだと思う。ローマはゴミへの意識が残念だったアルベルベッロのゴミ箱。街はきれいで、各家庭では夜ゴミをバケツに入れて屋外に出しそれをゴミ回収係が集めるようだ。(早朝散歩で見かけた)日本では、街からゴミ箱が消えて自助の持ち帰りを促しているが、生きていればゴミは出るのだから、常に良い方法を予算を含めて検討していく課題だと実感した。バルセロナの街。右奥の路上に大きな分別ゴミ箱が設置されている。西欧では基本車は道に縦列する。一方通行も多い。最後の宿泊地マドリードの朝、向こうにワンコ2匹を散歩させている人がゴミ箱の向こうに見える😊とにかく掃除している人が多かったというのが印象深かった😮😯
西欧はキリスト教が基本なので、ちょっと歩けば教会や日本のお稲荷さんのように祠のようなマリア像やキリスト像が埋め込まれている。絵画も彫刻もキリストの誕生の母子像から十字架にかけられるところを様々な人が描いていて、その信仰は代々子どものころから当たり前のように引き継がれているのでしょう。マリア像と日本の観音像は西洋と東洋の違いがあるものの基本的に同じと感じる。日本では観音像は特別なところでしか見られないが、もっと町中の展示が増えると、児童虐待も思い止まるかもしれないと思った🤔マリア様は神の子としてキリストを妊娠した。そして、その子は役割を持って生まれた。これってキリストに限らず、どの子どもにも何か生まれた意味があるのでは?と答えを探して生きるのが人生なのかも🤔これはトレドの教会で日本ではゼロ歳児から保育園に預けることがいつの間にか当たり前になりつつあるが、スペインでは学校へのお迎えも親や親族が行っていた。鍵っ子は異常なのではないかと再確認した🤔。国は母子や親子関係への哲学をもち、科学的にも裏付けされた政策と意思を持って国の基本である「人育て」をしてほしい。3歳までは親が仕事しなくても一人親でも生活が保障されるとか。愛着形成時間の確保に予算をしっかり付けてほしい。
旅行中の移動は電車とバスを多く利用した。そして、日本とは違うところをたくさん見掛けてこのバリアフリーには、国の優しさ、旅行者への配慮、そうしたことへの意識が社会インフラへの投資(時間とお金)に関わっていくのだと思った。イギリスの地下鉄車内ホームと電車の段差もほとんど無かった🙂素晴らしい!スペイン コルドバのバス内の車椅子スペース
旅は重いスーツケースを持ち運ぶので、歩道と車道の段差が身近で、国や市のインフラ整備や考え方を目の当たりにする。イギリスからずっと気にしていたが、旅行者が多いせいか概ね良く考えられていた😮ロンドンイタリア ミラノイタリア バーリまた、フランスは特に歩行者、自転車、車道も明確にしていてよかった。
今時の旅行はWiFi環境は必要不可欠だった。この旅日記もホテルで書いている。旅先で買えるsimカードは国をまたぐ旅なので、今回は成田空港で借りたレンタルのWi-Fiを借りていたが、立ち上がりが遅かったり弱かったりという難点はあったが、何とか機能を果たしていた。娘は市内の地図もバス停も時刻表も全てSNSを使って調べていた。今回の旅でこれまでの旅との大きな違いはスマホ環境の変化だ。老若男女問わず、ほとんどの人がスマホ片手に動いている。日本の高齢者にはない光景だった。