今日、目に付いた記事は、これかな。 


軽犯罪法違反、韓国は日本の44倍(朝鮮日報)


 やっぱり、文化というか、道徳観というか、そういうものがだいぶ違う気がする。

いや、ここでは、韓国の道徳のあり方を批判するのが趣旨ではない。


 そうでなくて、もし「東アジア共同体」のようなものができて、日韓の国境の垣根が低くなり、人の往来が激しくなったときのことを考えたい。


● 移民の増加 → 人権擁護法案の制定という流れ


 もし日韓の人の往来がいまよりもっと増え、近くに韓国人がたくさん住むようになると、たとえば上の記事の指摘しているような「軽犯罪」の多さがきっと日本人には目につくようになるだろう。


 そうなると、いろいろ日本人と韓国人の間で、いざこざ、軋轢が増えるであろう。それは自然なことである。でもきっと、韓国のマスコミ、および日本の韓国びいきのマスコミや政党は、日本人の批判を始めるであろう。


 それに対処するため、すごく厳しい「人権擁護法案」、「反差別法案」のようなものが策定されるにちがいない。これは、いま考えられている人権擁護法案よりもずっと厳しいものになるはずである。(もともと移民推進派の中川秀直氏は、日本の移民国家化と、「反差別」のための人権擁護法案の制定はセットだと言ってたし。)


 その結果、お互いを刺激するような言論は極端に取り締まられるであろうし、罰則もいまとは比べものにならぬほど、重くなるであろう。そして、自由のない管理国家(警察国家)が登場することになる。


● 仲間意識のない人々をまとめるには権力が必要


 以上の例が示すように、もともと習慣やものの見方を異にし、仲間意識のない人々の間に、秩序を作ろうとすれば、それは力によるものしかない。


 日本がいま自由なのは、人々の間に曲がりなりにも仲間意識があり、厳しい管理が必要ないからである。

 対照的に、たとえば、中国が、決して民主化できないのは、中国は多民族国家であり、もともと実は仲間意識などほとんどなく、ほうっておけば、ばらばらになり分裂してしまうため、そうならぬよう人々をがんじがらめにしておく必要があるからである。


 日本を移民国家化しよう、あるいは「東アジア共同体」なるものを作ろうといっているノーテンキな連中が理解していないのは、この点である。


 つまり、仲間意識のない人々をまとめるためには権力しかない!という事実である。つまり、仲間意識がなく、むしろ敵対心の強い人々の間に秩序を作り出すためには、自由や民主主義を停止し、管理国家、警察国家になる必要があるということである。


 残念ながら、日・中・韓の庶民の間に、深いレベルでの同胞意識は、まったくない。それぞれの国・社会の発展の歴史的経緯がまったく違うわけだから、当然である。(実は、文化もそれぞれまったく違う。特に、日本と、中韓は、たとえば儒教の受容の度合いや家の観念などを取り上げてみても、まるで異なる。)


 仲間意識がないこの地域に、無理に、無分別な政界、財界主導で、「共同体」なるものを作ろうとすれば、やはりまとめるために権力が必要となるのは明らかである。(そもそも、「東アジア共同体」の大部分を占める中国は、いまでも民主国家ではないので、「東アジア共同体」が民主的になるわけがない。自明である。)


 人の移動の自由が保障され、中、韓などから多数の人々が日本に訪れ、住むようになると、政府(「東アジア政府」か、ときの傀儡日本政府かは知らぬが)は、「反差別」、「人権擁護」のために、全体主義的秩序を敷くであろう。そうならざるをえない。


 移民推進論者、「東アジア共同体」推進論者は、自称・リベラルのつもりでも、実は、非民主的な全体主義的秩序を日本にもたらそうとしているのである。


 この点をよく認識してほしい。


 アジア地域が必要としているのは、統合ではない。まずは、大陸地域の民主化であり(おそらくそれは大陸地域に複数の国が生じることを意味する)、そして、その後の平和的な棲み分けの秩序である。