父が亡くなった。一晩眠ったけれど、気持ちの整理が全くつかない。心の中がグチャグチャになっている。
一週間ほど前から危険な状態に陥っていた。僕が父に何をして、何ができなかったのか、何をすべきだったのかを思い出そうと、スマホの送信メールを読み返していた。病院に行った時、母や弟に状態をメールで簡単に伝えていたから。
読み返していると、危険な状態は、もっと以前から始まっていたことが分かった。一体いつ頃から危なかったのか。スマホは昨年2017年の年末に買い換えたけれど、その前のガラケー「N-01G」は、まだ手元にある。そっか。父のことを思い出すために、こいつを捨てられなかったんだな。「N-01G」は、送信メールを1,000件まで保存できる。一番古いメールは2016年7月のものだった。
●2016年7月9日(土)
父と母をピックアップして、クルマで病院に連れて行く。父は2003年に発症した脳梗塞によって右半身にダメージを受けた。特に右足の指は、なぜか親指のみ反り返り、他の4本は内側に曲がってしまい、右足を引きずるようにしか歩けなかった。また、脳梗塞の結果かどうかは分からないけれど、認知症も進行していた。この頃、身体機能の衰えと認知症がさらに進み、前月に検査を受けている。結果、新たな脳梗塞はできていないが、足に水虫ができているとのことで、母が皮膚科に連れて行ったもしていた。母もかなり疲れていた。母も僕も、父をさまざまな病院に連れて行ったので、この日、どこの病院に行ったかは覚えていないけど、たぶんリハビリに通っていた病院だと思う。
●2016年7月24日(日)
娘を連れてクルマで実家に行き、父を理髪店にクルマで連れて行く。その後、理髪店から父をピックアップし、ファミレスで食事、買い物。家の手伝い。父の爪を切る。いつ頃からか、6週間スパンで父を理髪店に連れて行き、3週間スパンで父の爪を切るようにしていた。
●2016年7月31日(日)
娘を連れてクルマで実家に行き、昼過ぎまで家の手伝い。この頃、すでに父は、ほとんどしゃべらず、映っているテレビもあまり見ず、ずっと目をつむって、リビングのソファに座っている状態だった。帰り際、「お父さん、お茶飲んでくださいよ」と必ず言っていた。なぜか水があまり飲めず、麦茶や甘いコーヒーしか飲まず、水分をとらない、とれない人だった。
●2016年8月7日(日)
娘を連れてクルマで実家に行き、昼過ぎまで家の手伝い。古新聞を子供会の回収場所まで運んだり、庭の草取りなどやる。当時、母の右腕の調子が悪く、タマネギやニガウリを包丁で切っていた。
●2016年8月14日(日)
妻と娘を連れてクルマで実家に行き、帰省した弟も含め、食事に行く。夕方、家に戻る弟と母を実家からクルマでピックアップし、駅まで連れて行く。以前は、父も一緒に連れて行っていたのだけれど、4~5年前ぐらいから弟を駅まで見送りに行くことはなくなっていた。
●2016年8月15日(月)
娘を連れてクルマで実家に行き、父と母をピックアップして、買い物。娘のランドセルを買ってもらう。その後、家の手伝い(草取り、枝切り、水やり、植木鉢の移動。1階のモノを2階にあげたり、2階のモノを1階におろしたり。エアコンのフィルター掃除など)。
●2016年8月21日(日)
娘を連れてクルマで実家に行き、ファミレスで食事、買い物、家の手伝い。この頃、父が風呂に入るのを嫌がるようになり(この頃までは自力で入浴していた)、風呂場の椅子が低いのが原因かもしれないなどと考え、店舗に見に行ったりしている。のちに、入浴を嫌がるのは、認知症が進行するときの一つのサインだと知った。この頃、認知症もかなり進んだのだろう。
●2016年9月4日(日)
娘を連れてクルマで実家に行き、父を理髪店にクルマで連れて行く。その後、理髪店から父をピックアップし、ファミレスで食事、買い物、家の手伝い。
●2016年9月11日(日)
娘を連れてクルマで実家に行き、昼過ぎまで家の手伝い。
●2016年9月25日(日)
娘を連れてクルマで実家に行き、ファミレスで食事、買い物、家の手伝い。
(続く)