パパ時代

子育てと結婚生活について、父親(夫)が語ります。

父親(男)から見た子育てと結婚生活について、ぼつぼつと綴ります。

posted by konkatsu-zidai
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娘が生まれて、早くも一年と半年が過ぎた。本当に色々なことがあった。何もかもが大きく変わり、傷つき、失われ、損なわれた。もう元には戻れない。仕方がない。何とか生きていくしかない。大変な日々の中で、そう思えるのは子どもが生まれたからだ。あまりにもたくさんのものを失ったけれど、子どもが生まれた。僕には娘がいる。その思いだけで、何とか生きていける。



 昨年2010年は僕にとって、激動の年だった。「厄年」というのは、本当にそうなんだなと痛感した。家庭も、家族も、職場も、何もかもが激変した。何が起こったのかは、まだ書けそうにない。もう少し時間が経って、心の整理がついたら、何か書けるかもしれない。

 ブログは、約1年半放置していた。書きたくても、物理的な時間と精神的な余裕というものが全くなかったし、きつい状況に追い込まれており、内容的にも書けなかった。ただ、携帯で閲覧だけは毎日していた。我ながら「これだけの内容をしかもこれだけのボリュームでよく書けたな」といただいたコメントも含めて、何度も読み返した


子どもが生まれると、生活は激変する。平日は帰宅が遅く、子どもと妻はすでに寝ていることが多いので、主に土日・祝日・休暇の生活パターンが激変する。子どものおむつ替え、着替え、ご飯を食べさせ、相手をしてあげ、外に連れ出して一緒に遊んであげ、お風呂に入れてあげないといけない。妻にばかり負担をかけるわけにはいかない。せめて休日は、夫ができるだけ子どもの面倒を見て、妻の負担を減らさないといけない。となると、夫に休日はないのである。


小さい子どもは、一瞬たりとも目が離せない。すぐどこかに頭をぶつける、こける(頭が重いのと足腰がしっかりしていないので、すぐよろけてこける)、扉に手を挟む、椅子やソファから転倒する、汚いものでも何でも口に入れる、モノを投げつける、急に泣き出すなど、幼児は常に危険に満ちた存在なのである。また、なぜかよく分からないけれど、やたら泣いて泣いて、どうしようもないときもある。


 はっきり言って、家に赤ちゃんや小さい子どもがいると、ブログどころではない。平日は仕事、休みの日は子育てと妻への対応で、もういっぱいいっぱいである。子どもと妻が寝静まった土日の夜10時以降に、新聞や本を読んで、録画したテレビ番組をちょっと見て、それでおしまい。パソコンでネットを見ること自体が少なくなった。もちろん、子どもが生まれてから、妻とは外食も、日帰りドライブ&温泉も、旅行も行っていない。楽しみは娘の成長だけである。


 娘は、もう1歳半になった。「ママ」「ワンワン」「ババーイ」「ハイ」程度はしゃべれるし、階段も上れる。じゃあ、立ったのは、歩き始めたのは、初めて「ママ」と言ったのはいつ? と思い出そうとするのだけれど、あまりにも毎日が忙しすぎて、あんまり覚えていないのである。これではいけない。自分の覚書として、自分のためにこのブログをまた書こうと思う。


あまり更新できないとは思いますが、娘がある程度成長するまで、このブログは続けます。よろしければ、またお付き合いください。

posted by konkatsu-zidai
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8時半頃、病院に戻り、陣痛室に入って妻の様子を見る。妻は意外に元気そうだ。僕の顔を見ると、昨日の夜と同じく「ごめんね」と言う。昨日の夜は数分間隔で来ていた陣痛の波は、あまり来ていないようだ。



出勤してきたのか、本日の担当の医師が僕たちの陣痛室に入ってきた。意外にも妻と同年代の30半ばぐらいの若い女性で、およそ医者らしくなく、居酒屋チェーンの店員さんのようなチャキチャキ、サバサバとした雰囲気の人だった。


「陣痛が弱く、出産に時間がかかっています。破水してからかなり時間がたっていますので、赤ちゃんが感染する危険もあり、お母さんも赤ちゃんも疲れてきているので、陣痛促進剤を点滴で入れます。陣痛促進剤を入れると、陣痛の痛みが強まったり、子宮が破裂する危険があります。でも、様子を見ながら少しずつ入れていきますので、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。それに用意をしているうちに産まれるかもしれません」と言う。



「承諾書」を渡され、サインするように促された。この人の言うことは信用できる。徹夜状態であまり頭は働かなかったけど、そう思い、サインした。


「手術・検査・治療法等医療行為説明書」と題されたペーパーには、こう書いてあった。「病名:微弱陣痛。医療行為名:陣痛促進。目的・必要性・合併症等:陣痛が弱くなかなか分娩が進まない状況です。現在、破水・陣痛発来後、時間がたち、子宮内感染・母体疲労も考慮されるため分娩促進を行います。現在、胎児は元気ですが、分娩時(陣痛があるとき)は、胎児にとって危険な時期です。胎児の徐脈が続く時などは、緊急の処置が必要になることがあります。陣痛促進剤の点滴を行います。合併症には過強陣痛・胎児仮死・子宮破裂・アレルギーなどが挙げられます。胎児心拍モニターを装着の上、量を調節します。随時説明、対処します。以下余白」。



「午前中には産まれるようにしたいですね」と、女医さんは笑顔を見せて言った。そう、あと数時間で産まれてほしい。破水してからすでに丸一日以上、陣痛が始まってから半日以上が過ぎている。妻はもともとそれほど体力がある方ではないし、30半ばの高齢の初産だ。昨日の午後からずっと付き添っているご両親も限界だろう。



午前11時過ぎ、陣痛室にいた妻の母が待合室に戻ってきた。「分娩室に入りました」と言う。ついに。ようやく。いよいよだ。がんばれ。妻。そして赤ちゃん。無事にこの世に生まれて来てくれ。あと、もう少しだ。


午後12時。分娩室に入ってからそろそろ1時間がたつが、何の知らせもない。大丈夫なのか。まさに難産だ。午後1210分頃、「○○さん(僕の名前)」と呼ぶ声がしたので、妻の両親とともに急いで隣りの陣痛室に行くと、そこに赤ちゃんを抱いた看護師さん(この人も20代半ばぐらいの若くて白くて細い美人さんだった)が立っていた。



「女の子ですよ。おめでとうございます」。お、女の子なのか。正直、少しがっかりしたというか、意外な感じがした。僕は、男の子が欲しいという密かな願望があり、赤ちゃんがかなり活発に動いていて、妊娠37週頃からは妻のお腹を激しく蹴るのでお腹が痛いという話を聞いていたため、たぶん男の子だろうと勝手に思い込んでいたのである。



11時○分に生まれました。3千○gです」。妻の両親とともに、長椅子に座り、まず僕が看護師さんから赤ちゃんを受け取り、抱いた。産まれたばかりの赤ちゃんというと、激しく泣いているものという印象があったのだけれど、赤ちゃんは全然泣いていない。それどころかほとんど動かない。生きているのか。ちゃんと息をしているのか。元気に産まれてきたのか。大丈夫なのか。



「頭に少し傷ができていますけれど、これは赤ちゃんとお母さんが頑張った証拠です。すぐ治りますから大丈夫ですよ。お母さんも元気です」と言う看護師さんの声を聞きながら、自分の腕の中にいる小さな生命体をじっと見つめた。この時の様子は、妻の母がビデオに撮ってくれたので、今でも見ることができる。僕は、赤ちゃんを見つめながら「ありがとうございました」と言って、ただただ何度も頭を下げていた。



赤ちゃんというと、しわくちゃな顔というイメージがあったものの、娘の顔はあまりしわくちゃではなく、全体的につるんとしていた。しかし、全然泣かない。ほとんど動かない。目はしっかり閉じられている。口から少し透明な液体が出てきた。「まだ羊水が残っているんです。詰まるといけないので」と、看護師さんが口元をガーゼで拭ってくれた。小さい手に目がいく。でも、すでにきちんと小さな爪が生えている。不思議だった。



次に妻の母が赤ちゃんを抱いた。その時、赤ちゃんが少し顔をしかめた。「泣いたらダメだよ」と、妻の母が言った。赤ちゃんは泣かず、声も出さなかった。1~2分だったと思う。あっという間に赤ちゃんは分娩室に戻っていった。実感はない。全くない。女の子だから、余計にそう思うのか。僕には女きょうだいはいないし、女の子は僕とは別の世界にいる別の人たちなのだ。



妻の母が「この子は出産前から切迫早産で心配をかけて、出産もこんなに時間がかかったので、顔を見た途端、涙が出てきた。今まで何度も孫の出産に立ち会ってきたけど、こんなに心配したのは初めてだ。この子が大きくなったら、みんなにどれほど心配をかけたのかを言って聞かせないといけない」と言った。ご両親は涙ぐんでいるようだった。破水から1日半、陣痛が始まってから18時間半、最後にはリスクを承知で陣痛促進剤を投入して、ようやく産まれてきた赤ちゃんだった。



僕が赤ちゃんを抱っこしているちょうどその時、実家の母からメールが来ていた。「赤ちゃんは生まれましたか?」。後から聞くところによると、母はこの日の早朝、女の子が生まれてくる夢を見たと言う。



それから約1時間半後の午後2時半過ぎ、妻が産後の処置を終え(切った部分を縫い合わせたりするらしい)、ベッドに横たわった状態で、廊下に出てきた。意外に元気そうだ。僕もご両親も、「よくがんばった」「良かった良かった」と口々に声をかけた。



午後3時過ぎ、ご両親とともにタクシーで病院を出た。ご両親は完徹状態で、丸1日病院にいたことになる。たいへんなご苦労だ。タクシーの中から、満開の桜の花びらが青空に舞っているのが見えた。何かに祝福されているような春らしい晴天の日。僕のプレパパ時代は終わった。



妊娠390日。去年の夏にあった妻の最終生理初日から数えて273日後。結婚して210カ月後。妻とお見合いで出会って34カ月後。母と大喧嘩した揚句、母に折れてお見合いすることを決意し、婚活を始めてから61カ月後のことだった。

posted by konkatsu-zidai
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妊娠34週に切迫早産で10日間ほど入院し、そのまま実家に帰ってしまった妻の容体は安定していた。正常な出産の範囲と言われている妊娠37週に入り、もういつ産まれてもいいという状況になったけれど、まだ産まれそうにないらしかった。



妊娠38週に入った頃、医者から「散歩するなど、少し体を動かした方がいい」と言われたらしく、近所のドラッグストアまで歩いて買い物に行ったりしていたようだ。僕は、初産は予定日(妊娠満40週)より少し遅れるという知識があったので、切迫早産で入院はしたものの、やはり産まれるのは妊娠40週に入ってからだろうと、何の根拠もなく考えていた。



妊娠38週の最終日、週1回の定期検診の日だった。そろそろ産まれそうなのか、もう少しかかるのか、ある程度分かるかもしれない。そう思って、オフィスで仕事をしながら、妻からのメールを待った。検診は午前中のはずだったが、昼を過ぎても妻からのメールは来ない。ということは、特に何もなかったのだろうと、いつも通り仕事をしていた。



夕方、念のために携帯を確認してみると、妻からメールが来ていた。「今日の検診後、入院しました。少し破水したみたいなので、陣痛はまだですが、様子を見るために入院となりました。今は陣痛室にいるので、携帯が使えません。待合室からメールを出します。もし分娩室に入ることになれば、母から連絡します。私は元気ですし、赤ちゃんの心音も安定しているので、安心してください」。何と切迫早産で入院した時と同じく、また検診即入院なのである。



これはそろそろ産まれる。陣痛はまだだけど、妻と一緒に行った「プレパパ・プレママ教室」で助産師さんが「陣痛が始まってから出産までは平均12時間程度かかる」と確か言っていた。いつ陣痛が始まるかは分からないけど、明日の朝ぐらいに始まって、明日中には産まれるかもしれない。とにかく、陣痛が始まってからだと、はやる気持ちを抑えつけ、仕事を続けた。間の悪いことに、仕事が輻輳する時期に入っており、今日も夜10時過ぎまでは残業しないといけないのだ。



9時半頃、妻の母からメールが来た。「○○(妻の名前)は今、陣痛でうなっています」。これには驚いた。夕方の妻のメールは、どこかのんびりした雰囲気が漂っていた。しかし、すでに陣痛が始まっているのなら、今日深夜か明日早朝にも産まれるのではないか。慌てて、妻の母に電話すると「夕方5時半ぐらいから陣痛が始まり、今は陣痛室で苦しんでいる」と言う。すぐ上司に状況を伝え、明日は休むことになるだろうから、僕がいなくても大丈夫なように仕事の段取りをつけ、実家の母に電話した上で、病院に向かった。



病院に着いたのは、夜11時半頃。待合室に妻の両親がいた。待合室の隣りに、カーテンで仕切られたベッドがいくつかある陣痛室があり、そのうちの一つのカーテンをめくると、ベッドに横たわった妻と助産師さん(20代半ばぐらいの若くて白くて細い美人さん)がいた。妻は横向きに寝て、ベッドの枠をつかみ、苦しんでいた。赤ちゃんの心音がモニターされており、刻々と変わる数値が画面に表示され、増幅されたドクドクという音が辺りに鳴り響いていた。



僕の顔を見ると、「ごめんね」と言う。顔はそれほどしんどそうではなかったけれど、陣痛の波が来ると、あられもない声(そう、まさに喘ぎ声なんである)を出して、苦しがる。妻には珍しく命令口調で「背中をさすって」というので、そのようにする。「もっと下の方」というので、腰の辺りをさする。そうすると、少し楽になるようだった。しばらく喘いだ後、陣痛の波はいったん収まり、落ち着く。しかし、「あ、また来る」と言って、次の波が襲ってくる。その周期は、この時すでに数分間隔になっていた。これはそろそろ産まれる。「プレパパ・プレママ教室」で、陣痛の波の周期はだんだん短くなり、ついには産まれると教えられていたからだ。



妻の母が陣痛室に入ってきて、妻の体をさすり始めたので、待合室に戻り、妻の父と話す。しばらくして、妻の母も来た。話を聞くと、昨日の深夜にどうやら破水していたらしく、朝一番の検診ですぐ入院が決まったらしい。夕方5時半頃に陣痛が始まり、すでに6時間が経つので、そろそろ産まれるのではないか。産まれそうなら、分娩室に入り、分娩室に入ってから30分から1時間程度で産まれると聞く。ということは、やはり今日深夜か明日早朝である。実家の母にメールで状況を知らせる。「元気な赤ちゃんが産まれるように祈っています」と、すぐ返事が届いた。



妻の母はまた陣痛室に戻り、妻の父と待合室でその時が来るのをじっと待った。隣りの陣痛室から妻の苦しそうな喘ぎ声が聞こえてくる。今夜、陣痛室に入っているのは妻だけで、貸し切り状態だった。



深夜1時を過ぎ、2時を過ぎたけど、妻が分娩室に入ったという知らせは来なかった。そして、深夜3時過ぎからは妻の喘ぎ声もあまり聞こえなくなった。妻の母が待合室にやって来て、状況を教えてくれる。助産師さんが付きっきりで様子を見ているが、まだ産まれそうになく、こう着状態だと言う。「私や上の娘は5時間ぐらいで出産していたので、昨日のうちからもう産まれると思っていたんですけど、あの子は体力がないのか、年なのかなかなか産まれません」。



深夜3時半頃、突然20代半ばぐらいの若いご夫婦が出産入院のため、やってきた。奥さんはそれほどお腹が大きくもないような感じで、スタスタ歩いている。お腹が大きく、ゆっくり歩いていた妻と全然違う。その15分後、また別のご夫婦が来た。このご夫婦も若く、奥さんはやはりスタスタ歩いている。とても妻と同じく出産を迎えた女性とは思えない。やっぱり、うちは高齢出産なのだ。ともあれ、妻一人だけだった陣痛室は、早朝4時に3人になった。だが、妻以外の二人はまだ陣痛が始まっておらず、旦那さんとのんびりしゃべっている様子。



早朝4時から5時の辺りは、僕も妻の父も、ほとんど眠りかけていた。時々、新生児室から赤ちゃんの泣き声が聞こえてくるだけで、妻の苦しげな声は聞こえてこない。大丈夫なのだろうか。どうなっているのだろうか。陣痛室で付きっきりで見守っている妻の母も、僕の横でずっと座っている妻の父も大変だ。いつになったら産まれるのだろうか。「産みの苦しみ」。そんな言葉が何度も頭をよぎる。



6時。突然、カーペンターズの「トップ・オブ・ザ・ワールド」のメロディーが流れ出し、「おはようございます。今朝のお目覚めいかがですか。検温の時間です。今日も一日機嫌良くお過ごしください」というような内容の院内放送が流れる。朝が来た。陣痛が始まってから、すでに平均出産時間の12時間が過ぎた。しかし、妻の苦しむ声は聞こえず、この数時間、陣痛室にいる妻の母も待合室には全く出て来ない。



8時前、朝ご飯の支度で、病院は慌ただしくなってきた。さらに、掃除をする人がひっきりなしにやってきて、病棟の廊下を何度も何度もモップがけする。妻の父が「お腹が空いたので、朝飯に行きませんか」と言う。ようやく、妻の母が待合室にやって来て、「陣痛が弱く、お産が進まない。まだしばらくは産まれそうにないから、どうぞ朝ご飯を食べに行って来てください」と言うので、妻の父と外に朝ご飯を食べに行くことになった。



よく晴れた日だった。駅前は出勤途中の人たちがいっぱいいた。本来なら僕もそのうちの一人なのだけれど、なぜか妻の父親とレストランで、徹夜状態のぼーっとした頭で、朝ご飯を食べているのである。突然、異空間に放り込まれたような妙な気分。あまりお腹は空いていないと思っていたのだけれど、食べ出すと結構な量を平らげてしまった。そういえば、昨日は晩ご飯を食べていなかった。実家の母から電話があり、まだ産まれていないと言うと、「どうなっているのか」と少し取り乱しているので、状況を説明する。

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