妊娠34週の終わりに病院に定期検診に行った妻は、切迫早産でそのまま入院したという話を前回に書いた。急に妻が入院してしまったので、結婚して3年近くの間、僕と妻が築き上げてきた二人の生活パターンが完全に崩れた。毎日、仕事を終えると、病院に向かった。妻はテレビや雑誌はあまり見ないが、新聞やチラシが好きな人なので、毎日持って行った。病室のドアをノックすると、可動式ベッドの頭の部分を持ち上げるウィーンという音がする。ドアを開けると、パジャマを着てベッドに横になって、僕の姿を見つめる妻の姿があった。妙にせつなく、物悲しかった。



病室では毎日1時間から1時間半ぐらい妻としゃべっていた。パソコンはできないし、i-Podも聴けないし、ずっと病室のベッドで横になっていないといけないので、さぞかし退屈しているのではと思って妻に色々聞くのだけれど、「ここにいると、看護師さんや入院している人と家族の話し声、赤ちゃんの泣き声も聞こえてくるし、意外に退屈しない。ご飯も美味しい」と言う。まあ、基本的にのんきな人なのだ、この人は。



病室にいると、時々看護師さんがやってきて、食事をちゃんと食べたのか、お通じはあったのかを尋ねたり、検温したり、赤ちゃんの心音をチェックしたりする。赤ちゃんの心音は、スピーカーで増幅されて大きな音で、同席している僕も聴くことができるのだけれど、その鼓動のペースはかなり早い。



帰り際、妻のお腹に手を当て、「もうちょっと、お腹の中にいなさいね。元気でね」と、男か女か分からない、まだ見ぬ赤ちゃんに声をかける。すると決まって妻が「パパ帰るって。パパはこれから家に帰って、一人でご飯食べるんだよ」と、お腹の赤ちゃんに話しかけていた。



誰もいない家に帰る。麺類などを適当に作って食べ、いつもより遅い時間に眠りに就く。食事の用意だけでなく、洗濯も掃除もやらないといけないので、完全に生活パターンが狂った。朝食は食べなくなり、シャワーは夜ではなく、朝に浴びてから出社するという独身時代のパターンに戻ってしまった。やっぱり妻がいないとダメだ。生活は乱れるし、今まで当たり前のように一緒に暮らしていた人がいないと、正直に言って、妙に寂しいのである。早く退院して、家に戻ってきて欲しい。そう、願っていた。



入院して10日ほどたったある日、妻は退院した。しかし、家には戻らず、そのまま実家に帰ってしまった。すでに妊娠36週に入っていた。早産ではない正常な出産といえる37週まで、あと少しというところまで来ていたので、いつ産気づいてもいいように、病院に近く、両親のいる住み慣れた実家に帰ってしまったのである。



ということは、出産後も1カ月ぐらい妻は実家にいるだろうから、妻が家に戻ってくるまで、あと1カ月半ぐらいは僕の一人暮らしが続くことになる。仕方がない。僕は僕で、何とかやるしかない。何とか無事に元気な赤ちゃんが生まれて欲しい。ただそれだけを願う、祈るような毎日が続いた。