「子どもは私たちの「年金原資」や「介護要員」であるという思考をそろそろ棄てねば(諦める?!)ならないときがきたと思います」とのことですけど、元々、僕たちは何も「子どもは俺たちの年金原資だ。介護要員だ」なんて思っていませんよ。前述しましたが、「大きくなったら、俺たちの面倒見てくれ、介護してくれ」などと思って、子どもを産んだり、子どもを育てたというような親はあまりいないと思いますよ。



「子どもは一人の人間として独立した人権を持った存在であり、それを親や大人たちの自分勝手な都合で『年金原資』や『介護要員』と見なすとは何事か」という意見は分かります。おっしゃる通りです。正論だと思います。ただですね、それではお聞きしますが、じゃあ一体誰が国民・厚生年金や所得税・道府県民税・市町村民税・消費税・酒税・たばこ税・ガソリン税や健康保険や雇用保険を毎日毎月何十年間も払い続けるのですか? 一体誰が高齢者の介護をするのですか? 葬式(遺体の処理)をしてくれるのですか? 不幸にして病気や体が不自由になった時に治療したり、排便を処理してくれるのは誰なんですか? 人しかいないじゃないですか。つまり、それは私たち国民・市民であり、私たちが高齢になった時には私たちの子どもじゃないですか。



結局、「年金原資」「介護要員」という表現が適当かどうかは別として、私たちも、私たちの子どもたちも、全員「年金原資」「介護要員」なわけですよ。そんなものは政治が悪い、制度が悪い、エスタブリッシュメント(支配階級・組織)の陰謀だと言ったところで、現在は税金、年金、保険を国民・市民全員が支払うという義務を負うことで、国民・市民全員が助け合って生きていくという世の中になっているわけですよ。僕たちの親も、僕たちもそうしているわけだし、もちろん僕たちの子どもたちもそうするわけですよ。さて、この話のどこがおかしいのでしょうか?



話は変わるようですが、今週朝のNHKニュースで、植物状態になってしまった二十歳の娘さんとご両親の話を見ました。朝食を食べながら妻としゃべりながらチラチラとしか見ていないので、詳細は分かりませんでしたが、その娘さんが植物状態になる前の12歳の時に二十歳の自分に出した手紙が読み上げられていました。「二十歳の自分へ。こんにちは。病気やケガなどをせずに元気に暮らしていればいいのですが…」。それを聞いたお父さんは堪えきれずに泣いていました。どんなに無念なことでしょう。娘が元気に成人式を迎えてくれたら良かったのにと、どれほど悔しく悲しく思うでしょう。



世の中には、心や体に障害のある人たちが数%以上います。その人たちももちろん生きる権利があります。だから、僕たちの払った税金や年金や保険がその人たちに使われます(もちろん十分に使われているとは思いません)。そして、僕たち自身も、心や体に障害があったり、高齢になった時には、他の人たちが払った税金や年金や保険で助けてもらうことになります。これが今の世の中の仕組みです。そして、20年後には僕たちの子ども世代が税金や年金を支払うことになります。



でも、このまま少子化が進めば、僕たち高齢者になる世代に比べて、数の少なくなった子どもたちが高齢者や不幸にしてハンディのある人たちを支えないといけないことになります。例えばですね、数の多い団塊ジュニア(19711974生まれ)はそれぞれ同級生が200万人以上います(一番多いのは1973年生まれの209万人。ちなみに団塊の世代の1949年生まれは269万人)。しかし、2009年の出生数は106万人なんですよ(厚生労働省「人口動態統計」年間推計。2010年元日発表)。ほとんど半分じゃないですか。単純に考えると、2030年後には子ども1人で、高齢者2人を支えないといけないんですよ。



つまり、このまま少子化が進めば、子どもたち一人ひとりにかかる負担が一層大きくなるのは火を見るよりも明らかです。『子どもたちを「年金原資」「介護要員」と見なすことを止めるべきだ』などと綺麗事を言ったところで、問題は何一つ解決されません。現状を放置しておくと、ますます数十年後のわが国の子どもたち一人ひとりにかかる負担が重くなるばかりです。それこそ、生まれてくる子どもがかわいそうなのではないでしょうか。つまり、「少子化になっても構わない」という考え方の人は、①人は助け合って生きているという現在の世の中の仕組みがよく分かっていないのではないか ②このまま少子化が進めばどうなるかという厳しい未来を見ようとしていないのではないか と僕は思います。



この2つだけではありません。③自分は親から産まれたのであり、親はそのまた親から産まれたのであり、現在の世の中は、今はすでにこの世にいない過去の人たちの苦労によって築き上げられてきたという、太古から連綿と続いてきた生命のリレーと時間の流れの大切さがよく分かっていないのではないか とも思います。



また話が逸れるようですが、少し前にラジオで「元日本兵の証言」を聞きました。元兵士は南方のジャングルで死闘を繰り返し、奇跡的に生還し、戦後はずっと口を閉ざしていましたが、「死ぬ前に真実を伝えないと死んでいった戦友たちに申し訳ない」と、語り部として全国の学校を回っているということです。彼が言った言葉を今でもはっきり覚えています。「日本兵は『天皇陛下バンザイ』と言って死んだと言われるが、私が知る限りそんなことを言った兵士は誰もいない。若い兵士たちはみんなに弾丸に当たり、爆弾に体の一部を吹き飛ばされて『お母さん助けて、痛いよ、死にたくない』と泣き叫びながら次々と息絶えていった」と話されました。誰も戦争など行きたくなかった。人を殺すのも殺されるのも嫌だった。それでも、子どもたちや妻や婚約者や父母や兄弟姉妹や愛する人を守るためだと思って、兵士たちは故郷から遠く離れた中国大陸や東南アジアや南太平洋で死んでいったんですよ。



これは原始時代の話じゃないですよ。今から65年前、私たちの親が生まれた頃の日本の話です。もちろん、兵士だけではありません。東京・大阪・名古屋・福岡などの主要都市は米軍によって空爆されて焼け野原となり、沖縄には米軍が上陸して女性や子どもが地上戦に巻き込まれ、広島と長崎には原爆が落とされて数十万人の民間人が殺されました。太平洋戦争における日本の犠牲者数は戦闘員約230万人、非戦闘員約80万人、計約310万人とも言われています。当時の私たち日本人は、つまり私たちの親や祖父母は、毎日死の恐怖におびえ、そして多くの人が殺されたのです。もちろん、夫を亡くした戦争未亡人や婚約者を戦争でなくした女性もたくさんいました。一体誰が悪いんですか。これこそ最悪な世の中ではないでしょうか。



それでも、そんな世の中でも、僕たちの祖父母や親たちが必死で生きて、結婚して子どもを産んだから、今この世の中があって、今ここに自分がいるんですよ。そんな文字通り命がけで生きてこられた先輩方に、「仕事と出産は両立できないから結婚しない」「給料が安いから結婚しない」「将来に自信が持てないから結婚しない」「良い出会いがないから結婚しない」「恋愛できないから結婚しない」とか言ったら、張り倒されますよ、本当に。



何だかまた話が逸れてしまって予想以上に非常に長くなってしまったので、ここでまとめます。私の意見は、少子化は止められない。少子化を止めるには、現在の2030代の人たちが「少子化が進んでも構わない」という考え方を改めるしかない。しかし、それは難しいだろう。それでも、2030代で「少子化が進んでも構わない」と考えて結婚しない人たちは、①みんなが助け合って生きている現在の世の中の仕組みがよく分かっていないのではないか ②将来の自分と世の中のことを直視しようとしていないのではないか ③親や祖父母や過去の人たちの苦労の上に、自分とこの世の中があるということがよく分かっていないのではないか と思うし、それは自分のことしか考えていない子どもっぽい幼稚な考え方であり、個人的になぜそんなふうに考える人たちが僕たちの世代で増えてしまったのかと非常に悔しいと思っているということです。



じゃあ、それではこのまま少子化が止まらず、この国はますます歪んでくるのかというと、短期的にはその通りですが、遅くとも30年~50年後には止まると予測します。なぜなら、「少子化が進んでも構わない」と思い、結婚せず、子どもを作らない人たち自身とその考え方は、生命のリレーと時の流れの中で淘汰されるからです。50年後、今の2030代は7080代です。亡くなる人も多いでしょう。子どもがいれば、自分のその考え方を受け継いでくれるかもしれませんが、子どもがいなければ、人は死ねば終わりです。死んでからもその人のことを覚えている人は、せいぜい子どもぐらいでしょう。つまりですね、「少子化が進んでも構わない」と思い、結婚せず、子どもを作らない人たち自身とその考え方は、5060年もすれば、ほとんど跡形もなくこの世から消え去るのです。



それでは、50年後に残っているものは何か。結婚して子どもを作った親たちの息子・娘たち、さらにその子どもの孫たちです。50年後にこの世界で中心となっている僕たちの子ども世代は、少子化が進み、同世代で結婚や出産・子育てを放棄する人が出る中で、それでも結婚・出産した親たちから生まれ、育てられた子どもたちです。親たちは「結婚とはいいものだ。出産も子育ても素晴らしいものだ」と、子どもたちに教えるでしょう(僕自身そうするつもりです)。つまり、「少子化OK」の人や考え方はいつかは消え去り、「結婚、出産、子育ては良いことだ」という考え方の人がいずれは増えるのです。たとえそれが、50年後のことだとしても。



一週間ほど前にテレビで「ギャルママ」たちを見ました。10代や二十歳そこそこで子どもを産んで、ちゃんと育てられるのか、派手なメイクとファッションのギャルに子育てができるのか、どうせできちゃった婚なんでしょう、旦那はちゃんと働いてて子育ても協力してくれるわけ? DVとか虐待とかあるんじゃないの? 世帯年収いくら? お水で働いていたりシングルマザーも多いのでは? 子どもがかわいそう…などという意見があるのは分かります。



でも、僕はギャルママたちを見ているうちに何だかうれしくなりました。色々問題はあるようでしたが、ギャルママたちは明るかったし、強かったし、若くて元気でキュートで自然で魅力的でした。これが人間としてごく当たり前の姿なんだよなと、彼女たちに勇気づけられるものがありました。僕は「少子化になっても構わない」と言うような人と話すより、ギャルママたちと話したいし、希望の光を見たような気がします。もしかすると、ギャルママとその子どもたちが少子化の流れをせき止め、反転させる一つの役割を果たすかもしれません。



以上非常に長くなってしまいましたが、これはあくまで僕の個人的な意見であり、こんな風に考えている奴もいるんだなということで読み流していただければ幸いです。長文失礼しました。