kondokenji

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ときどきマルオ

近藤研二 出演情報(随時更新中)


※1月17日(日)Controversial Spark 東京 代田橋 FEVER
□1月27日(水)アコースティックギターマガジン発売
○1月30日(土)山田稔明 宮城県 成田  NAKAO CAFE

●3月25日(金)近藤研二ソロ 北九州 小倉 UMIE+
●3月26日(土)近藤研二ソロ 福岡 警固 JOY TRIP CAFE
●3月27日(日)近藤研二ソロ 福岡 久留米 街なかプチコンサート

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□発売中近藤研二1st. solo album『子猫のロンド』

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●=ソロコンサート
■=ソロ/対バンあり
※=バンドとして
○=サポートとして
□=ゲスト出演、他
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初めてソロアルバムを作りました。タイトルは『子猫のロンド』。9月に録音を開始し昨日から始まった初のソロツアーになんとか間に合いました。やっと名刺代わりになるような作品を作ることができ、いよいよ本格的にソロ活動が始動した気分です。この機会に kenjikondo.jpというドメインも取り、そのアドレスにオフィシャルサイトを起ち上げました。そこのトップページが今ブログになっているのでこれから仕事のことなどはそちらにアップしていくことになると思います。ここはしばらくこのままマルオのことやプライベートなことなどを書く場所になっていくのかもしれません。

昨日は初のひとり旅。名古屋から岐阜方面へ1本で行けるはずの名鉄を何故か3回も乗り換えて目的地のカフェバー「tamako」に辿り着いた。この先のソロ活動が迷い路になりませんように。



8月9日はマルオの一周忌でした。旅立った夕刻にあわせ下北沢leteで追悼ライブをやらせてもらった。「追悼」という言葉は今ここで初めて使った。「一年目のソロ」というタイトルにしたのは今年からソロ活動を始めた自分とかけたわけだけれど、チラシの写真はマルオだし、ここをご覧の事情をご存知の方はどう見てもその種のライブと想像できていたと思う。



ひょっとしたら一番想像できていなかったのは自分かもしれない。



昨秋あたりからこの日に演奏したいと思っていた。この時間にマルオのために演奏したいと。そして半年近く前にleteの店主、町野さんに日と時間を指定してブッキングさせてもらった。実は町野さんから5年も前に「近藤さんウチでソロライブやりませんか?」と打診されていて、5年越にそのメールに超遅レスをするという形でお願いしたのだった。そんな重い腰を上げてやっとソロ活動をしようと思ったのは、もちろんマルオの死が大きく関係している。

自分に正直でありたい。悲しい時は泣いて、楽しい時は声をあげて笑いたい。ただそれだけのことだけれど、なかなか難しい。

一年前、診察台でマルオを見送った時、「マルチン、起きてよ!一緒に家に帰ろうよ!」と泣き叫ぶことしかできなかった。もしマルオに反応する力が残っていたら、うるさくて耳を後ろ向きにしたかもしれない。今年はせめてマルオが嫌がらない音楽を優しく奏でたい。ただただその思いしかなかった。そういう鎮魂の意味も込めてレクイエムとでも言うべき曲を作ってちょうどマルオが旅立った時間に合わせ演奏した。

極論を言えば、それがやりたかった、そうしたかっただけだった。だから丁寧に曲を作り、一生懸命マルオを思って練習をした。生前は僕のギターがあまり好きではなかったけれど、これならどう?とプレゼンしたかった。そんなわけでそれ以外のことはほぼノープランで挑んだ。もちろん選曲や曲順は一年前の時間経過に沿うように演奏できる曲の中で工夫はしたつもりだけど、MCで何を喋るかなど演出的なことはまったく何も考えていなかった。

結果、ほとんど何も喋ることができなかった。マルオのことに触れるのか触れないのかさえイメージせずに人前に出てしまったので、何をどう切り出せばいいのか頭が真っ白になった。多分来ている人の多くはマルオの追悼ライブという体で来てくれているだろうから、まったく触れないのはよそよそしい。でももし知らずに来ている人からしたらどうだろう。何からどう説明していいのか分からずステージ上で途方にくれる自分。先に書いた、診察台のことなどを辛うじて言葉にしてみたが、喋れば喋るほど、言葉にすればするほど、事実がただそれだけのことでしかないことになっていくことに気付いて愕然とする。情けないことに舞台上でそんなことを思い怯む。

言葉にしないうちは自分の胸の中にたくさんの感情が、今でも、あるわけだけど、例えば「悲しかった」と言ってしまった瞬間に、単に悲しかった出来事のひとつということに決着してしまう気がして、喋りながら、うーんこれはまずい、そうじゃないんだ、他にもたくさんの思いがあるんだよー、と思って、「あー、うーん、…、ま、そんなことがあったりなかったり…」と、なんとも歯切れの悪い言葉で演奏にうつるということを繰り返してしまった。「マルオのレクイエム」という仮題を付けていたにも関わらず、レクイエムという言葉さえ発することをためらってしまって「新曲です。まだタイトルはありません…」としか言えなかった。

SSWや詩人は自分の思いを言葉にし、テキストにし、明文化することで自分の座標を示しているのだと思うが、自分はやっぱりそういう表現活動は向いてないのかもしれない。ショパンのように自分の曲にタイトルさえつけず、ただ音楽だけが存在するというスタンス、それが出来たら一番の理想なのかもしれない。子猫のマルオがやってきた時自然にできた曲「ペジエ」に意味のないタイトルをつけたのもそういうことだったのかもしれない。

ただ今回、「公の場で演奏するとした時点でエンターテイメントにしたわけだから、もっと喋ることも考えておいた方がよかったんじゃない」と見ていた人に言われた。うむ、始めたばかりのソロ活動は前途多難だ。

マルオはちゃんと聴いていてくれただろうか…




20150809 「一年目のソロ」セットリスト

三文楽士の休日
ベアーズシネマ
おじいさんの11ヶ月
バタフライ・イン・ザ・リバー
鐘の音
オールドロッキングチェア
埴生の宿
聖母の御子
主よ人の望みの喜びよ
小さな恋の物語 2匹の小魚 たまごとミルクパン
旅するメロディ
うちへ帰ろう
眠る動物園
眠れねこねこ
おやすみ、ありがとう
ペジエ
マルオのレクイエム(仮題)
元気だよ(仮題)
誕生日





4月18日、ウチに子猫がやってきた! 譲渡してもらった経緯は先日インスタグラムに『モイヒストリー譲渡篇』としてアップしました。命名篇も同じように下書きしてましたが、ブログの方がより適切かと思い、ここで報告させてもらいます。

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モイヒストリー命名篇 その1

昨夏8月9日、15歳4ヶ月で旅立った愛猫マルオ。小さい頃はマルちゃん、マルヤン、マルチ君などの愛称もあったが人生、いや猫生のだいたいをマルチンと呼ばれることになる。ちなみにフルネームは近藤・ガブリエル・マルオということにしていた。さらに言うなら、あきる野市のブリーダーさんからもらった血統書上の本名はミナハス・ジュリー。アメリカンショートヘアのシルバータビーだった。

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モイヒストリー命名篇 その2

ご近所ミュージシャン山田さん(@toshiakiyamada )のところも昨年6月に三毛猫ポチを亡くし、猫返し神社参拝による神のご加護か、9月になって突然庭に現れたポチの生まれ変わりのような三毛の子猫と暮らすことになる。「ポチ似」、後に呼びやすさで「ポチ実」と命名。

山田さんはそのエピソードだけでも十分すごい猫力の持ち主なのだけど、ご近所の猫ネットワークをどんどん広げたり、譲渡会に行けばそこの代表の方が山田さんファンだったり、あ、そうそう、持ち歌の多くに「猫」という単語を使い、CDジャケットにも毎度のように猫を登場させる生粋の猫バ…、あ、いや、なんだかすごい猫神様なのだ。

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モイヒストリー命名篇 その3

そんな猫神様の最新の神エピソード。やはり昨秋に茶トラのチャオを亡くしたチャッツワースの岸本さん(@chatsworth_tearoom )のために、ある里親募集サイトに出ている猫を紹介したそうだが、なんと岸本さんはまさにその猫を、その翌日譲渡される(正確にはトライアル期間で預けられる?)予定になっていたのだそうだ。神様は予言者でもあったのか。

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モイヒストリー命名篇 その4

我が近藤家も春からいくつかの譲渡会に行き、実は何度か目をつけた猫がいたこともあった。もちろん山田さんにもその都度相談していた。譲渡されるかどうか見込みも全くない猫にでさえ予言者山田猫神は「マルコ」「ズレオ」などの名前を勝手にいち早く命名し、近藤家が譲渡会ブルーになってようが、おかまいなしに「マルコ可愛いなあ」「ズレオ個性的だなあ」などと取らぬ狸、いや取らぬ猫に盛り上がっておられた。

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モイヒストリー命名篇 その5

2015年4月18日(土)この日は「ねこをもらったよ記念日」になった。近藤家は山梨のOさん(@torotuky2 )宅から子猫を譲渡してもらった。この写真が里親募集サイトにあがっていたもの(詳しくは、譲渡篇で)。時を同じくしてチャッツワース岸本さんのところにも猫が譲渡された。しかもどちらの猫もそれぞれ亡くなった先代の猫と同じ誕生日かもしれないという奇跡。そう近藤家に来た子猫は亡くなったマルオと同じ4月8日生まれ(に限りなく近そう)なのだ。

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モイヒストリー命名篇 その6

岸本さんはチャオに似た同じ茶トラの新顔さんに「チャオ実」と命名。山田さんとこの「ポチ実」にあやかったのだろうか。そうなると、ドラマ的な流れとしては、もちろん近藤家の新顔はマルオの生まれ変わりかもしれないってことで「マルオ実」になる。山田さんはさらにそれを活用させて「マル臣」「近藤マル臣」という名前を考えてくれた。さすが猫神様。流れからすると確かにそうだ。それしかない。インパクトもあり、インスタで人気猫になるかもしれない。しかし、ダジャレだ。臣という漢字にして、フルネームで呼んでしまうと完全に親父ギャクだ。それにその名前が考えられた時点ではまだオスかメスかも判明していなかったのだ。予言者だから分かっていたのかな。せっかくの猫神からの啓示だったが「ちょ、ちょっと自分らでも考えます」とその日はした。

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モイヒストリー命名篇 その7

2015年4月19日(日)この日は朝一番で動物病院に子猫の健康状態を診てもらうことにしていた。山田家の近所に引越してきて初めての病院だし初診カルテを書いてもらうことになる。できたらそのカルテに子猫の名前を書きたい。ただ性別は獣医に診てもらうまでは分からない。どうしようかねえと朝から家族会議をしていた時、妻がふと「モイは?」と言った。「あ、いいね!」と即答した。ビビッときた。マ行がいいと思っていたし、オスにもメスにも当てはまりそうだ。

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モイヒストリー命名篇 その8

「モイ(moi)」はフィンランド語で「こんにちは」「やあ」「hello」にあたる挨拶の言葉。「moi moi」と2回続けて発音すると「じゃあね」「バイバイ」という意味に転じる。駐日フィンランド大使館のツイッターによるとMoikka!(もいっか!ゆるふわ系) Moikkelis!(もいっけりす!おふざけ系)Moido!(もいど!じゃあね系) Mo!(も !おっすおっす系)などもあるようだ。

僕は猫に限らず犬や人間の子供、赤ちゃんに会うと、よく「こんにちはー」と言っているらしい。山田さんに指摘されるまで自分でも気付いていなかった。

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モイヒストリー命名篇 その9

今年2月、フィンランドを旅した。運良くオーロラも見ることができた。結婚と同時にマルオを飼いだしたので近藤家の歴史=マルチンとの生活だった。なので、ふたりで海外旅行をしたのはもちろんはじめて。16年越しの新婚旅行みたいなものだった。家飼いの小さなペットと暮らすということは何かに頼らないかぎり10年~20年どこにも行けない。その覚悟をする。そういうことでもある。

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モイヒストリー命名篇 その10

マルオが闇の向こうへ行ったからこそ、この光を見ることが出来たことになる。今読んでいる本に興味深い文章があった。“人間は、大きく二つのグループに分けることができると思う。「北へ行く人」と「南へ行く人」に。 ~中略~ 南は生を志向し、北は死を志向する。しかし死と隣りあっているがためにこそ、北では生の姿が鮮やかに浮き彫りにされてみえるのだろう。ここでは厳しい自然に選びぬかれたものだけが、これ以上は洗いきれない強さとさわやかさで生きているのだ。” ふむふむ妙に腑に落ちる。

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モイヒストリー命名篇 その11

猫の妊娠期間はだいたい2ヶ月なので母猫がモイを宿したのは2月上旬。つまり近藤家がオーロラを見た日の辺り。マルオの魂に誘われるかのように旅した土地で見た光は、そのままモイの命として灯り降り注いだ。そんな脚本がファンタジー作家の力を借りずにできてしまった。



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モイヒストリー命名篇 その12

ちなみに今読んでいるその本の題名は「フィンランド語は猫の言葉」。猫好き故のタイトル買いなのだけど、猫はほとんど登場しない。でも、これから一生生活を共にする猫にモイと名づけたので感慨深く読んでいる。モイのチャームポイントはちょっとだけブタっ鼻なところだけど、フィンランド語で「ブタ」は「シカ(sika)」。シカっ鼻のモイチンである。他にも「うさぎ」は「かに(kani)」、「酔っぱらい」は「ヨッパラリ(juoppolalli)」だそうだ。「フィンランド語 かわいい」などで検索するといろいろ出てくるので興味のある方は是非。

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モイヒストリー命名篇 その13

最後にマルチンの今からちょうど1年前の写真を一枚。このブログは「kondokenji ときどきマルオ」というタイトルのまま、時にモイの成長を綴り、時にマルオを偲ぶ場所にしていけたらと思います。

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#近藤モイ #モイチン #猫 #ねこ #ネコ #neko #cat #kitten #gato #meow #catstagram #catlover #子猫 #仔猫 #サバシロ #長毛種 #近藤マルオ #アメリカンショートヘアー #アメショ #americanshorthair


天国でも一応、歳は重ねるだニャ。俺の飼主だったやつは最近インスタばっかりやってるだニャ。しかも、しーちゃんって?!ま、いいけどねー。インスタはリンクが貼れないのが残念なところ。代わりにここで。

15歳の誕生日ブログ
http://ameblo.jp/kondokenji/entry-11817395800.html

14歳の誕生日ブログ
http://ameblo.jp/kondokenji/entry-11507414940.html


13歳の誕生日ブログ
http://ameblo.jp/kondokenji/entry-11217126664.html

12歳の誕生日ブログ
http://ameblo.jp/kuricorder/entry-10855288984.html

11歳の誕生日ブログ
http://ameblo.jp/kuricorder/entry-10503350138.html

3歳の誕生日(ウィークリーマルヤンより)
http://www.ka-ko.net/aakk/maruo/weeklymaruo46-50.shtml

2歳の誕生日 GIF
http://www.ka-ko.net/aakk/maruo/kubifurimaruo.shtml

マルチン16歳おめでとう記念動画。これも1年前です。晩年も子猫のようなマルチンでした。 以下、過去の誕生日ブログ、リンク集。 15歳の誕生日ブログ http://ameblo.jp/kondokenji/entry-11817395800.html 14歳の誕生日ブログ http://ameblo.jp/kondokenji/entry-11507414940.html 13歳の誕生日ブログ http://ameblo.jp/kondokenji/entry-11217126664.html 12歳の誕生日ブログ http://ameblo.jp/kuricorder/entry-10855288984.html 11歳の誕生日ブログ http://ameblo.jp/kuricorder/entry-10503350138.html 3歳の誕生日(ウィークリーマルヤンより) http://www.ka-ko.net/aakk/maruo/weeklymaruo46-50.shtml 2歳の誕生日 GIF http://www.ka-ko.net/aakk/maruo/kubifurimaruo.shtml #近藤マルオ#cat#ねこ#猫#ネコ#アメリカンショートヘアー#アメショ#americanshorthair#誕生日#誕生日おめでとう#birthday#happybirthday

kenji kondoさん(@kenjikond0)が投稿した動画 -


本日をもちまして栗コーダーカルテットを脱退することになりました。今まで応援して下さった皆様、突然の報告になり申し訳ありません。年内に関しましては、既に決定していた公演を中心に参加するものもあります。21年間、ありがとうございました。2015年3月31日 近藤研二

kenji kondoさん(@kenjikond0)が投稿した写真 -



バンド活動を通し受けた恩恵は計りしれず、ファンのみなさんや、各地、各方面でお世話になった方々へ、どれだけ感謝してもしきれないほどです。新しい活動の場で自分なりの音や形でその思いを表現していけたらと思っています。これからも精進して参りますので、どうぞよろしくお願いします。



年末のこと、大掃除がてらHDDレコーダーに貯まっていたテレビ番組もいくつか消化した。NHKスペシャル「臨死体験 立花隆 思索ドキュメント 死ぬとき心はどうなるのか」もそのひとつ。立花氏が番組での取材を通して出したひとまずの結論は以下のようなものだったかと。「臨死体験はフォールスメモリーという記憶の改ざんであろう。意識(魂、心)は脳によって作られているもので、死んだらなくなるものだろう」。ふーん、輪廻転生を信ずる多くの人々にはあまりに夢のない見解だな。




昨夏、愛猫マルオを亡くした直後、右肩が痛みだした。マルオはご覧のように僕の肩に乗るのが大好きだった。肩の痛みはタイミングよく発病した五十肩と考えるのが真っ当なんだろうけれど、自分としてはマルオが肩に憑依したんだと思いたい。フォールスメモリーだかなんだか知らないが、その方がちょっと楽しい。

痛みは半年近く経った今も治まるどころかどんどんひどくなっていて、一昨日、整形外科の主治医の勧めでMRI検査を受けた。あのバームクーヘンみたいなドームの中は機械の動作音(ピピピッとか、プーップーッとかいろんな周期で音が鳴る)がうるさいのでとヘッドホンをかけられた。そのヘッドホンからはパッヘルベルのカノンが流れていて、15分近くいただろうか、狭いドームの中はなんだか気持ちよく、このまま死んでもいいとさえ思えてしまった。

マルオが酸素マスクを付けられ、獣医に心臓マッサージをされ、看護師から足に何本も注射をされていたあの最後の1時間、そこに音楽はなかった。泣きながら「一緒に家に帰ろうよ」と必死に呼び戻そうとする飼主の声だけが耳に届いていたのだろうか。人の死に際に泣き叫んだり未練がましいことを語りかけたりすると気持よく往生できず地縛霊になるから、なるべくなら安らかに送り出すようなことを語りかけたりお経でも唱えた方がいいと昔聞いたことがある。ただあの時、いくら自分が音楽家だからといって、パッヘルベルのカノンにかわるような音楽を聴かせてあげられるわけはなかった。

そんなわけで、見事マルオは今、自分の右肩に乗っている。この痛みがなくなった時が彼の生まれ変わる時だと思いたい。もっと好きなだけ乗っててもいいけど、どうか仕事に差し支えない程度にしてね。

1月9日にインスタグラムはじめてみました↓


Instagram
アラフィフらしい日々を送っております。ご無沙汰です。年末年始のインフォメーションをいくつか。

12月30日(火)午後1時~3時 NHK-FM
栗屋敷 ~栗コーダーカルテットの密やかな愉しみ~

栗コーダーカルテットによる2時間のラジオ特番。佐渡裕さん、あずまきよひこさん(メッセンジャー金田朋子さん)、岡村靖幸さん、ももいろクローバーZのみなさん、竹中直人さんからありがたいコメントをいただいてます。その中でリクエストされた曲を栗コーダーがスタジオライブで応えるというコーナー、今回の目玉と言えるでしょう。大掃除しながら是非。ラジオがなくても、らじる★らじるなんかで聴けると思います。

2015年、年明け早々、いろいろとライブがあります。

1月10日(土)大島保克 @ 吉祥寺Star Pines Cafe
1月11日(日)ワッツタワーズ @ 渋谷O-West
1月12日(月)Controversial Spark @ 新代田FEVER
1月13日(祝)名渡山遼 @ Motion Blue横浜

12日のコンスパのライブでは、メンバーによるフリマを開催予定で、自分もいろいろ出品しようと思っています。例えば、こんなギターを。


BLADE R Series


FENDER JAPAN ST57


K.YAIRI CE-1

全てメンテ済み。下の記事にもある雑誌Player12月号に多少の詳細は出てます。

というわけで今日はイブですが、チキンやケーキに鼻をクンクンさせて寄り目になっていたマルチンを思い、祈りを捧げたいと思います。
最近コンサート会場で「マルオくんへ」とお供えものをいただいたり、励ましのお言葉をいただくことがあります。お気遣いやちょっとしたひと言がとても心にしみます。ありがとうございます。先日、松山では「マルオくんとポチ実ちゃんへ」と、いりこ100gを二袋いただきました。

ということで、ポチ実ちゃんの飼主、いや本人曰く、お兄さんだそうですが、山田稔明さんの家にいりこを届けて参りました。山田さん家のポチの百ヶ日がウチのマルオの四十九日だったみたいで、同じ境遇の身として、たっぷり猫談義をさせてもらいました。

ポチ実ちゃんについては山田さんの猫騒動ブログを。



とてもご近所なので、その後わが家に場所を移し猫談義パート2。結局4時間ほど。話つきませんねー。またポチ実ちゃんが人に慣れた頃、遊びに行きたいなー。

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宣伝をいくつか。

先日発売された雑誌Player12月号でギター・コレクションを紹介してもらいました。インタビュー含め8ページに増頁してもらったみたいでありがたいです。

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で、記事中にもありますが、Controversial Sparkの初のフルアルバム発売されました。

Section I/Controversial Spark

¥3,000
Amazon.co.jp

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副島正紀監督によるMVもできましたー↓




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現在放送中のEテレ2355の新曲「放物線のうた」を作編曲させてもらいました。歌は大橋トリオさんです。おやすみソングにぴったりのうっとりする歌声、是非、番組でチェックしてみて下さい。

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おかあさんといっしょの7月の歌だった「モシモシだいすき!」がCDになっています。

NHKおかあさんといっしょ 最新ベスト「みんなのリズム」/NHKおかあさんといっしょ/横山だいすけ・三谷たくみ

¥2,376
Amazon.co.jp

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コンスパのライブではエレキギターをガンガンに弾いたり、フルート宮地夏海さんとのプラネタリウムコンサートではクラシックレパートリーに挑戦したり、作曲仕事も編曲仕事もいろいろとがんばってるよ、オレ。
猫という家族が1人少なくなった家の中、15年ずっと足元に感じていた動く気配はなく、シーンとした部屋。

今までの習慣でつい、部屋の扉は完全に締めきらないようにしたり(猫が出入りできなくなるので)、食後の食器は速攻で洗ったり(猫が舐めてしまわないように)、餌や水が減ってないか目線を落としたり、猫トイレの前に行けば条件反射のようにスコップを持とうとしてしまったり(砂のチェックをするために)、たまに家の前の道路をハイヒールを履いた人が歩くと慌てて飛び起きたり(あのコツコツという音、マルオが吐きそうになってえづいている時のゲホゲホという音にそっくりなのだ)、階段を登った角にある壁から半分くらい顔を出して(この絶妙な身の隠し方よ)帰宅を待ってくれているような気がしたり、極めつけはやっぱり首輪の鈴の音で、似た音がちょっとでもチリンと聞こえると、「あ、マルチン」とその音がした場所にマルオの姿が浮かんでしまう。

昨日はマルオの七七日(四十九日)でした。さて、マルチン、これからだね。

日が経つにつれ薄れてゆくものもある。部屋の扉は締め切ることもできるようになった。トイレの砂には目がいかなくなってきた。こうやって世は遷ろいゆくんだな。

結婚と同時にマルオがやってきたので、妻と二人だけで暮らすのは初めてで、なんだか新鮮な距離感が生まれてしまっている。僕がツアーで家を空けた時、妻は一人暮らしを初体験中。でも、そんな妻も思ったより元気にやっております。前回の記事から間があいてしまってご心配おかけしてすみませんでした。

マルオが11歳で病気をしてからの4年間、毎日、死を覚悟して向き合ってきた。月に一度の検診も、毎朝晩の自宅での点滴も。命の尊さを感じないはずがない。こんなに小さい毛むくじゃらの物体が動いている、呼吸している、こっちを見ている、普段はクールなのにたまにゴロゴロと喉を鳴らし甘えてくる、ゴロニャゴロニャーと甘えた鳴き声を出す時だけ必ずくわえるカメラのストラップ、マルチンにとってそのストラップは何なん? 全てが神秘。マルチンが生きた証は全て、ひとつ残らずオレの胸の中にとどまるよ。


マルヤンに初めて会った日(1999年5月16日)

ペット、小動物を飼うということは、いずれくるであろう死を受け入れるということでもある。それは自分でも分かっていた。15年前マルオが我が家にやってきた時、自然に浮かんだメロディ「ペジエ」にも途中、妙に切なく遷ろいゆくパートがあるではないか(と自分で分析するもの初めてだけど)。マルオさん主演の最初の短編映画「cloudy wednesday」の曲もなんだか切ない(←これ是非、観て下さい。ラストシーンのカットがマルオを撮った初動画だったようです)。「オッタの祈り」という曲もしかり。「オッタ」は「居た」が訛った方言で、仕事から帰宅してマルオに出迎えられる度にいつも「マルチン オッタ!」「オッタ? マルチン」と声をかけていた。そんなことから付けたタイトルでありました。そんな風に自作曲をみるだけでも随分自分は生と死を意識していたはず。はず。なのに、やはり、マルオがいなくなった日は突然で、あまりに突然で、あまりにあっけなく、全く冷静に受け止めることができなかった。定期検診でマルオを病院に預ける時は必ず写真を撮っていたのだけど、あの日に限って写真を撮らなかった自分が憎たらしい。


マルチンの生前最後の写真(2014年8月7日)

そんなわけでマルオの最後の写真はなんだか小洒落た朝食メインの写真になってしまったよ。ごめんねマルチン、センターじゃなくて。

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Eテレ「0655」で「きょうの選択」という新曲が9月からオンエアされています。これからも何かを選択したり、しなかったりしながら自分も進んでいかなくちゃ。「重箱の隅つつくの助」の弟による「気にしないの助音頭」も絶賛オンエア中。歌っているのは近代史ケンジさんです。「2355」では「小石川植物園に行ってみました その2」も放送されました。こちらは近藤研二さんが歌ってます。

それから一昨日、雑誌「Player」の取材を受け、自分のプレイヤー遍歴をたっぷり語ると共に、楽器コレクション(竿モノのみ)を全て撮影してもらいました。

おかげで撮影スタジオがご覧の有り様。

綺麗に撮ってもらったので、これを機に何本かは手放そうかと思案中。何かを捨て自分の中にスペースを作らないと新しいものが入ってこない。ひとつの真理だと思っている。もちろん継続は力というのも分かっている。ただ自分はこれまでもいろんなものを辞めたり手放しながら新しい世界に行き、新しいものを吸収させてもらってきたのだと思う。

今またその時が来ているようなのです。
動かなくなった口も手もお腹も最後まであまりに綺麗なままだったので、本当はあと一週間でも抱いていたかった。11日の朝、マルオは小さくなってうちへ帰ってきました。

マルオは最後の日までとても穏やかに過ごしていました。毛並みも綺麗で、いつまでもかっこよく、愛くるしいマルチン。あまりに可愛いので、君が本当はおじいちゃんだってことを忘れてしまっていたのかもしれない。謝らなくてはいけないこともたくさんあるし、後悔してもしきれない。毎日「かわいいね」とお世辞じゃなくて、本当につい言葉に出ちゃってたけど、それでもまだまだ言い足りなかったよ。もっとずっと一緒にいたかった。

妻は1分でもマルオの姿が見えないと「マルチンどこー?」とすぐ探していた。マルチンがどういう気持ちなのか常に気にしていて、甘えたがっている時は、無頓着なオレにも愛でるようにすぐ促していた。オレよりも何倍もマルチンを愛していたし、ずっとそばで一緒により長い時間を過ごした。今はそんな妻のことがとても心配です。

ちょうど9日の午後から妻の仕事が夏休みになった。オレもここ数年ツアー続きだったけど、この8月前半はちょっとだけ落ち着いていた。ツンデレだけどすごい甘えん坊なマルオはそんな二人が一緒に看取れるタイミングを狙っていたのかな。でもね、マルチン、どうやら15日が君の初七日らしいんだけど、その日、三途の川をうまく渡っていけるかい。お盆なので、みんなは帰ってくる日なんだよ。

いろいろ書きたいことがたくさんあるのだけれど、あまりに突然のことでまだ整理しきれないので、またおいおい書かせてもらうかもしれません。

そういえば、皆さんにあまり動くマルオをお見せしたことがなかったかなあと思い、YouTubeにひとまず1本だけ動画をあげました。



よかったら是非見てください。
もしアメブロ上でトリミングがうまくあっていない時は、以下のリンク先で。
http://youtu.be/PAHbKlRS3Ns

仏壇にはみなさんにいただいたメールやコメント、栗コーダーのブログでいただいたコメントなど全てプリントアウトしてお供えしています。心より御礼申し上げます。