昨日、ご紹介した六つ釦の祖 牧村順二19代目團長は我が應援團の中興の祖でもあります。牧村團長が甲南大学に入学した昭和45年当時、我が應援團は危機的状況にありました。当時の陣容は4回生=4名、3回生=0名、2回生=2名、そして新入生は牧村團長のみ、という総員7名という状況であります。要の3回生が不在である上に、総員の半数以上が幹部という望ましくない逆ピラミッド型の組織体制でありました。
昭和40年代は應援團全盛の時代でありましたので、他校では今で言うリーダー部だけで100名の團員がいる團もある状況の中でのこの所帯は「遂に甲南大学から應援團が消え去ってしまうのでは?」という危機感を抱かせるには十分過ぎたと言えましょう。
この時期、我が團にとって幸いだったのが、昭和45年より應援團顧問に法学部の笹井昭夫教授が就任された事であります。笹井先生は昭和26年の甲南大学建学の時より講師として甲南に奉職され、甲南と共に歩んで来られた生粋の甲南人であり、甲南を愛する事に関しては人後に落ちず、應援團再建に乗り出して下さったのであります。
事実、17代目大田團長、18代目織田團長、19代目牧村團長はいずれも笹井ゼミ生でもありまして、笹井先生自身も熱心にゼミ生を勧誘されたり、少ないリソースを最大限、活用し、顧問と團員が一体となって懸命に再建に努めたのであります。
平成2年まで笹井先生は應援團顧問を勤めて下さいますが、後々、この当時の事を述懐し、牧村團長の器量を絶賛しておられました。苦難に時期にあって求められるあらゆる素養を兼ね備え、救團の雄として辣腕を揮ったのであります。
甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会團史編纂委員会