連帯責任…何とおぞましい四字熟語でありましょうか。
読者諸兄には釈迦に説法で恐縮ではありますが、ネットで検索したところ、以下の様な意になります。
複数の人間が、責任発生の直接の原因となる行為をしているか否かにかかわらず共同で同じ責任を負うこと。
不正の未然防止のための相互監視を促すシステムとして有効。
数々の悪夢が蘇るOB諸兄も多いのではないでしょうか。そうです、應援團は連帯責任が重要な根幹を成すシステムになっております。
例えば1回生團員の一人が練習に遅刻するという事態が発生しますと、その日の練習は厳しさのレベルが何段階かアップします。また場合によっては全員で正座という事態に発展するケースもございます。またこういう事態が幹部の耳に入れば、内部不統制の責を3回生が負う羽目になります。
意外に思われるかもしれませんが、應援團運営の要の一つは公平性であります。誰の目にも明らかな理由もなしに特定の團員に対する特別な措置は著しく士気を低下させます。
また下級生に対しては「自分だけ良ければ良い」という考えは、恥ずべき事であると、事ある毎に徹底的に教育します。故にこの教えに対する違反は、かなり厳しい罰が待っております。
應援團の基本は集団生活でありまして、組織の一員としての行動が常に求められます。
それに加え秋霜の如き規律を求められる団体でありますので、内部統制の意味合いもあり連帯責任制度が受け継がれてきたものと思われます。
入團後、連帯責任制度が適用される度に「ワシは悪くないのに…」と誰もが思います。最初は制度そのものを恨み、次に下手を打った同期への怒りに拳を震わせるのが、健全な團員の姿であります。
それと同時に自分だけは失敗しまい、と必死に努めるのもごく当然と言えましょう。
されど時間の経過と共に同期との絆も深まり、誰であれ恥ずべき行動があれば、それは甲南大學應援團としての恥であるという意識が形成されて参りますと、ミスを犯しそうな同期をフォローしたり、厳罰覚悟で罪を被ったりし始めます。こうなりますと組織は盤石でありまして、次の新入生は迎えるまでは安心、という次第になるわけであります。
現代の様に個を尊重する社会風潮の中、連帯責任制度は過去の遺物になった感がございますが、少なくとも我が團では有効に機能していた様に感じる今日この頃であります。
八代目甲南大學應援團OB会広報委員会