金城鉄壁と呼ばれた我が甲南大學應援團の本部があります通称「團室」は、一般学生からはミステリアスゾーンとして、ある時は敬遠され、ある時は怖いもの見たさで覗き見され、またある時は肝試し会場に選ばれ、と物騒な場所と認識されていた様であります。
私共、應援團OBにとっては、大学生活の殆どの時間を過ごした場所故に涙あり笑いありの、大学生活の全てが凝縮された、特別な場所なのであります。
現在の團室は学友会館の3Fにございます。昭和45年頃より使用させて頂いております。それ以前は学友会館と道を隔てた向かいの複写センターがあった場所にありました。現在は複写センターもなくなり、校舎が建っておりますので、往時を偲ぶ事は出来ません。
さて、團室がある学友会館は、大学生協が入居している学生の憩いの場となっております。1Fには購買部、2Fには学食があり、昼休みや休憩時間には学生でごった返します。学友会館の前にある通称「一本松」で待ち合わせをした事がある甲南卒業生の方も多いのではないでしょうか。この学友会館の3Fに我が甲南大學應援團の團室がございます。
【團室へ上る階段】
かつての城や武家屋敷は非常時に備え、同時に大人数が攻め上れない様、階段の幅を狭くしているらしいのですが、我が團室もこの人一人がやっと通れる細い階段が唯一の通路となっております。防御力は高いのでありますが、下級生は太鼓等の大型備品の運搬に苦労します。
【團室正面】
階段を3階まで上りますと、色気のない分厚い鉄の扉が迎えてくれます。学友会館は3階建てですので、ここが最上階になります。ちなみに看板は比較的、新しく平成8年に新調したものでございます。
【團室の窓】
團室の窓には何故か鉄板がはめ込まれております。すきま風は一切、入って来ません。鉄板の厚さから計算しますと32口径の銃弾までなら耐えれます。扉に至っては更に分厚い鉄板が使用されておりますので45口径でも十分、防げるとされております。
この様に團室は実に機能的に作られているのがお分かりかと思います。甲南学園創設者 平生釟三郎先生は「常ニ備ヘヨ」との教えを遺されました。我が應援團はこの教えを肝に銘じ非常時に備えている次第であります。
折を見て禁断の室内の様子についてもご紹介したいと思います。
八代目甲南大學應援團OB会
広報委員会