幻の初代團バッジ探索紀【後編】 | 大学應援團に関する考察を支援するブログ

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かつて地方都市に実在した應援團の赤裸々な日常を通じ、大学應援團とは何を考えるブログです。

これまでの取材で分かった範囲で初代團バッジ制定の過程を綴って参りました。ではどんなバッジだったのかと申しますと、元々は会社等でスーツの襟に付ける目的で作ったものですので、大きさ的には後の團バッジよりは遥かに小さく、学生服の襟に着用していた様であります。

肝心のデザインに関しても、良くも悪くも一世を風靡した本多会と同じ紋章でありますので、ネットで検索するだけでもヒット致します。

これで実物はないまでも解明作業としては一段落かと思っていたのでありますが、当時、在籍していた先輩方や関係者の方より「微妙に違う」との指摘を頂いたのであります。今や幻となった実物をご覧になった数少ない方々の証言ですので、これは貴重な指摘と申し上げねばなりません。早速、その微妙な違いについてお話を伺って参りました。

お話を総合すると「もう少し丸みがあった」との事で、デザインとしては一致しているものの、全体のシルエットが微妙に違う、という事が分かりました。
改めて当時の関係者のお話を基に再調査を行いましたが、本多会は昭和40年に解散、建設業、倉庫業も本多翁没後、俄かに失速し、調査は難航を極めましたが、幸いにも大神倉庫の一部に面影が残っているとの情報を得、早速、見学に伺いました。

写真の赤い紋章がそうでありますが、かつては周囲の丸はなく、中の本多の本を字をデザインした紋様を以て本多一門統合の象徴としたとの事であります。
関係者各位にも確認しましたが、初代團バッジで間違いないとの事であります。


この紋章を学ランの襟に付け、意気軒昂に神戸を闊歩する当時の團員達の姿が目に浮かびます。
実物は発見に至りませんでしたが、これを以て初代團バッジ探索の旅は一段落とさせて頂きたく存じます。

甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会團史編纂委員会