それはすでに昨月、4月29日。多分朝8時ちょっと前くらい。

新宿発の格安高速バスに乗り込み、揺られる事約10時間。



多分普段は普通の観光バスの運転をしているだろう運転手さんの慣れない車内アナウンスで目が覚める。

固いシートで、これまたカチコチに固まった体をストレッチしながら、カーテンの外に目をやるとそこは青森。


こころなしか東京よりもずっと高く、広く感じる空。遠くまで大地が広がって、その向こう。南側には雪深い八甲田山が壁のようにそびえ立つ。



津軽半島と陸奥半島、2つの半島に囲まれた陸奥湾まで歩いていける青森駅。

GWだっつーのに恐ろしく寒い。


東京から来た、たぶん青森出身の乗客達は、バスから降りると寒さに背中を丸めて歩き出す。


休日の朝ということもあり、高速バスの乗客以外の人はまばら。

駅前のバスロータリーが改装中のようだが、これも今日は工事が休みで静まり返っていた。





妹の結婚式があり、帰省した。

親不孝なもので、あまり頻繁に帰る方ではない。

実家を出て8年経つが、その間たぶん帰省は4、5回くらい。もしかしたらもっと少ない。




とりあえず実家に連絡する。車で迎えに来てくれるらしい。

おしゃべりな母親が、朝からハイテンションで「お父さんが迎えに行くから~!」と教えてくれた。



駅前をふらふらと歩いたり、昔の友達でも歩いてないかと通行人を観察してたりするうちに、とっくに迎えの車が着くはずの時間は過ぎた。


携帯電話を持っているはずの親父からの連絡は無い。


なんだか心配になって、実家に電話すると、もう着いているけど携帯を忘れて連絡できなかったとのこと。

そしたらイエデンから一本母ちゃんが連絡くれりゃよいのにと思いながら、親父が車を止めているという場所に向かう。



向かってる途中、公衆電話の前。財布の小銭を取り出そうとしている親父を見つけた。


自分の記憶より二回りくらい小さい。

もとは身長180cmくらいあった。今は、曲がった背中も手伝って168cmの自分とほとんど目線が変わらない。


こちらに気付くと、皺の多くなった笑顔で迎えてくれた。


今年の4月に買い換えたばかりというビッグホーンに乗り込んで実家へと向かう。

買ってすぐに自損事故を起こし、ボンネットだけ換えたらしく、白の車なのにそこだけ紺色になっている。

なんだかこの手作り感は懐かしい感じがしてうれしい。


車の中では、青森の変わったとこや妹の結婚相手の事を教えてくれた。


結婚式の段取りに関してなんか不満があったらしく、妹の旦那やら先方の家族の愚痴を話していた。

親父は昔から、家族の事で、なんとなく釈然としないものがあったらまずオレに愚痴る。

明確に反対の時や、怒るときはまさに烈火のごとく怒り狂うので、まずはそんな深刻ではないと思ってとりあえずほっとする。


昭和の父親という形容がピッタリの人で、家は男が守るという確固たる考えがある。

船乗りだった親父が長期間家を空けるときには「お前が家を守れ」と小さな自分に言って聞かせてくれたし、

高校1年の時に病気で会社を退職しなければならなくなったときもはじめに話してくれた。、


病気で退職した後すでに50歳を迎え、その上、病気持ちの親父には当然簡単に仕事は見つからなかった。

それでも、その不遇を誰にぶつけるでもなく、腐る事も、折れる事も無く、ハローワークに通って一生懸命に仕事を探し、家族を支えてようとしてくれた。


自分の価値観の根底を作ってくれたとても「強い人」である。

見かけじゃなく、本当に「強い人」って多分こういう人のことを言うんだと思う。



そんなこんなで愚痴を聞いているうちに実家に到着。

朝飯食ってシャワーを浴びて昼からの妹の結婚式の準備を慌しくしていると、親父が怒り始める。

こないだ親戚の結婚式で履いたお気に入りの靴が無いらしい。


「他の靴で良いじゃない。」


母が何食わぬ顔で言う。


いつもの光景。

その後、式場に着いた後もカメラのフィルムを買ってきてくれと頼まれた。

いろんな意味で(今更かよ)と思いながらフィルムを買いにいった。


「段取り」という言葉は、我が家の辞書には無い。


バタバタの準備が終わり、美容院から戻って来た姉貴を加えいよいよ式場に。

式場では久々に会う親戚の人たちと挨拶を交わしてから、両家一列ずつになりチャペルに入場。


長男の米泥棒は、母の後ろ、新婦側2番目で入場。

前から2列目の一番バージンロード側で、親父から「撮ってくれ」と押し付けられたカメラを構える。


まず新郎が入場。背が高くてイケメン風。真剣な面持ちで一歩一歩牧師の方に近づいていく。

兄ちゃんは妹がこんな良い人と結婚できると思わなかったからこの時点で泣きそうだよ。

結婚おめでとう。


次に新婦入場。妹と親父が腕を組んで歩いてくる。


親父の表情は「超」が付く硬さで溢れている。

足が悪いので、失敗できないという緊張感もあるのだろうが、

元来、育ちが良いほうではない(もちろんオレもなんだけど)親父は、こういう場が、極端に苦手である。


今回チャペル方式を受け入れた事すら奇跡に近い。


まぁ、それは置いておいて、兎にも角にも新婦である妹は親父から新郎に引き渡される。

誓いのキスやら、ちょっと長めの牧師さんの良い話やら、賛美歌やらが終了。


ちょっとして披露宴が行われた。


新郎新婦入場。両家それぞれがお願いした人からの挨拶。乾杯。

そして友人代表による余興。

こういう式次ってどう決まってきたんだろうか。まぁ、どうでも良いけど。

会場前方では新郎友人代表による余興が行われている。


プロジェクターでオバマ大統領やシュワちゃんが字幕上で新郎にお祝いの言葉を述べている画像が映し出されている。

最後には当時、時の人、タイガーウッズが例の会見の画像の中で「今日は結婚式いけなくてごめん。ちょっとヤバい状況でさ。……マジヤバイ。」とか「僕が言えることはただ一つ。奥さんを大切にしろよ。…さもないと大変な事になるぞ。」とか重みのある発言をしていた。


会場はよい感じに盛り上がって、自分も大笑いしながらふと親父に目を向けると少しも笑わずに飯を食っている。

この手の冗談は、何を言っているのかわからない、という顔を昔から良くする。


その後、お色直しの退場のときは、母が妹から指名され一緒に退場した。ちょっと寂しそうな親父殿。


つまらなさそうなので、ムービーのカメラを持って近づき「娘の晴れの日に一言!」と言うと、びっくりした顔で止まってしまった。しばらくしてからなんかもごもご言っているが、変なEXILEのモノマネの余興のせいで少しも聞こえない。

ここは何をしたいか良くわからないモノマネに親子ともどもイライラする。


その後も式は進み、最後、新郎新婦から両親への挨拶。

「泣くかな?」と思ってその瞬間を捉えてやろうとカメラを構えるが結局泣かず。

まぁ、人の前で泣いたりするのは絶対に嫌な人だから当たり前っちゃ当たり前なんですが。


そうやって妹の式は無事に終わっていきました。

家に帰ると、妹からもらった記念の品をうれしそうに見ている。

嬉しかったんだろう。


そういえば、後ちょっとで父の日だ。なんかかってやろう。

みなさんもちょっと厄介だけど愛すべき親父殿になんか買ってみてはどうでしょう。


尻切れ感が否めませんが、ブログ一発目で書きたかった親父の話はここまで。

続きはまたどっかのタイミングで。




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