《手造の旅》山形、二日目に乗車したフラワー長井鉄道の始発駅・荒砥に展示してあった手描きの古い本が目についた。


明治時代、日本から外国への主要輸出品が良質な絹糸であったことは、教科書からの知識としては知っていた。

しかし、日本の養蚕がどれだけの研究・試行錯誤のもとで確立していったのかを、教科書から感じる事は出来ない。


この丁寧な「口述筆記本」にその片鱗を見た気がした。なにしろ、手書き。中をひらくと(そう、誰でも手にとれるようにぽんと置いてある)、講師が黒板に書いたのか資料として見せてくれたのかだろう絵を、丁寧に書き写してあった。


蛾の生態を事細かに書いてある。蛾に「キンタマ」があるなんて、下の絵の左上の絵を見るまで知らなかった↓



この講義を行った田嶋棟平という人物は、どうやら群馬で養蚕の方法を確立した田嶋弥平の孫か、その周辺の人物らしい。江戸の後期から明治にかけて、一族で養蚕の方法を確立した家系であった。


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