今回の《手造の旅》ニューメキシコのはじまり、テキサス州エルパソの空港で見た巨大な騎馬像。

onate_Elpaso


高さ10メートルにもなるこの像が何なのか、


見たときには理解していなかった。


「西部らしいカーボーイの像だな」ぐらいに思っていた。





その夜ネットで調べて、これが「西部のカウボーイ」などという一般的なものではなく、アメリカ最初の入植者ドン・ファン・デ・オニャーテだと分かった。





1598年にスペイン王フェリペ二世の命をうけて、ヌエボ・メヒコ(ニュー・メキシコ)に新しい町をつくるべくエルパソから遠征した人物。





それは、メイフラワー号がプリマスに着くより二十年以上も前の事。つまり、現在のアメリカへはじめて本気で住むことを目的に向かったはじめての白人である。





白人の歴史からみれば記憶すべき人物。





しかし・・・


★1599年、冬をまえに、オニャーテは近隣のアコマ・プエブロ族から食料の供出をさせようとした。プエブロ族はそれを拒否し、スペイン人が殺されるという事態が発生。先住民にとっても冬を越す食料は死活問題だったのだ。 


オニャーテは、その報復として村を襲い、数百人が殺され(資料により数字に違いあり)、生き残った男の(この数も20人から80人まで諸説あり)右足を切断した。





こんな所業が現在まで伝わる人物、プエブロ族にとっては許しがたいだろう。



オニャーテという人物について解説しているネット辞典WIKIの最後の方に、もうひとつのオニャーテ像についての面白い話が載っていた。


※⇒こちらから読んでいただけます





エルパソ空港の巨像の他にも、1991年にオニャーテの像が建設されていたのである。


場所は、我々が今回訪れるサンタフェの北。プエブロ族の住むエリアにある「オニャーテ・センター」。


へぇ~、そんなセンターを現代でもつくってしまうアメリカって国はもう・・・。





★事件は、1998年、オニャーテの遠征四百周年記念を前にした夜に起きた


当時の話を書いた「オニャーテの無くなった片足」という記事、英語ですがこちらから。


何者かがセンターに忍び込み、オニャーテ像の右足を切断して持ち去った。


そして「これでおあいこ」とメッセージを残したのである。





翌日、犯人は持ち去った足の写真を送ってきた。


センターは「四百年も前の事でこんな行為をするのは解せない」とコメントしたが、四百年前の当事者だったアコマ・プエブロはこう反論した。


「像の足が切り取られた事件なら笑ってすませられるだろう。でも、人間の足を切り取ったのは笑ってすまされない」





このストーリーの場所、可能なら見てみたい。


今回我々が行くルートにあるようだ。





エスパニョーラの村を過ぎ、何もない道路沿いに見えてきた。これに違いない。




onate_Espanora


塀に囲われている敷地の中は草がぼうぼう。





後ろの建物には確かにオニャーテセンターと書かれているが、人気はない。閉館したのだろうか。





あの時切られた右足は、すぐに修復されたと記事に書かれていた。が、その切られた跡はしっかり残っているのだそうだ。





近寄ってクローズアップすると・・・




onate_Espanora_leg


おお、これは確かに切り取られた跡にちがいない。





四百年前の意趣返し。だが、銅像に向けての行為であれば、ひとつのメッセージであると納得もされるだろう。





人気のない建物の近くに看板があった。「ニューメキシコ・ユース・コンサヴェーション」





スペインのコンキスタドール(征服者)ドン・ファン・デ・オニャーテの「業績」を若い世代のために伝承しようという場所として建設されたセンターだったのだ。





こんな場所が1991年にもまだ建設される、アメリカという国・・・多様な価値観の国である。今、伝えられていかねばならないのは、どんな歴史であるのか、考えるべき場所ではある。






onate_Espanora2