アヴィラの大聖堂を訪れていちばん印象に残ったのは、昨年2014年に設置された新しい墓だった。

1976年から1981年までスペインの首相をつとめたアドルフォ・スアーレスという人物。もちろんガイドブックになど載っていない。気付かずに通り過ぎてしまってもおかしくない。
「スペイン民主化の時期に功績があった人物です」
と教えてくれたガイドさんに感謝。
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その夜、彼がどんな人物だったのかを調べてゆくにつれ、現代スペインが確かに敬意を払うべき人物だったのだと理解した。
昨年からマドリッドの空港は彼の名前を冠し「アドルフォ・スアーレス・マドリッド・バラハス国際空港」となっている。


第二次大戦前から続いたフランコ独裁体制がその死によって終わった1975年。後継者に指名されていたファン・カルロス国王はスペインの民主化を推進。

以前セゴビアを訪れたときに知り合ったアドルフォ・スアーレスが、国王の信頼を得て翌年から首相となった。

フランコ時代に権力を握っていた軍部は、政党政治が定着してゆくにつれその力を弱め、不満を募らせていた。

1981年2月23日 スワーレスが首相を辞任した直後に軍部のクーデターが勃発。反乱を主導した中佐がピストルを手に国会占拠。反乱軍は議場で機関銃を威嚇射撃、ほとんどの議員が机の下に隠れたが、この時、議場の最前列にいたスワーレスは動じなかった。
⇒テレビ中継されていたこの事件は一部始終の映像が残っている。

銃の脅しに動じない事が政治家の資質ではない。
それは分かっているが、本当に銃口を向けられた時、自分の命以上に重要だと思える仕事をしているかどうかが分かるのかもしれない。
この映像を見ていてそう思う。


晩年のアドルフォ・スアーレスは認知症を発症して十年以上施設に入っていた。
国王が直接勲章を手渡すために訪れても「私は君の古い友人だよ」と自己紹介しなくてはならなかったそうだ。

昨年、国王がテレビで追悼演説をした時、その横に置かれていたのがその時の二人の後ろ姿の写真。後ろ姿を見るだけで彼の魂がすでに半分肉体を離れかけているのが分かる。その肩にがっちりと手をまわしていたわる長身の国王はどんな気持ちであったろう。
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アヴィラの町を歩いている時、ブロンズの小柄な人物像に出会った。
最初は誰だか分からなかったが、大聖堂を訪れた翌日再び前を通り、すぐにアドルフォ・スアーレスはその人なのだと分かった。
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現代スペインを自由の国にしてくれた功労者の一人は、スペイン人ひとりひとりの中で生きている。