昨夜は、公開時から見たい見たいと思ってた『カポーティ』を相方が借りてきたのでワイン飲みつつ鑑賞。

えー・・・あんまり日曜の夜に見るタイプのお話じゃなかったかなぁ~~


トルーマン・カポーティという作家は、たぶん一般的に一番なじみがあるのが『ティファニーで朝食を』だと思うけど、例えば三島との交友だとか、近現代の日本の作家のエッセイやら小説やら読んでても「好きな(影響を受けた)作家」としてよく名前があがる人物。(よしもとばななさんの小説には、登場人物の愛読書として『カメレオンのための音楽』が出てきますね)

私の翻訳の先生も「カポーティの文章は美しい!」と大絶賛なので、言葉の面から見ても優れた作家なんでしょう。


この映画は、カポーティがいかにして一家4人惨殺事件の犯人に焦点をあてたノンフィクション『冷血(In Cold Blood)』を書き上げたのか・・・っていう執筆の裏側ストーリー。

さまざまな手(有名作家の特権・お金・ウソetc.)を使って、拘留されている犯人との面会に成功し、インタビューを開始するカポーティ。凄惨な事件の犯人を「冷血」として描いていくのに、見ているこちら側は、ただ小説のネタのために事件と犯人を利用しているカポーティ自身も「冷血」なんじゃないのか?と感じてしまう。パーティー三昧な彼の心の闇みたいなものが垣間見える。

そして、何度も会い手紙をやり取りするうちに、生い立ちが似ている犯人とカポーティには不思議な友情のようなものが芽生える。

作家として小説を完結させるためには、物語の結末として死刑執行を望むのに、友人(?)としては死んで欲しくない・・・カポーティの気持ちの揺れが後半増え続けるアルコール量にも表されていました。


『冷血』以降、カポーティが1編の小説も完成させていない・・・っていうのはこの映画を見るまで知らなかった。

私は数年前に『冷血』を読んでいるのですが(日本語で)、正直言って当時の感想は「これ、未完成?」っていうものだったんですよね。今となっては細かいところとか全然覚えてないけど、なんていうか・・・緻密だけど、どこに向かいたいのかわかんなかったんです。


事件も犯人も犯人の末路も、事実だから変えようがなく確定している。

それをカポーティ自身がどう捉えようとしてるのかがわからなかった。

・・・って、まぁ「ノンフィクション」だからな、仕方ないのか、ってその時は思ったけど。

今回この映画を見て、なんとなくその理由がわかった気がします。


ところで、カポーティ役の俳優(フィリップ・シーモア・ホフマン)。

私は動いているカポーティ本人って見た事がないけど、きっとこんなんだったんだ!って思わせるほどの絶妙さ加減だった。繊細なとこ、不安定なとこがよく出てた気がする。

どうもパタリロに見えてしょうがなかったけど。

後から知ったけど、この作品で主演男優賞だったとか。なるほどねぇ~・・・ってことはやっぱ本人そっくりだったんでしょう。


見終わった後、なんかしんみりしちゃうので、日曜の夜向きじゃないけど、

カポーティの作品、特に『冷血』読んだことある人には、きっと興味深い作品です。


ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
カポーティ コレクターズ・エディション