先日、友達数人と南三陸に行って参りました。
初めて訪れる東日本大震災の被災地。
写真は志津川駅です。
駅ですがバス停です。
震災前は近くに鉄道が通っていましたが、
鉄道のレールは撤去され、今はその区間を
バスが走っているのだそうです。
この辺一帯は津波に飲み込まれ、
30人以上の方々が犠牲となったと聞きました。
奥に見える高台の住宅地は津波の被害を免れたそうです。
今ではガレキは撤去、整地され
商店街や駐車場になり、当時の面影は感じられません。
海からは大分離れているこの場所まで
津波が押し寄せて来たとは驚きでした。
計り知れない津波の脅威を感じました。
モアイ像
ちょっぴりユーモアのある表情に
心が和みます。
この場所では記念写真を写せるようになっていました。
『モアイ』はイースター島のラヌパイ語で
『未来に生きる』という意味。
2013年5月25日、南三陸町にチリのイースター島から
世界初となる本物のモアイ像が贈られました。
このモアイ像にはサンゴで作られた目がありますが、
目のあるモアイ像は世界でも2体しかない貴重なものです。
復興のシンボルとして、南三陸町の人々を勇気づけ
遠い未来まで見守り続けてくれることでしょう。
三陸さんさん商店街
震災後に出来た仮設の商店街には
たくさんの食べ物屋さんがありました。
その中の一件のお店で海鮮丼を食べました。
ネタが新鮮で美味しくいただきました。
今まで食べた海鮮丼の中では
一番美味しかったです。
大好きな芽かぶもタップリ乗っていました。
お昼時ということもあり、
お店は賑わいと活気がありました。
昼食後に海岸の方に行きました。
あちこちで地面を高くする工事を行なっていました。
ここが津波負けない地域になるためには
あと何年の歳月を必要とするのでしょうか。
行く途中、テレビでは幾度となく見た
鉄骨だけが残った防災センターの側を通りました。
海と目と鼻の先でした。
海は霧雨に煙って良く見えませんでしたが、
ここで確かに4年前に悲しい出来事があった事実を
回りの景色から感じ取ることが出来ました。
水没して使えなくなった小学校もありました。
まだ使われている仮設住宅を見ると、
春はまだ先なのかと辛い気持ちになりました。
とてつもなく大きな爪痕を残した東日本大震災。
悲しい事実だけれど、決して忘れてはならない、
風化させてはならない出来事だと強く感じて来ました。
山里にあるこの素敵な建物は自家焙煎珈琲のお店です。
私はコーヒー通ではないので、
普段はインスタント以外のコーヒーは
苦いと感じることが多いのですが、
ここで飲んだコーヒーは
コクがあってまろやかで美味しいと感じました。
店内の様子
この他に興味を引いたのは洋風の煙突式のストーブで
身体がポカポカ暖まりました。
みやぎの明治村 登米町(とよままち)にて
◆教育資料館
旧登米高等尋常小学校校舎
国指定重要文化財(建造物)
懐かしい上下開閉式の机が置いてある教室
リアルなマネキンの先生と生徒にドッキリ!!
ここは明治21年(1888年)に建てられた
当時の洋風学校建築を代表する建物です。
特徴的なのが2階バルコニーで、
校舎全体の中心的な位置にあり、
シンボル的な役割を果たしています。
昭和40年代までこの校舎は実際に使われていて、
多い時だと思いますが、2千人位の生徒さんがいたそうです。
教室の中にも自由に入って見せて頂くことが出来ました。
来館記念に買った可愛いランドセルのキーホルダー。
出掛ける時は晴れていたのですが、
南三陸に着く頃には霧雨模様となりました。
南三陸には桜が咲き始めていました。
被災地の方との出会いもありました。
心に淋しさと暖かさが入り交じる南三陸の旅でした。
5年後、10年後の被災地の姿に想いを馳せながら、
帰路につきました。
オ・マ・ケ
被災地の方の手作りの“ふくさ”です。
畳のヘリに使われる布で作られています。
鮮魚店で見つけたユニークな大漁旗です。
帰る途中で食べた煮込みハンバーグ定食。
今日も最後までお付き合い頂き、
ありがとうございました。