Final chapter

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こちらの記事で 「難聴ママの子育て奮闘記」最後になります。


開設してから、今まで読んで頂きありがとうございました。


素敵な出会いもあり、沢山の事を学ばせてもらったブログでした。



ブログをはじめた当初、


難聴である自分は、いつも同じ事に悩み、そして同じ所でつまづき、



世間でいう「難聴」のイメージは、まだまだ「風邪」と同じぐらいのレベルかもしれない。


「難聴です」だけじゃ、何も始まらないことをここ何年かで痛感したし、


伝えることの大切さと難しさも本当に沢山学びました。



難聴というものを特別に考えてこなかった時期の自分も、


難聴だから出来ない、仕方ないんだって強がってた自分も、


今思うと、ここまでくる為の必要な時期だったんだなって思います。


外に出るだけで沢山の力を使うことになる「難聴」障害。


過去に感じてきた傷や思い出はそう簡単には消せないけど、


難聴者は同じような悩みを抱え、


色んな場面で同じように感じている時が多いんだなと。


最初は自分がダメだからって思ってたことが、


難聴のせいって思うことがやっぱりあったけど、


自分のせいじゃないし、


自分だけじゃないんだって、すごく救われて前向きになれたし、


こんな自分だからこそ、自分の事ぐらいは自分が好きにならないと、


自分を自分が否定したらダメになると思うから。



弱音を吐かずに世界を広げた1人のママさんの存在。


彼女の存在は、私が手話を覚えよう!!、私でも覚えられるかなと思わせてくれた。


お礼が言えないまま、ブログから離れてしまったけど、


きっと自分の力を伸ばして頑張っているんじゃないかなと思う。


いつか手話で話せる日がきたらいいなって思う。



最初は彼女と私は環境も違うし、聴力も違うしな…って、


同じ難聴者として比べては、自分の無力さに焦りを感じた時もあった。



私自身は、誰かが苦しんだり悩んだりしてる時は、


自分のことのように悩んで考えて、痛みを分け合って感じたいと思う。


マイナスの気持ちがうつったって私は構わない。


相手が話してくれることで救われるなら。


でも、ネガティブなマイナス思考の感情、気持ち、生き方をとことん嫌う人もいる。



傷付いてきた時期も、受容出来なかった時期も、みんなそれぞれ違うから…


誰でもネガティブで暗い事は嫌だと思うけど、でも誰かに話したい、相談したい、


嫌で悔しくて仕方がないっていう時期ってあると思う。


自分の力で、自分の現状を打破していくのってかなりの力がいるし、


現実の中で解決できないからこそ、こうやってこっちの世界に頼る。


自分自身だって、そんな気持ちにならないように必死だったと思う。


特にここ何年かは…


世の中にはもっと大変な人もいるし、障害を持ちながらも精いっぱい生きてる人もいる。



でも、自分が辛い時に、無理にプラスに考えて考えて、自分が変わらなくちゃって思っても、


無理があると思う。


1人1人の性格も得意なことも違うし、周りの環境も違う。


その人と同じように過ごしても、同じように乗り越えて、前向きにいれるわけじゃないと思う。


その人のペースがあって、その人の乗り越え方がある。


正解なんてないんだよね。


だから今どうしようもなく、出口のない暗闇に止まっている人でも、


本当は元気なんかじゃなくて無理して元気に過ごしている人でも、


たまには後ろを向いたって立ち止まったっていいと思うな。


そんなんだから、いつも中途半端だって、頑張ってきたことを知らない人に言われたくないし、


悩んでることだって、立派に頑張ってること!!





短命でも楽しみながら死んでいったヤツがいたら、それはそれで勝ちやなって


運命なんてものがあるかどうかは分からないけど、いずれにしても、不満を言ってるだけじゃつまらないし、何も始まらない


声帯を取ったことが、最善の選択だったかどうかは分からない、その判断をBESTにするように生きるしかない。それが今の僕に出来ること」


最近掲載されたつんくさんの新聞記事の言葉。


すごく自分の中に入ってきた。




これからやってくる新しい季節に、子供を通じて広がる世界…出会い…


どれも楽しみばかりじゃなく、正直不安も多い。


入学する前の子供達のように…



出会う方にとっても、伝える側としても、


「聞こえないママ」とコミュニケーションを取ることは1年生。


難聴歴が長くても、聞こえる家族と暮らしていても、


はじめましての相手に対しては、1年生の時の緊張そのもの。


どこまで自分の事を話したらいいのかも考えるし、


言葉を話すことが出来ていても、



会話をすること=コミュニケーションを取る

(=声に慣れたり、口が読めたり、口話したり)



その事に対しては、1年生。


緊張をほぐしてくれる、友達や手話が出来る人、


難聴の壁を取っ払ってくれる人がいて、ようやく学校生活に慣れたり、


楽しんだり出来る。


そうやって少しづつ成長して、慣れていく。


聞こえる人達にとっては、「聞く・聴く」ことから出来る、新しい行為が当たり前だから、


こっちがどんなに熱心に話しても、伝えて分からなくて当然。



聞こえる人達の方は学校生活にも慣れていくスピードが速いと思うし、


正直付いていくのに精いっぱいに感じることもある。


1人で頑張ることは辛いから、少しづつ近くにいる人にサポートを頼んで、


1年生から、少しづつ成長していけばいいと思う。


もちろん毎日失敗と経験の繰り返し…


「分かってもらえなかったー、聞こえてないのにうなずいてしまった」な日…


それがダメだと言われて分かっていても失敗しちゃう時はしちゃう。


頼りにしてる家族だって、難しいこの障害との付き合い方を、


上手に説明できるようになっても、私っていう本人と相手が通じ合わないと、


どんなに説明しても、分かってもらっても、「大丈夫」にはならないと思う。


コミュニケーションは経験だと思うから。



長くなってしまいましたが、「難聴者」が1から新しい事を学ぶことは、


「健聴者」が学ぶ以上に大変だし、壁もある。


申し込みから受講するまでも長く感じるし、コミュニケーションはいつだって付いてくる。


「仕事」につながるから頑張る、とかと同じように、


「働く」ことが生活の為、「家族」の為とあるように、


私の場合は、「自分」とこれからの「未来」の為。



周りから見て、「大丈夫」「出来てるから平気」そう思われても、


本当に「大丈夫」かどうかは自分の心が決めること。


難聴であるとどうしても、本当の辛さ、大変さを我慢するだけじゃなく、


自分で伝えることも難しいし、耐えなきゃって思いがちだから、


どんなに平気だろう、大丈夫だろう、って思っても、


子供でも大人でも、健聴の子以上に気にかけてあげて欲しいと思う。


学校生活でも職場でも…


二の腕が太くて、タンクトップが着れない人だって、


頭が寂しくて、いつもキャップをかぶってる人だって、


体全体が太めでも自信持って、ビキニ着てる人はカッコイイと思うよ。


全然痛くない、私は。


その姿に自分でめそめそして隠してる方が私は痛い。


何だって、自分が生きやすい方なら、


見せたって見せなくたってどっちでもいいと思う。



補聴器もそう見せたって誤解がつきものだし、


見せたからって理解されるわけじゃない。


相手に伝えるのは自分だから。



見せたい時に見せたらいいしね!!


伝えられないうちは、なるべく伝えれる人がサポートしてあげて欲しいと思う。




引っ越し先はまだ未定ですが、、あえて「難聴」をタイトルから外す予定です。


このブログでは、思い出と自分が乗り越えてきた、挑戦してきたことが詰まっています。


当分は残しておく予定ですが、


コメントを残してくれた読者さん、アメンバーの方には、また引っ越し先が決まり次第


お知らせしたいと思います。


前の記事にコメントをしてくれたり、メッセージをもらえるのは大歓迎です。


お返事は遅くなるかもしれませんが…


開設当初から読んでくれている方は、文の癖とかですぐ分かってしまうかもしれないな


うまく言葉にならない、伝えたい事が分からない時もあったこのブログでしたが、


本当に出会えてよかった人も沢山います。


難聴で良かったって思ったこと、その出会いかな?


とても感謝しています。



最後に、「フミの随想録」のフミ さんの「聴覚障害者からのメッセージ」の記事は、


ぜひ皆さんにも読んでもらいたいです。


私よりずっと言葉が上手で、とても共感出来る記事を書いてくださっています。


沢山のパワーをくれ、アドバイスをくれた皆さんに感謝の気持ちを込めて…


またお会いしましょう♪ とろろママより



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