M&M様から、以下のコメントを頂いていました。

 

"其の後 byM&M

 

すいません、勝手ながら。
読者ですが、
記事はおやめになったのでしょうか?"

 

 

このブログも、記事を楽しみにしていた読者様がいらっしゃったのですね。

 

ありがとうございます。

 

このブログは、私のオリジナルがあまり無くて、ラムサ様のCDを書き起こした記事が、一番読者様の反響が大きかったのですが、「ラムサの学校 RSE日本語オフィシャルサイト」に

 

https://ramjapan.com/ラムサ日本語版cd/

 

「CD及びDVD使用許諾契約書」はこちら

 

<禁止行為>

 

7. 本商品の内容の一部又は全部を、販売者の許可なしに、動画投稿サイト、ソーシャルメディア、ブログ、掲示板、その他のウェブサイトに投稿又は掲載すること。」

 

と警告されてしまったので、CDの書き起こしをブログに載せられなくなってしまいました。

 

ジュワル・クール大師の著作の引用記事は、内容が抽象的で難しいため、読者様の反応があまり無かったので、書いてもあまり意味がないと感じました。

 

コーリー・グッドさんの情報では、太陽フレアが地球を直撃することで、ドラコという悪い宇宙人やイルミナティが全滅して、地球が平和になるという話でしたが、地球に直撃しそうな太陽フレアはアンドロメダ星人が阻止しちゃうので、地球にはいつまでも悪人達がはびこって、平和な時代はやって来そうもありません。

 

アメリカではNSAが収集した犯罪の証拠を元に、権力者達の逮捕が進められそうなので、イルミナティ達が刑務所に入れられてしまえば、一部の金持ちが富を独占して、他の人達が貧しい生活を強いられる時代が終わるのかもしれません。

 

空中携挙の対策については、もう十分書き尽くしたので、他に書くことは無いと思います。

 

アセンションについては、このブログでは巨大彗星が地球に接近してくる時に起きることを想定していましたが、そんな気配もなく、太陽フレアでアセンションが引き起こされるのではと思っておりましたが、それもアンドロメダ星人に阻止されたので、こうなったら他に頼らず、自分自身の修行でアセンションするしかないと思い、今頑張って取り組んでいるところです。

 

アセンションの研究をしていても、自分がアセンションを達成しなければ説得力がゼロなので、まずアセンションの達成を最優先にしていきたいと思っております。

 

自分がまだアセンション出来ていないのに、アセンションについて講釈を垂れるのは、身の程知らずだと思います。

 

しかし、虚空粉砕するには相当時間が掛かるので、せめてダスカロスと同じくらいの超能力を発揮出来るようになってから、皆様にご奉仕したいと考えております。

今日ご紹介するのは、ラムサ様のCD「バックストーリー」の内容です。

 

バックストーリーとは、その魂の過去世からの経歴のことであり、過去世から引き続き持ってきている性質のことです。

 

その過去世から持ってきている、悪い性質を克服していくことが、我々の課題だそうです。

 

1つの例として、エドガー・ケイシーは、地球に遊びに来た神々が物質化能力を使ってグロテスクな生き物を創り出し、その中に入って性行為にふけってしまい、魂が物質界から抜け出せなくなったため、類人猿の内分泌腺に働きかけて急速に進化させて人間を創り出し、そこに魂を移し替えた14万4千人の神々の1人でしたが、1万2千年前の古代エジプト時代に神官ラー・ターとして霊的指導者として君臨していた時に愛人を作ってしまい、その転生以来、女癖が悪くなってしまい、ジョン・ベインブリッジという人生では透視能力を使ってギャンブルでお金を儲けて、女性と遊ぶという生き方をしてしまいました。

 

エドガー・ケイシーとしての転生では、その女癖の悪さを克服することが1つの課題だったようで、ケイシーリーディングで有名になったため、色んな女性に誘惑されたそうですが、一度も道を踏み外さなかったそうです。

 

このように、一度身に付いてしまった悪い習性は、1万2千年たっても、なかなかやめられないようで、克服することは容易ではないようです。

 

地球に生きている魂は、多かれ少なかれ何か欠点を持っており、全ての欠点を克服した完璧な魂は、仏陀のように輪廻転生から解脱して、もう地球に生まれ変わってくることはありません。

 

自分が過去世の時から抱えている課題を克服しない限り、スピリット・モナド・聖霊・内なる神と合一して地球を卒業することは出来ません。

 

エドガー・ケイシーの女癖の悪さの克服という課題は、肉体の統御なので、ホワイトブラザーフッドの第一イニシエーションです。

 

ラムサ様の場合は、妹と母親が亡くなって、山の頂上に登って未知なる神に涙を流して訴えかけた時に、神秘的な女性のように見える存在が出現して、

 

「おお、ラムよ。おお、ラムよ。聖霊の中で傷ついた者よ。あなたの祈りは届きました。この剣を持ち、自分自身を征服しなさい。」

 

と言って消えてしまったのですが、ラムサ様の課題は自分の感情を統御するということだったようです。

 

ラムサ様は、憎しみに突き動かされて地球の4分の3を征服したのですが、丸腰の時に背中から剣で突き刺されて、戦うことが出来なくなったため、大自然について思索し続けたことで、「未知なる神」が全ての中に存在することに気付き、

 

「この新しい考え方が生まれてからは、私は生命を抱き容れ始め、生命を大切なものだとみなし始めた。」ラムサ ホワイトブック17ページ

 

このように生命を大切にするようになり、怒りという感情に振り回される段階を卒業して、感情をコントロール出来るようになり(第二イニシエーション)、その後、月を見つめて風に思いを馳せることによって、風が象徴していた神に意識を集中させて、肉体の周波数を高めていき、肉体を光の周波数に上げて、アセンションに成功しました。

 

このように、アセンションを達成するためには、肉体の統御=第一イニシエーションと、感情体の統御=第二イニシエーションを通過しなければなりません。

 

それさえ克服出来れば、ラムサ様のように風に思いを馳せたりして意識を無限なる神に集中する瞑想をすることによって、神との合一を成し遂げてアセンションを達成出来ます。

 

ただし、通常の地球人のように、物質界に対する欲望(金銭欲や性欲や食欲や権力欲や名誉欲)を持って意識を物質界に向けたまま、瞑想の真似事をしても、意識を向ける方向が間違っているため、期待した効果は得られません。

 

まずは、過去世から続いている悪い習性を克服していくことから始めましょう。

 

ラムサ  バックストーリー

 

 

01 - イントロダクション

 

サマータイムのこの美しい夜に、私は教師達にある知識を教えた。

 

それはバックストーリーについてだ。

 

それはあなたがたをひどく困惑させる話である。

 

これは彼らの低いパフォーマンスや、彼らのあまりぱっとしない人生の原因の一つであり、私のすべての生徒達や世界中のすべての人々、そしてここにいるすべての見えない存在達を悩ませているものである。

 

 

02 - 輪廻転生とライトレビュー

 

あなたは輪廻転生の考えに同意しないかもしれないが、それは事実である。

 

あなたは自分が何百万回も生きてきたという概念に同意しないかもしれない。

 

あなたは自分が特別だと思っており、一つの人生しか生きたことがないと思っているからだ。

 

私は一つの人生しか生きたことがない。

 

私は特別だ。

 

私だけが特別だ。

 

この場所では。

 

ここにいる見えない存在達は、私のことを

 

「生意気だ」

 

と言いながら笑っている。

 

あなた方の中には、有り余るほどの幸運と富と権力を持つ人々と比べて、自分の人生が如何に苦難に満ちているかを説明したがる人々がいる。

 

もしこれがたった一回の人生であるなら、どうやって神を偏見や貪欲さを持たない純粋な愛とみなすことができるだろうか?

 

輪廻転生とは、このようなものだ。

 

あなたのホーリーホーリースピリットだが、我々はあなた方に、死んで生き返った人々のビデオを見せた。

 

彼らの死は、医者の証言と医療機器によって確認されている。

 

彼らの中には、20分間も死んでいた人々もいる。

 

脳への酸素の供給が5分以上止まると、脳死状態になるが、彼らはどういう訳か、奇跡的に生き返った。

 

これらの存在達は、とても興味深い物語を話すが、全員が同じ物語を話す。

 

彼らが死んだ瞬間に、彼らは自分の体の上に浮いていた。

 

彼らは自分がいる場所に少し困惑するが、自分の体が自分のものであることが分からないのである。

 

さらに、彼らは自分の体の中に戻ることを望まない。

 

彼らは自分の体を見て、それが自分ではなく、別の人間だとみなすのだ。

 

素晴らしい。

 

神の栄光である。

 

彼らが体に対して一生懸命に行なったことは、スピリットにとってはどうでもいいことであり、彼らは体に戻りたがらない。

 

 

あなた方は、

 

「でも、私は本当に綺麗なんだから」

 

と言うだろう。

 

彼らは体に戻りたがらず、全員が同じ物語を話す。

 

彼らは自分の体を、見知らぬ他人のようにみなす。

 

つまり、自分ではない何かである。

 

そして彼らの霊的な自己は、とても意識的な状態になっている。

 

彼らは、人々が心臓を押したり、胸を切開したり、いろいろなことをしている様子を見守るが、まったく痛みを感じない。

 

彼らはそれを好奇心と共に観察するが、感情的にはならない。

 

これはずっと昔から語られている話である。

 

スピリットが死体から解放された状態である。

 

それは復活であり、彼らは一瞬で屍から輝く光の衣服に変化する。

 

これは本当のことである。

 

これは完全に真実である。

 

さて、これらの存在達は、身内の人々に対して愛情を感じるが、それは奇妙な愛情の感じ方である。

 

彼らは身内の人々を愛しているが、それは感情的な愛ではない。

 

感情的ではない彼らは、彼らではない誰かのために泣いている身内の人々を慰める。

 

あらゆるスピリットがそのように振る舞う。

 

あなたが前回の人生で死んだ時、あなたも光の衣服に変化して浮き上がったが、あなたもそのように振る舞った。

 

これは真実だ。

 

肉体と共に滅びる人間は誰もいない。

 

体の外に出たそのホーリースピリットが、魂を体から引き出したが、だからこそ心臓が止まったのだ。

 

魂は心臓の隣にあり、13オンスの重さがある。

 

そう、その霊的な特異物には重さがあるのだ。

 

そして魂が、自己意識を持ったその存在によって呼び出されるが、その時に肉体が死に、肉体は崩壊し始める。

 

生命の光が去ってしまったからだ。

 

そしてホーリースピリットだけが、魂を肉体から引き出す力を持っている。

 

魂が肉体の中にある限り、魂が肉体に生命を与えている。

 

だが、魂が肉体から引き出されると、すぐに肉体の中で崩壊が始まる。

 

生きている間ずっと、あなたはこの美しい肉体になろうとして、一生懸命に努力するが、肉体の死は、この安らかな永遠の存在にとって、まったく大したことではない。

 

それが真実だ。

 

あなたはそれを喜ぶべきである。

 

さて、もしその存在が望めば、その存在は3日間あたりをぶらぶらする。

 

だが、臨死体験をした存在は、蘇生によって体に呼び戻された。

 

その存在は光の王国に入ることを拒否された。

 

その存在は、あの世にいる身内の人間や友人を霊的に愛しているが、彼らはその存在の強い欲求に反して、地上に戻るように命じた。

 

誰も、急いで体に戻って来て、

 

「やったぞ!」

 

と喜ぶことはない。

 

そのようなことは決して起こらない。

 

事故による死、つまり激しい感情を伴った暴力的な死は、ホーリースピリットを崩壊した現実の中に投げ入れ、その存在は地縛霊になってしまう。

 

これについては後で話す。

 

さて、このスピリット、この完全に意識的な美しい存在は、天井の近くに浮いており、壁を通り抜けたり、時間を超越したりすることが出来るが、愛する人々を超然とした冷静な状態で見守っている。

 

それらの人々は泣いているが、あなたは

 

「私はここにいるよ」

 

と言う。

 

彼らが愛しているのは、あの体である。

 

あの体だ。

 

彼らが抱き締めたりセックスしたりするのは、あの体であり、彼らが大事にしているのはあの体であり、彼らが愛しているのはあの顔であり、スピリットではない。

 

スピリットは

 

「私はここにいるよ」

 

と言っている。

 

残された人間は、体の死を嘆き悲しむ。

 

だが、輝かしいホーリースピリットは、キリストが言ったように、瞬く間に変化する。

 

あなたの瞬間はすぐ近くにある。

 

あなたの瞬間は手の届くところにある。

 

神の王国は手の届くところにある。

 

彼は2012年について話していたのではない。

 

「あなたの神の王国はいつでもすぐ近くにある」

 

と彼は言ったのだ。

 

あなたはいずれ死ぬ。

 

そしてあなたは輝く光の存在に変容する。

 

あなた方全員が、何百万回もそのように変容してきた。

 

これは本当に美しい物語である。

 

あなたの内面に隠されていたものが、外に漏れ出し、あなたに霊的な旅をさせるのだ。

 

本当のあなた、本当の自分、そしてあなたのすべての力と栄光と能力が、表に現われることが出来るようにするためだ。

 

そう、ホーリーホーリースピリットの栄光である。

 

そして、彼らが体に戻って来たくない場合は、3日後かその前に、彼らはそのまま先に進む。

 

そして彼らの意識の状態は、可視光線以上の領域を貫くようになる。

 

トライアッドの図を使ってあなた方に教えたように。

 

そして彼らは極めて小さな存在になる。

 

大きな体になるわけではない。

 

あなたが光の速度よりも速くなると、あなたは光子よりも小さくなる。

 

だが、それにもかかわらず、あなたはもっとパワフルになる。

 

こうしてあなたは光の領域に行き、そこでライトレビューを行なう。

 

このライトレビューの中で、あなたは自分の仕事を上映される。

 

あなたが何を持って生まれてきたか、何を与えられていたか、そしてそれらを使って何を行なったか、といったことが上映される。

 

それだけだ。

 

自分が如何に愛情や思いやりに欠けていて、下劣でひどく、ご都合主義で、如何にうぬぼれが強かったか、といった惨めな部分をあなたは見る。

 

自分がどれ位寛大で、愛情に溢れ、寛容だったか、どれ位他人に手を差し伸べ、自分の敵と和解出来るほどの同情心を持っていたか、といったことや、自分の子供達のことや、他人に対して行なったこと、それらすべてが上映される。

 

360度の3Dハイビジョンの映像だ。

 

 

03 - コンピューターとしての脳、ドラッグ中毒者

 

脳はコンピューターである。

 

毎日あなたが入力している情報が、プログラムの反応の仕方を決める。

 

そのようになっている。

 

それぐらい単純なものだ。

 

脳神経学者は、脳はもっと遥かに複雑なものだと言うが、それはその通りである。

 

だが、コンピューターも同じ様に複雑だ。

 

そして、スクリーンに映っているものが何であれ、それはあなたのホーリースピリット(聖霊)が毎日見ているものであり、未知を既知にしているか、あるいは感情を保証してくれる何かを繰り返し利用しているかである。

 

あなたの脳は、最も偉大な薬物製造所である。

 

ドラッグ中毒者は皆、脳が体を強調するために、体験の中で利用するドラッグを模倣しているのだ。

 

あなた方の幸せは、陽気に口笛を吹きたくなるような何かではなく、実際には化学物質である。

 

性的な愛も同じであり、幸せも悲しみもそうであり、不安もそうであり、不親切さやプライドや傲慢さもそうであり、愚かさや犠牲者意識もそうであり、あらゆるものが化学物質である。

 

我々はこれらのものに心理学的な名前を付けることができるだけである。

 

我々はこれらの感情から利益を得ているからだ。

 

利益とは、脳の中で作られる薬物のことである。

 

すべてのドラッグ中毒者が、感情を模倣するためにドラッグを作るのだ。

 

理解しただろうか。

 

したがって、ライトレビューの中では、これらすべてを見ることになる。

 

さらに、感情というドラッグを得るために、自分が利用したすべての人々の顔も360度の映像として見る。

 

そのようになっているのだ。

 

あなたはじきに、再びそれを見るのだ。

 

それから、少数の例外的な出来事も見ることになる。

 

あなたはドラッグのためではなく、他人のために純粋に何かをしてあげた。

 

何かがあなたにそれを促したわけだが、それを慈悲深さと呼ぶ人々もいる。

 

見返りを期待せずに、あなたは何かを与えた。

 

自然の中の小さな生き物に対して、あなたは親切に振る舞った。

 

腹を空かせた犬や猫や鳥に、餌を与えた。

 

あるいは人間に対してそれを行なった。

 

それは感情という薬物を得るためではなく、あなたの中の何か別の者があなたに栄誉を与え、あなたを突き動かし、非人間的な行動をさせたのだ。

 

我々はそれを人間的ではない、としか言えないが、それは神が内面から漏れ出している最も初期の段階である。

 

我々はこれら2つの行為を見ることになる。

 

そして恐ろしいことに、コンピューターのスクリーンにどんどん文字が現われるように、あなたの抱いた極めて酷い思考がことごとくスクリーンに投影されていく。

 

あなたが人々の目から隠しながら、ひそかに行なった事柄も、突然暴露される。

 

すべてがあらわになるのだ。

 

何も隠すことは出来ない。

 

キリストが言ったように、隠されているものは暴かれる。

 

そうなるだろうし、これまでもそうなってきた。

 

あなたは、

 

「これはまさに地獄だ!」

 

と言うだろうが、それは違う。

 

ここは天国である。

 

ここはあなたが至福の天界に行く前に通過する料金所である。

 

これは公正な場所であり、人生を振り返って反省するようなものだ。

 

我々はあなたに体を与え、転生させ、あなたに力を与えた。

 

だからあなたはこれを報告する必要がある。

 

あなたはどんな未知を既知にしただろうか?というようなものだ。

 

そして衝撃的なことだが、あなたの中から漏れ出したあれらの行為は、最も利他的な行為であり、感情とはまったく関係が無かった。

 

それは超自然的な親切心であり、その超自然的な親切心は、脳というコンピューターとはまったく関係がなく、光の存在という本当のあなたから生じたものだった。

 

あなたはただそれを行なった。

 

あなたは自分でもそれに驚いた。

 

そういったすべてを見る。

 

その辛い体験がすべて終わると、光の存在であるホーリースピリットはこのように言う。

 

「ああ、なんということだ。

 

私はもう一回転生する必要がある。

 

もう一回転生させてくれ。

 

もっと上手くやるから。

 

自分がこんな人生を生きたなんて、自分でも信じられない。」

 

とホーリースピリットは言う。

 

さて、私があなた方に、あの神について話す時、それは記録の保持者ではない。

 

神は愛であり、すべてをゆるす存在である。

 

神があなたを裁くことはない。

 

「私の息子よ、お前は良くやった。」

 

とか、

 

「私の娘よ、お前は酷いことをしたから地獄に送ることにする」

 

とか、神はそんなことは言わない。

 

教会が教えているようなことは言わない。

 

神はそのような存在ではない。

 

実際、ユダヤ教やキリスト教が教えているような天国は無いし、仏教徒や無神論者の言う天国も無いし、ヒッピーやニューエイジの人間の言う天国も無いし、キラキラと輝く天国も無い。

 

そういったものは無い。

 

それらはこの世界には存在するが、あの世には存在しない。

 

違うのだ。

 

私があなたに教える神は、あなたに審判を下したことは無く、あなたが創世のプロジェクトの使者になって未知を既知にするように促している。

 

「私はあなたに最高のコンピューターと最高の体を与えるから、進歩し続ける自然と共に前進していきなさい。」

 

と神は言っている。

 

自分の個人的な臓器ではなく、自然と共に前進するように言っているのだ。

 

 

04 - バックストーリー、救済、悪魔の声

 

したがって、あらゆるスピリットが、あらゆる存在が、

 

「私はもう一回転生する必要がある」

 

と言った。

 

あなたは神に、

 

「もう一回転生出来ますか?」

 

という馬鹿げた質問をするわけではない。

 

意識とエネルギーが現実の性質を創造する。

 

我々が何かを質問すれば、我々はその質問の答えを実際に体験することになる。

 

そして現在の世界にはこれだけ多くの人々がいるが、誰もが間違いなく、再び転生してくることを望んで転生してきたのだ。

 

あなたがここにいるのは、あなたがそれを望んだからだ。

 

あなたのホーリースピリットが、あなたがここに転生してくるように促したのだ。

 

それが神の愛である。

 

だからこのようになっている。

 

というのも、輪廻転生を理解することにおいて、これは一つの謎であり、転生に関する作り話を破壊するものでもあるからだ。

 

では、次の転生では何が起こるのか?

 

それは計画されるわけだが、これらの存在のほとんどが、極めて進歩的な考え方のニューロネットを持って生まれてくる。

 

これを別の呼び方で呼ぶならば、これは文字通りに受け取らないで欲しいのだが、とりあえず未来のニューロネットと呼ぶことにしよう。

 

というのも、これは進歩的なものだからだ。

 

ここに戻って来るからには、進化しなければならない。

 

誰もが進化する。

 

あなたがどこで進化を停止するかは、人生という実験室の中でのあなた次第である。

 

だから誰もが最高のニューロネットを持って生まれてくる。

 

これに関するマイナス面は、あなたがバックストーリーも一緒に持ってくる必要があるということだ。

 

バックストーリーとは何なのか?

 

かつてのあなたである。

 

古代の哲学者達が言っていたように、そして教会もこれに関しておおげさに騒ぎ立ててきたが、バックストーリーは悪魔である。

 

新しい人生は天使である。

 

さて、あなた方に知ってもらいたい事がある。

 

あなた方の中には、良い意図を持って何かをしてきた美しい人々がいる。

 

あなたはこう言うだろう。

 

「このような善良さは私の中から自然に出てきますが、私はとても積極的に行動し、進歩的な考え方を持っています。」

 

と。

 

だが、あなたの頭の中には別の声がある。

 

それは他人を巧みに操る、意地悪な、嫉妬深い、他人を妬む声である。

 

それは悪魔の声である。

 

だが実際にはそれは、ここに戻って来る時の契約に伴う、バックストーリーである。

 

契約とは、このようなものだ。

 

「我々はあなたに、全く新しい人生を与え、素晴らしい遺伝子と素晴らしい脳を与えよう。

 

そして、その前進して行く未来の中で、我々はあなたに進歩的かつ未来的な、偉大な考えを抱く機会を与えよう。

 

我々はその偉大なニューロネットに、バックストーリーを加えて、バランスを取ることにする。」

 

というものだ。

 

公平なバランスが必要だからだ。

 

バックストーリーとは、あなたがその前に光の領域で見たものであり、その累積したプログラムが次の転生にダウンロードされる。

 

これに関する叡智は、肉体の中のホーリースピリットが進歩的な考え方を持つ新しい人生にフォーカスするということだ。

 

仮に、あなたがかつての自分だけにフォーカスし続けるならば、あなたが未来を書き換える希望は無い。

 

そのような希望は全く無い。

 

あなたが救済というものをこれほど強く信じている理由は、死んだ後に救済がやって来るからではない。

 

救済は、人生の中でだけ価値を持っている。

 

そして救済を実現するための唯一の方法は、あなたがここでの転生のバックストーリーとは正反対のものを持つことである。

 

その正反対のものとは、あなたの脳の中の何らかの接続であり、それは希望や楽観主義、前向きな考え方、といったもので満たされている。

 

それは上機嫌や才能で満たされている。

 

あなたには才能があり、それがあなたを偉大なピアニストや作家にしたり、詩人や画家にしたり、シェフや園芸家にしたり、商売の才能を持つ商売の天才にしたりする。

 

本当の天才がどのような存在か、彼らに何が出来るのか、想像してみなさい。

 

彼らが生み出す膨大な金が彼らを奮い立たせる訳ではなく、自分のアイデアを提案してそれを実現し、社会に変化をもたらすという興奮が、彼らを奮い立たせるのだ。

 

これこそが、進歩的な考え方を持つ存在である。

 

バックストーリーは、悪魔である。

 

そして悪魔は言う。

 

「私はお前に才能を持たせる。

 

だが、私はお前の同僚達のことをこのように思っている。」

 

と。

 

ここで、あなたが頭の中で考えていることは、不安と呼ばれるものだ。

 

それは自分の周囲の人々に対して価値判断を下す頭の中の声であるが、彼らを雇ったのはあなたである。

 

天才を生み出すはずの天才が、突然、頭の中で自分が雇った人々が仕事を成し遂げることを望まなくなるのだ。

 

あなたは今や、抑圧者になる。

 

バックストーリーは進歩的な考え方と共に前進するのではなく、それを抑圧する。

 

そしてホーリースピリットは、このドラマが演じられるところを見ている。

 

そうする必要があるからだ。

 

そもそも、このドラマが原因で、ホーリースピリットはこの新しい体に戻ってきたからだ。

 

したがって、極めて善良な人々は、極めてひどいバックストーリーを持っている。

 

このように考えてみなさい。

 

「私は次の転生でもっと良い人間になることを約束する。」

 

と言うことだ。

 

だが、その約束の基盤にあるものは何だろうか?

 

もっと良い人間とは、新しい人生という贈り物のことであり、それはこれまでの自分を救うためのものである。

 

あなた方全員が、頭の中に支配者を持っている。

 

あなた方全員が、進歩的な考え方を持つ自分の新しい人生を、常に自分で台無しにしてきたのである。

 

我々はそれを悪魔と呼んでいる。

 

頭の中で声が聞こえる気がする時、あなたは実際に声を聞いている。

 

だがそれらは、他の存在の声ではなく、あなたのバックストーリーである。

 

あなたのマインドは、極めて進歩的な考えを持っているが、この声が聞こえ始める。

 

あなたは進歩的な人々を雇っている。

 

あるいは進歩的な考えを持つ人間と一緒に働いている。

 

そして、あなたの結婚生活や人間関係や仕事はすべて順調でうまくいっている。

 

だが突然、あなたはそれらすべてを秘かに破壊したいと思うのだ。

 

そしてあなたの一部が、希望を破壊してしまう。

 

なぜなら、それがバックストーリーだからだ。

 

だが、希望はまさに未来である。

 

だが突然、この声が、自分の上司を嫌い始めたり、自分が雇った人々を嫌い始める。

 

さらに、あなたの個人的な人間関係がとてもうまくいっていた時、そしてあなた方が同棲し始めた時、あなたは相手から本物の思いやりを受け取り、あなたも相手に思いやりを与えていたが、突然、あなたは頭の中で声を聞き、自分の思いやりを抑制してしまった。

 

というのも、分かるだろうか?

 

救済とは、かつてのあなたから救われるということであり、あなたはかつての自分を今も携えている。

 

悪魔にとり憑かれている人間は誰もいない。

 

だが、誰もが救済の可能性にとりつかれている。

 

05 - バックストーリーと感情の中毒

 

私はあなたにバックストーリーを与え、あなたに未来を与える。

 

あなたは活動状態にある観察者として、それらを見るのだ。

 

さて、この観察者について話そう。

 

我々には、ホーリーホーリースピリットがいて、それが2つのプログラムを観察している。

 

1つは表面の下に隠れているものであり、それがバックストーリーだ。

 

もう1つは、意欲をかき立てるものである。

 

私は良い悪いという言葉や、高い低いという言葉を使いたくない。

 

だが、私が別の言葉を使えば、あなた方は私の言葉を理解出来ないだろう。

 

だから私は、あえてこのように言うことにしよう。

 

「あなたの人生は、良いものである。

 

そしてあらゆる存在が、元々善良な性質を持って生まれてくる。

 

あらゆる人生で、我々は思考を使って何でも作り出せる観察者としての能力を与えられてきたが、それらの人生で、我々は結局、自分の感情のドラッグ中毒者になってしまった。

 

我々は未知を既知にすることをやめてしまった。

 

我々は単にフィーリングに頼るようになり、人生の過酷な闇夜の中で、感情が我々を導いている。

 

そして我々は、そのバックストーリーを利用して、自分の善良な人生、自分の才能を蝕んでいる。

 

分かるだろうか?

 

DNAに関して、これは本当に素晴らしい。

 

「ほら、その体を私にくれ。

 

次の人生では、もっとうまくやるから。」

 

とあなたは言うが、ライトレビューの後にこれが起こる。

 

知っての通り、スピリットは至福の天界に行くが、至福の天界ではすべてにアクセスできる。

 

それから彼らは戻って来て、別の領域でブラブラする。

 

あなたもこれをやってきた。

 

だが、あなたが次の転生を渇望する時、神が創造したものは、私があなた方に教えているこの物語によれば、ちなみにこれは、もっとも完全で単純な物語であるが、ヴォイドが自分自身について熟考した時、これが生まれた。

 

神が生まれ、そしてこの狭い振動数帯が生まれ、未知を既知にし始めた。

 

ヴォイドは自分自身の中に、変質した空間を創造し、生きている炎が生まれる可能性を自分の中から生み出した。

 

始まりから現在までを説明するこの単純な物語は、あなた方にこれまで教えられてきた話の中で、最も偉大で最も満足させてくれる本物の話であり、あなた方がどうやってここにやって来たかを説明してくれる。

 

そして科学は、ビッグバンの前に何が起こったかについて話しているが、ビッグバンは可視光線という下の方の領域で起こった。

 

ゼロポイントから見て、可視光線が如何に低いレベルか分かるだろうか?

 

量子物理学者達は、量子的な紐に関する理論を作っている。

 

彼らはそれを何度も何度も掛け合わせ、引き伸ばし続けたが、最終的に時間が再び変化して、別の世界が生まれた。

 

量子物理学には、ポジティブもネガティブも無い。

 

あるのは確率の活動だけである。

 

誰も、確率をポジティブやネガティブという観点から見ない。

 

科学者だけが、それを「忌々しい粒子の振る舞い」と呼ぶ。

 

彼らが1つの電子を測定している最中に、それは別の可能性として現れる。

 

これは複数の並行現実、並行して存在する別の意識状態がある事を示唆している。

 

さて、我々はここで、良い悪いの話に戻る。

 

これについて、極めて論理的な人間の言葉で考えて欲しい。

 

救済とは何なのか?

 

誰が救うのか?

 

自分を救うという輝かしい行為は、赦しの中で、何を基準にしてはかられるのか?

 

教会は言うだろう。

 

「あなたは魂において邪悪だ」

 

と。

 

私はそれは違うと言う。

 

あなたはここで、前回の人生と闘いながら、仕事に取り組んでいる。

 

もしかしたら、それよりも前の沢山の人生と闘っているかもしれない。

 

あなたは、その時の実験室だった脳の中に、のめり込んでしまった。

 

そしてあなたは、希望や論理ではなく、感情に従い始めたのだ。

 

これは、かなり そっけなく聞こえる。

 

だがここで、死んだ人間の話に戻ろう。

 

間違いなく、ホーリースピリットは脳という実験室を眺めているが、心臓が止まると、最終的に、葬儀屋が血管を切って、あなたのすべての感情を吸い出す。

 

あなたのすべての痛みや、すべての自惚れ、すべての高揚感や失望、見かけを気にする気持ち、価値判断や正義感、妬みや喜び、セックスの時の感覚、あなたが中毒になっているこれらすべてのものが、あなたの体から吸い出されてしまう。

 

これは1つの警鐘である。

 

葬儀屋があなたの血管を切ってポンプを付け、あなたのすべての化学物質を吸い出して、防腐処理を施し、それらの化学物質が下水管を流れていくなら、それらに何の価値があったのか?

 

あなたは自分自身や、自分の家族を破壊し、人間関係やチャンスを破壊してきた。

 

あるいは、他に沢山の才能が無いからといって、あなたは自分の1つの才能を埋めて隠してしまった。

 

なんということか。

 

あなたは何時、成長するのをやめてしまったのか?

 

それは、あなたが毎日、良く感じたり悪く感じたり、正当性を感じたり、正しく感じたり、プライドを感じたりするために生き始めた時だ。

 

それらはすべて、脳の中の薬物製造所からやって来るものであり、葬儀屋が吸い出して下水道に流れていくものである。

 

それはバックストーリーである。

 

 

06 - バックストーリーと悪魔崇拝

 

さて、再び言うが、我々の偉大な創造の物語は、あなたを包含し、あなたを励まし、あなたを力付けるものだが、それは未知を既知にすることに関するものだ。

 

あらゆる人生が、この試みにおいて価値を持つ。

 

なぜなら人生は、光が物質を身に付けることだからだ。

 

我々は肉体の電流であり、我々はホーリースピリットである。

 

そして、この脳はコンピューターであり、コンピューターがスクリーンに投影したものを、体は感じる。

 

この物語はそのようになっている。

 

これを理解した上で、再び繰り返すが、かつての自分に関する記録が、脳のプログラムの中に無かったとすれば、一体どうやって、あなたはここに転生してきて、かつての自分を完了する、つまりかつての自分を征服することが出来るだろうか?

 

さらに、救済という輝かしい言葉がどこにあるというのか?

 

救済は、記憶が完全に消去された状態では起こらない。

 

自分がやったことを思い出せないのであれば、何から救われればいいのか?

 

したがって、バックストーリーは、これまでのあなたのすべてが凝縮したものである。

 

あなたには力があり、病人を癒したり、盲人を診て癒したり、無知な人間に知識を与えたり、貧しい人々のために苦労して家を建ててあげたり、人を赦したり、叡智を持って感情的に反応せずに他人の行為の理由を理解する力があなたにはあるが、他人の行為に感情的に反応するのはバックストーリーである。

 

なぜなら前回の人生で、あなたは感情的に反応したからだ。

 

気持ち良く感じるためである。

 

ここにいる誰もが、この惑星だけでも70億人の人間がいるが、あらゆる人間がバックストーリーを持っている。

 

バックストーリーは、サタンを崇拝することではない。

 

サタンを崇拝する人々は、自分自身のバックストーリーが表に表れるように、バックストーリーに力を与えているのだ。

 

それが動物であろうと、子供であろうと、人間であろうと、空気であろうと、彼らは無垢なものを傷付け、力を得るために悪魔を崇拝するが、それはそれらを破壊することによって、力の感情を感じるためである。

 

それはバックストーリーである。

 

それは別の存在ではなく、サタンでもない。

 

それは悪魔ではなく、悪魔的な霊でもない。

 

それらは作り話であり、すべてはあなたの中に住んでいるのだ。

 

バックストーリーは、これまでのあなたが凝縮したものであり、それを変えることをあなたは誓った。

 

そして、あなたの過去世での善良さや、立派な部分、他人に対する親切心や愛情や思いやりなどは、バックストーリーの中には凝縮していない。

 

それらはフロントストーリーの中にある。

 

 

07 - 善良な人々が極めてひどいことをする

 

さて、これはまさに真実だが、善良な人々が極めてひどいことをするのだ。

 

他人に対して、不親切なことや不当なことをするのは、ただ力の感覚を味わうためだが、それは不親切なバックストーリーの行為である。

 

我々が自分自身のバックストーリーのために他人を利用し始めると、我々はフロントストーリーを忘れてしまう。

 

善良な人々は、頭の中で恐ろしいことを考えているのだ。

 

コンピューターとインターネットによって、あなたは殺人の様子を見ることができる。

 

無垢な子供や、男や女を強姦する様子や、車で通りかかってホームレスの人間を銃で撃ったり、ホームレスの人間をバットで殴り殺したりする様子を見ることが出来る。

 

本当にひどい。

 

だがコンピューターを使えば、あなたは誰にも知られずに秘かにそれを見ることが出来る。

 

悪魔はコンピューターの画面に現れているのだ。

 

それは、あれらの昔から続いている感情を表に引き出している。

 

それらは、覚醒していない、未完了の、挑戦されていない、変化していない感情だ。

 

神の愛は極めて偉大なので、それを言葉で表現することは出来ない。

 

あらゆる転生で、バックストーリーが効力を持っていない限り、救済は起こり得ない。

 

そして、生まれてくるあらゆる人間が、善良な人間として生まれてくる。

 

善良さとは何なのか?

 

善良さは未来である。

 

未来とは何なのか?

 

未来とは、自分の1日を創造することだ。

 

未来とは、あなたの小さな世界で起こる、宇宙的な、世界を揺るがすほどの銀河的な出来事に対して、自分が支配権を持っていることを知っている叡智である。

 

あなたはそれらの出来事に対して支配権を持つことになる。

 

あなたがバックストーリーを使って急いでそれらを感じようとしない限りは。

 

未来は魅惑的で、魅力的であり、すべての人間を招いている。

 

それがあなたの善良さである。

 

あなたはすぐに退屈してしまうので、急いで何かを感じたがる。

 

それが何かを感じさせるものでなければ、あなたは本気でそれをやろうとしない。

 

あなたのフォーカスを維持することは、宗教的な信仰ではない。

 

あなたのフォーカスを維持して、観察によって現実を曲げることは、科学である。

 

そして観察というものは、何の化学物質も伴わない。

 

実際、観察するためには、すべての化学物質を無くす必要がある。

 

未来に行くことが、バックストーリーを無効にするのだ。

 

あなたが未来へと前進し続ければ、それは現実化する。

 

そして、あなたはそれをまったく新しい、美しい、素晴らしいものとして体験する。

 

そして、それがあなたの中に自信と力強い威厳を再び呼び起こしてくれる。

 

あなたはあたかも、初めて人生を本当に生きているように感じる。

 

善良さとは単にそのようなものだ。

 

それはバックストーリーが無い状態である。

 

善良さとは、過去の自分の状態に従って他人に価値判断を下すことを必要とせずに、あらゆる人間が自分の人生を生きることを許すことだ。

 

あなたはこれまで、自分自身に力をもたらすために、無垢な人間を傷付け、秘かに破壊してきたが、自分の脳と荘厳な力を利用して何かをするということが無かった。

 

善良さは常にあなたの中にある。

 

だが、それが利用されることはほとんど無い。

 

だからこそ、我々はこれを良い戦いと呼ぶのだ。

 

 

08 - 「サタンよ、汝は私の後ろに退きなさい」

 

あなたが頭の中で聞いている声は、他の霊の声ではない。

 

しかしながら、バックストーリーには常に仲間がいる。

 

ここには常に、地上から離れられない肉体を持たない地縛霊がいるが、彼らは光の領域に行くことを恐れている。

 

彼らはあなたの仲間になるが、彼らがあなたに何かをやらせる訳ではない。

 

悪魔があなたに何かをさせた訳ではない。

 

悪魔はあなたの中にいるのだ。

 

だが、我々の物語の観点から、それに関して賢明な分析をするならば、あらゆる人生がそれよりも前の人生によって、とり憑かれているという理解は、理にかなっている。

 

だが、今という贈り物は、明るく輝く征服者である。

 

では、何故、名高い男達や名高い女達は、自分の全人生を捧げて、彼らの中の善を純化することを追求するのだろうか?

 

それは、彼らの中の悪を征服するためだが、彼らは実際には、単にバックストーリーを征服しているだけである。

 

彼らは長い時間をかけて、自分の脳の中に接続を作り、接続を作り、接続を作り続ける。

 

バックストーリーが無くなるまで、それをやるのだ。

 

この学校で行なうことによって得る真実は、本当に天使のような体験である。

 

 

それは善であるあなたと、あなたの今の人生を力付けてくれる。

 

それはあなたがバックストーリーを征服するのを助け、あなたを自由にしてくれる。

 

そしてあなたはあのホーリーホーリースピリットを脳の中で思い通りに呼び出せるようになる。

 

トランスのような状態でそれが起こるが、自分自身のホーリースピリットの輝きで満たされた存在は、本当にパワフルである。

 

 

それは、それ自身の力を手に入れる。

 

その存在は、不足や不安や諸々の声や悪によって苦しんでいないからだ。

 

その存在は、神の愛で満たされている。

 

その存在は、それらのものを見て、それらを征服することが出来、それらに影響を受けない。

 

悪魔の法と、悪魔祓いの儀式の一部として、悪魔が自らの名前を言うように強いるというものがある。

 

悪魔が自らの名前を言った瞬間に、悪魔祓い師は、その悪魔を支配する力を持つ。

 

それは恐ろしい、ゾッとする話だが、1つの真実によって美化されてきた。

 

つまり、あなたが自分自身を知る時、あなたはその名前を知る。

 

そして、あなたがその名前を知る時、あなたはキリストがペトロに言ったように言うことが出来る。

 

ペトロはゲッセマネの園で剣を持っていたが、人々がイエシュアを逮捕しにやって来た。

 

イエシュア・ベン・ジョゼフは立派な男だったが、逮捕される前に、自分の選択が自分の人生を終わらせることになるということを、一晩中泣きながら恐れていた。

 

本当にそれほど恐れていたのだろうか?

 

本当のことだ。

 

本当のことである。

 

というのも、征服する軍隊と、イスラエルの人々は、彼らのバックストーリーの中で自分達の教義に固執していたが、今でも彼らはそうである。

 

彼らはあらゆる転生でバックストーリーが確実に中心に居座るようにしているのだ。

 

イエシュアが自分の運命を受け入れた後、ペトロはイエシュアの前に走り出たが、イエシュアはペトロに

 

「サタンよ、汝は私の後ろに退きなさい」

 

と言った。

 

この男は、バックストーリーの人々による、最も残酷で惨たらしい罰を受けようとしていた。

 

はっきりと自分の言葉を言った上で、彼が自分自身を救う唯一の方法は、その刑罰に耐えることだった。

 

彼は、聖ペトロに対して、

 

「お前はサタンだ。」

 

と言った。

 

だが、ペトロは単にイエシュアのバックストーリーにすぎなかったのだ。

 

イエシュア・ベン・ジョゼフは、子供の頃から、神の炎の言葉で満たされていた。

 

そして思春期に差し掛かった頃、彼は、当時の世界で最も偉大な、世間から身を隠したマスター達のところへ送られ、彼らの元で学んだ。

 

こうして、彼の無鉄砲な青年時代のホルモンは、素晴らしい知識を学ぶためのエネルギーとして使われた。

 

マスターベーションをすることと同じくらい簡単に、苦悩や欲求や痛みのエネルギーを上に上げて、それを燃えるようなマインドに変えることが出来る。

 

病気の男にフォーカスし、自分の種を、その男の弱った生命に与えて癒すことも出来る。

 

彼はその方法を学んだ。

 

 

09 - ホーリースピリットとバックストーリーを戦わせる

 

あなた方はそれぞれ、霊的な人生を探し求めてきたが、あなたは自分が何を探し求めているのか分かっていない。

 

それは、全ての知識を持ち、自分の複雑さを理解し、鎖から解放された自分の力を理解することである。

 

あなた方全員が、偉大な天使であり、偉大な光を持つ存在であるが、その光が暗いガラスに隠されてしまっている。

 

あなたは、闇を明るく照らす錬金術の光になるか、あるいは怠惰なガラスのままでいるか、どちらかである。

 

イエシュア・ベン・ジョゼフは世界中で知られている。

 

だが、彼よりも偉大なマスター達は知られていない。

 

というのも、有名になることは、決して彼らの目的ではなかったからだ。

 

だが、それにもかかわらず、彼らが行なったことは伝説的である。

 

そして彼ら全員が、同じ様な真実を持っている。

 

彼ら全員が、神と、自分と神の関係、そして運命を理解したいという願望を持っている。

 

そして運命とは、自分を映し出す鏡で囲まれた、目の前に展開し続ける廊下であることを、彼らは理解する。

 

あなたは自分のどのような側面を見たいだろうか?

 

自分の命をかけて、このワークを行なった人々もいるが、彼らがそれを行なったのは、彼らがパワフルになればなる程、バックストーリーもよりパワフルになっていったからだ。

 

自分の進歩を妨害する強力な破壊行為が、自分の中から生じ、そのような自分を征服する偉大な仕事を行なっていく。

 

彼ら全員がそれを通過していった。

 

あらゆるイニシエーションが、私の学校で行なわれている手ぬるいものではなかった。

 

あれらはイニシエーションでさえない。

 

だが真剣な生徒は、自分の闇とホーリースピリットを戦わせることになるが、彼らはあらゆるイニシエーションを重要視した。

 

それによって、彼らは自分の内面で、バックストーリーに対する勝利を積み上げていった。

 

それこそが、あなたと私が同意して、ここで行なっていることであり、あなたはそれを行なうことに同意して、ここに戻ってきた。

 

だからこそ、あなた方は善良で活発な人々なのだ。

 

だが、あなたは秘かにひどい気分と空虚感を感じている。

 

あなたは自分自身の思考を恐れているからだ。

 

それらはあなたの頭の髪の毛や肺の中の空気よりも自分に近いように感じられる。

 

その通りであり、あなたは今やその理由を理解している。

 

善と神の恩恵が、あなたに新しい人生と新しいプログラムを与え、前回の人生を救済する強さを与えた。

 

それは明るく輝く明けの明星として、再び戻って来て、未知を既知にし、輝かしい存在として目的のある人生を生きるためである。

 

この人生の目的は、クレジットカードで買い物をしたり、土地を所有したり、富を得ることではない。

 

その様な人生を生きることも出来るが、それよりも遥かに多くのものがあるのだ。

 

これらはすべて可能性である。

 

だが、それらの可能性の背後には、それらが存在する理由がある。

 

あなたがどれ程多くの富を持っていたとしても、それがあなたを葬儀屋から救ってくれる訳ではない。

 

あなたがどれ程 巨大な権力を持っていたとしても、それがあなたを死から救ってくれることは無く、神とホーリースピリットの日がやって来ることを避けることは出来ない。

 

富や権力を追い求めることは、空虚な試みである。

 

だが、良い意図から それらを現実化することは、未知を既知にすることであり、多くの人々が繁栄し、利益を得ることになる。

 

それは良い事であり、偉大なことだ。

 

神の愛によって拷問を受けることを、自ら選んだ人々は、旅を探求し、知識を使って自分の人間的な自己と戦った。

 

すべての人間がその戦いに勝つ訳ではない。

 

イエシュア・ベン・ジョゼフの物語は本当に美しい。

 

彼が本当は誰であったかに関する真実は隠されてしまったが、彼の謎めいた人生に関して本当に重要だったことは、彼が戦ったということであり、彼は戦うことを恐れなかった。

 

彼は当時の支配体制に戦いを挑んだ。

 

彼が戦ったのは、彼自身の血筋であるユダヤ人達だったが、ユダヤ人はユダヤ人以外の人々を愛していなかった。

 

それはお馴染みのバックストーリーだった。

 

すくなくともローマ人は、あらゆる人間の失敗に対する救済を持っていた。

 

一瞬たりとも、イエシュアが恐れていなかったと考えてはいけない。

 

彼は恐れていた。

 

一瞬たりとも、彼が泣かなかったと思ってはいけない。

 

彼は泣いた。

 

一瞬たりとも、彼が錯乱状態に陥らなかったと思ってはいけない。

 

彼はそうなった。

 

「サタンよ、私の後ろに退きなさい」

 

と言い、彼は十字架刑へと進んでいった。

 

「私はこの世界から去る。

 

私はただ、父のところに より早く行くだけだ。」

 

と彼は言った。

 

本当に美しい物語である。

 

この美しい勇気は、自己が揺れ動きながらバックストーリーと戦っている様子であり、バックストーリーは感情的なフィーリングの観点から、それは正しい、それは間違っている、という絶対的な確信を持ってしまう。

 

私がそれを間違っていると感じたり、正しいと感じたりするなら、それはバックストーリーである。

 

私は未知の領域に入る必要がある。

 

そしてこの男はそれをやった。

 

彼は膨大な苦しみを味わった。

 

 

10 - 自分自身を征服する

 

私は敢えて言うが、人々からまったく注目されていない、表に出てこないマスター達の過酷な試練について、あなた方は何も知らない。

 

彼らは自分なりのやり方で、自分自身を征服しているのだ。

 

我々が覚醒すると、ある人間を見て、その人間の内面が見える。

 

そしてその人間は実際にその通りの人間である。

 

そして他の人々を見ると、彼らのバックストーリーが見えるが、我々はそのような彼らを許す。

 

それが愛である。

 

それが、神が行なうことである。

 

さて、私の美しい存在よ。

 

私は常に、自分自身を征服しなさい、と言ってきた。

 

あなたも今や、自分が誰を征服しているのかを理解した。

 

それは良い戦いであり、ライチャスな戦いである。

 

そしてそれは未来の戦いである。

 

敵意や妬み、嫉妬心、悪意、秘かな中傷、不安、そういったものに関するどんな思考も、バックストーリーである。

 

我々が神との関係を望むなら、我々は自分の輝かしい部分を全て知る必要がある。

 

バックストーリーという過去の物語は、まだ不確かな、未知の良い物語と同じくらい、輝かしいものである。

 

だがこの学校は、真実をマスターする学校であり、かつては確信が無かったものについて、確信を持つことを可能にする学校である。

 

 

11 - 自己修正

 

私のところで長い間学んでいる人々が沢山いるが、あなた方は私の教えを理解することが無かった。

 

沢山の人々がキリストの信者になるが、彼らはキリストの教えを理解していない。

 

彼らは理解したと思っていたが、彼らは理解していない。

 

分かるだろうか?

 

バックストーリーがあなたを欺くというのは真実である。

 

あなたにとって、どちらが魅力的だろうか?

 

つまり、力付けられたように感じたり、正しく感じたりすることと、未来では、どちらの方が魅力的だろうか?

 

未来はそれらのフィーリングをすべて消し去ってしまう。

 

「私はラムサのところで学んだ。」

 

と言う人々が本当に沢山いるが、彼らは私のところで学んでいない。

 

何故なら、彼らは決してキリストの情熱を理解することが無かったからだ。

 

キリストとは、神なる男、神なる女が完全に実現した状態である。

 

それは、明るく輝く空けの明星であり、それは日の出であり、それは日没である。

 

それは、すべての新しい人生を愛する永遠の愛であり、力強く前進し続ける許しである。

 

神なる男、神なる女を実現するとは、あなたが聖人のように歩き回るということではない。

 

あなたは 聖人がどのような存在だか、分かってさえいないのだから。

 

その言葉の意味は、頭の中のあれらの思考を征服し、停止し、それらに挑み、それらを消し去ることであり、それらの思考をあなたの善良さや進歩的な性質に置き換えることである。

 

何の注釈も加えずに、あなたのコンピューターの画面でそれをやるのだ。

 

それは自己修正と呼ばれている。

 

生ける屍のようにバックストーリーを生きるのではなく、善とこの人生の贈り物を生きることがあなたの目標であって、初めて、あなたは自分を修正することを望むだろう。

 

あなたはこれまで決して、私の言うことを理解したことは無かった。

 

あなたが理解したのは、自分の欺瞞だけである。

 

あなたは、幸せになるに値する。

 

あなたは、天才になるに値する。

 

あなたは、愛するための理由を探す必要があってはいけない。

 

愛は、あなたの中に自然に存在するべきである。

 

クロスオーバーであったり、あるいは同性愛者であることが、バックストーリーであると誤解してはいけない。

 

それは確かにバックストーリーではあるが、性的な愛は、自分に同意しない人間をどれ位愛せるかという基準にはならない。

 

我々は、今のありのままの自分を愛し、前進していくことが出来るだろうか?

 

我々は、議論することをやめ、世界に対して自分の主張を唱えることをやめ、自分自身の善になり始めることが出来るだろうか?

 

我々が服装倒錯者であろうと、女であろうと男であろうと、クロスオーバーであろうと、間抜けであろうと、それは重要な事ではない。

 

我々が成長するかどうかが重要である。

 

我々は美しいだろうか?

 

我々が会う全ての人間が、我々と一緒に居ることによって慰めを見い出すだろうか?

 

もしそうであるなら、我々はグレートワークを行なっていることになる。

 

それが、救済というものである。

 

あなたは、悪魔という架空の存在を征服することは出来ない。

 

あなたが征服するのは自分自身である。

 

それは肉体であり、コンピューターであり、荒れ狂うその思考はまったく制御されていない。

 

それらを消去することを始め、自己修正しなさい。

 

自分の思考を監視し、意識的になりなさい。

 

そして、それを変える選択をしなさい。

 

そして、今現在、感情的な利益をもたらすかどうかという観点ではなく、未来に行くという観点から物事を見なさい。

 

思い出して欲しい。

 

性的な愛、つまり究極のオーガズムも、最終的には葬儀屋に処理されてしまうのだ。

 

ホーリースピリットは肉体から去るが、肉体を返してくれと要求することは無い。

 

ホーリースピリットは単に、脳の中のプログラムに力を与えただけであり、あらゆる存在が生まれてくる前にプログラムをダウンロードしてから、コンピューターの中に飛び込み、スクリーンに現れているものが確実に現実化するようにする。

 

未知を既知にするのだ。

 

我々の最大の不幸は、我々が人間の感情に頼りながら、人々、場所、物、時間、出来事に対して正当性を与えている時に生じる。

 

その時、あなたは悪魔と踊っていることになる。

 

あなたはこのように自問しなさい。

 

「私はこの訓練の結果を知っていると思っているかもしれないが、前回、私が良い戦いをして真実を得たのは、一体いつのことだろうか?」

 

という風に自問しなさい。

 

それが我々の学校の目的である。

 

自分の夜と、自分の朝を創造しなさい。

 

これまでよりも熱心にそれをやるのだ。

 

あなたがどこにいようと、悪魔はエーテル界にいる訳ではないということが、今やあなたにも分かったはずだ。

 

それはあなたの中にいる。

 

そして私はあなたの味方である。