猫たちはハンターだ、然し、水の中までは獲物を追いかけない。

追いかけないというよりも、追いかけられないのだ。犬と違って泳げないからだ。

何かの本で、空を飛べる猫がいる、と読んだことがあるが、水の中を泳げる猫

の話は聞いたことはない。

主人とライが港にいる。なぜ、2人がここにいるかは後のことにして、ライが盛んに

緑色に映える水の中に小さな獲物たちがいるのを発見した。

流線型の滑らかなねずみ色の身体を優雅にくねらせて一気に彼の視界から消え、

そして現れた。ライにとっては、

 

「お前はん、獲れるもんなら、獲ってみんかい」と言っているようにも思えた。

岸壁に寄せる浪は砕け、薄緑の澱のようなあぶくを背後にすべらせつつ、三角形の

深緑の累積だったものが、いっせいに変貌し、白い不安な乱れに充ちて伸び上がる。

その後には、めちゃくちゃな白い泡の斑をおびただしい気泡のようにあらわした

鋭く滑らかな、しかも亀裂だらけの硝子の壁になる。

そのかく乱が鎮まると、その挑戦的な魚の少し先には、五分の一ほどの小魚たちが

何十と寄せ集まり、見事な調和で大きな球状を作って右へ行ったり、深く潜ったり、

気のおもむくままに泳いでいた。朝日から漏れ届く光は、浅い海底の藻や突起の

鋭い岩に射し行っている。小魚の集団がその光の筋を横切るとうろこに映え、

小さな光のさざ波をライの目はじに運んだ。水面を覗き込むライの顔が出入りする

漁船の波に何度となく不可思議に揺らぐが、ライはそのままじっと水面を見つめ動かない。

ライは、自分の顔が何十にも壊れ、そしていつも見ている自分の顔が現れることに

ひどく感激していた。一枚の蒼く煌めく鏡面の水面がこげ茶色の丸い顔をひつじ雲の

上に浮かせている。

 

だが、陶酔も僅かの時間だった。突然、顔に水が勢いよく当たった。彼の水面の顔も

烈しく歪んだ。銀色に輝く鮎の身体が水面を跳ね、その光を四方へ放ちながら、また

水の中へと消えた。ライの前足が一瞬、空を切ったが、それは無駄な行為であった。

知り合いの漁師の船が港に入ってきた。

そこは千々にみだれる細かい波頭と、こまごまと分かれる白い飛沫が、鏡面の輝きを

消し去り、無意味な形を見せていた。ライが耳を下げ、少し警戒をしながら船を睨んでいる。

「ほら、今日のお前のご飯だよ」

主人がバケツに入った灰色の大きな魚を見せた。ニゴイという大きな魚だ。今が旬だという。

彼と目が合った。ニゴイの彼は、その死を知らされていないのか、悠然とライを見つめている。

その張り出したギョロ眼は自分のこれから起こる悲劇に少しも気づかず、ただライの丸い黄色い

瞳を直視している。

 

本来、猫は魚が主食のはずであるが、缶詰とドライフードに慣らされた彼らは魚の存在を

知っているのかさえ、怪しい。昔、チャトに獲れたてのフナを数匹見せたが、彼の一言が

主人とママを落胆させた。

「これなんですねん。こんな怖そうなもん、食べろって言わんといてな」

我が家で魚を食べるのはナナだけであった。まあ、日本人が当たり前のようにお米を

食べなくなり、パンが主食となったのだから、猫に文句は言えない

主人はその苦い思いを消し去りたく、ライをここに連れてきたのだが、

「これどうするんや」、あの甘たるい目でそのような問いを投げ返されると、それ以上の

努力は無駄であると確信した。

結局ニゴイは夫婦2人のお腹に納まっただけであった。ニゴイの刺身脂がのり、中々の

味であったが、それが分からぬ猫たち。猫らしい猫はいずこに行ったのか。刺身に舌堤を

打ちながらも釈然としない主人であった。