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お待たせいたしました。「かごしま国道をゆく」の10号、220号編が1冊にまとめられまた。南日本新聞ブックレットシリーズの第1段としての刊行です。ブログとはまたちがった趣で楽しんでいただけると思います。是非ご高覧を。


「かごしま国道をゆく 10号、220号編」 南日本新聞社刊 南日本ブックレット001 800円+税

ISBN978-4-86074-132-7

●第1部上梓予定のご案内


第1部国道10号、220号、226号の旅を終えて、1年半近くがたとうとしています。この間、このブログも放置状態にありましたが、何もしていなかったわけではありません。


新聞連載の終了とともに、他の仕事に忙殺されて確かに度に出る頻度は少なくなりましたが、それでも確実に一歩一歩前に進んでおります。第2部として、近々このブログでも更新をはじめたいと考えております。


その前に、ご報告です。第1部を2冊に分けて上梓することになりました。まず、『清水哲男の鹿児島国道をゆく 10号・220号』をこの夏にもということで、既に最終の校正を終えています。


出版社は南日本新聞社になります。上下2分冊にすることで、800円台という価格を実現しました。どうか、手にとってブログとはまた違った趣をお楽しみください。

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こしき海洋深層水株式会社
●鹿児島市下福元町影原交差点 【地図】

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 影原に着いた。国道226号の旅の終わり、そしてこの連載第1部の終わりでもある。
 加世田市の起点を出発したのは、2月のことだった。4、5日雨で足止めをくらう散々なスタートだった。約150キロを、なんと10カ月もかけて歩いたことになる。いったいなにをしていたんだ。そんな声が聞こえてきそうだ。その加世田市もいまは、大崎町、笠沙町、坊津町、金峰町と合併し南さつま市になった。
 出迎えはない。交差点の下に立つ巨大な観音像が、唯一慈悲深い目で見下ろしていた。旅の終わりとしては少しさみしくはないか、と自分につぶやいてみる。たしかにそうだ。去年の4月、国道10号を北上しはじめたその日も、見送る人はなかった。ただ1人、出勤途上の知人が車窓から手を振ってくれただけだった。考えてみれば最初からさみしい国道行だった。
 だが、さみしさを実感したことはなかった。大勢の人との出会いがあったからだ。重富の海岸でアサリの話をしてくれた漁師さん、風呂を探していた私に1人で入っていいよと入れてくれたラブホテルの支配人、忙しい時間を割いて話を聞かせてくれた森伊蔵の社長さん、カイゼル髭が立派だったとんかつ屋の大将、焼きそば定食がおいしかった食堂のおばさん、あんたは現存の人との出会いを書くべきだと諭してくれたおじさん、かつおラーメンのことをていねいに説明してくれたラーメン屋のおばさん、花瀬望比公園「死生の扉」の前で雨に打たれながら掃除をしていたおじさん、みやげまで持たせてくれたくりや食堂の大将、そして板あめを買ったいもあめ屋さんの奥さん…。ふつうの人のふつうの暮らしがおもしろかったし、こころ動かされた。
 それだけではない。紙面の向こうに大勢の人の視線を感じた。ときには共感、ときには反発を後押しに歩き続けた。大勢の名も知らぬ人々に見られながら歩いているのだ、と。そしてさまざまな声をもらった。一昨日も「ゲセンの言葉が懐かしかった」という声をもらったばかりだった。厳しいことばもすべて、私にとってはあたたかかった。
 1年半の旅を通してわかったこと、それは、自分がいかになにも知らなかったかということだ。毎日が新しい出会いと発見に満ちていた。この蓄積を糧に、また新しい旅に旅立ちたいと思う。この間、私を支えてくれたすべての人に感謝して、ひとまずは筆を置きたい。ありがとう。

『清水哲男の鹿児島国道をゆく 第1部』は2004年6月~2005年12月まで、南日本新聞朝刊文化面に連載された原稿を加筆整理し、写真もカラーとして、連載時とはまた違ったものとしました。なお、データなどは連載当時のものをそのまま使っていますが、市町村名は合併後の新市町村名を()内に併記しました。
第2部は現在取材執筆中です。

【写真】 無信心な私にも、旅の果てには慈悲深く見える
【撮影場所】 鹿児島市下福元町影原交差点近く 【地図】
【国道226号】 起点南さつま市~終点鹿児島市 総延長157.2km
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こしき海洋深層水株式会社
●鹿児島市喜入前之浜付近 【地図】

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 鹿児島をめざして海岸沿いの国道を北上する。
 喜入の海岸は、緑色に染まっていた。喜入といえば青海苔だなと立ち止まり、あれが青海苔だろうかと思ってながめていた。海岸の少し離れたところで作業をしている人にたずねた。これが青海苔ですか、と。その人は困ったような表情で「ちがう」とひとことだけ言った。あまりにつっけんどんな言い方に会話は途切れてしまい、私はその場に立ちつくして作業のようすをながめていた。
 その人はいつまでも立ち去らない私にいらいらするように、言葉をぶつけてきた。「アオサだよ」「青海苔ではないのですね」「ちがうって言ってるだろうが」。わからないやつだという顔でその人は私に歩み寄ってきた。意味もなく防御態勢をとり身構える。
 「こいつは、アナアオサっていうんだ」側で見るその人の表情は優しかった。離れていたから風で言葉がかき消されないよう大声で怒鳴っていたのだろう。
 アオサなら私も知っている。港や海岸でゆらゆらしている緑色の藻だ。だけど、目の前の藻はどうもちがって見える。それに残念ながら海の中の青海苔を見たことがなかった。青海苔といえば、たこ焼きかお好み焼きの仕上げでお目にかかるくらいだった。
 「あんたのいう青海苔は食品の商品名だろうが」その人は笑いながら言った。なんだか藻に詳しい人だった。アオノリは緑藻類アオサ科アオノリ属の海藻をひとまとめにしてそう呼ぶのだそうだ。管状または扁平で1層の細胞でできていて、緑色だけじゃなく黄緑色のものもあるという。種類にはスジアオノリ、ウスバアオノリ、ヒラアオノリ、ボウアオノリなどいろいろあるそうだ。浅い海や河口の岩上、磯の潮だまりなどに群生するが、食用として藻場をつくり養殖している、などということをていねいに教えてくれた。青海苔はそれを天日で乾かして、粉末にしたものだ。主にスジアオノリが材料となるそうだ。
 「アオサなら、市販の青海苔にも入ってるみたいだけどな。このアナアオサはアオノリの養殖にもいいことないんだ」その人は海岸の岩にこびりついた緑色の藻を、いまいましそうに長靴で踏みつけた。
 
 青海苔や石の窪みのわすれ汐
 
 蕪村の弟子、高井几董(たかいきとう)にこんな句があったっけ。青海苔は春の季語だ。喜入の海に春はまだ遠い。
 
【写真】 海の中につくられたアオノリの養殖場
【撮影場所】 鹿児島市喜入前之浜付近 【地図】
【国道226号】 起点南さつま市~終点鹿児島市 総延長157.2km
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●指宿市宮ヶ浜 

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 「指宿あたりに、ゲセンという唐イモの飴があって、昔よく食べたもんだ」いつもの飲み屋で隣に座った酔客に教えられた。「国道を歩くついでにみやげに買ってきてくれないか」と。
 指宿のみやげ物屋で聞いてみた。ゲセンという唐イモ飴があるかと。店主は首をひねって、どんな形かと逆にたずねられた。酔客に教えられたとおり、板状に伸ばした飴をたたいて割った物だとこたえた。「ああ、板飴だね」店主はそういうと申し訳なさそうな顔になって続けた。「悪いけど、うちじゃああつかってないよ」と。「げせん」という名前ではないのかというと、「げせんというのは聞いたことがないなあ…」とふたたび申し訳なさそうにこたえると、JR宮ヶ浜駅前の飴屋をたずねてみたらと教えてくれた。
 坂元いもあめ店は小さな駅前の小さな店だった。が、看板には「元祖 いもあめ製造直販」と誇らしげに書かれていた。いもあめの専業メーカーといったところだ。
 がらがらと引き戸を開けて入ると、奥さんらしき女性が店番をしていた。「げせん」といっても通じないかもしれないと思い、「板飴ありますか」とたずねた。「ああ、はいはい」と笑顔が返ってきた。「ありますよ。板飴でしょ」。はい、そうです。平べったくて、べっこう色していて、金槌で割って量り売りをしていたという、それです。「でも、ごめんなさいねぇ。いまはないのよ」。えっ、売り切れですか?
 売り切れではなかった。まだ、つくっていなかったのだ。説明によると、気温が高い間は溶けてべとべとになるので、うんと寒くなってからつくるそうだ。「でもまあ、わざわざ板飴を買いに来る人なんて珍しい」と喜んでくれた。「もうじきつくりはじめると思うので、できたら電話しますよ。電話番号書いてってください」。
 ところで「げせん」といのはどういう意味ですかとたずねた。「ああ、げせんねえ。昔はそういってたみたいだけど、いまは板飴としかいわないわねえ。板飴はいも水飴を伸ばして、乾かしてつくるのよね」女性の見解では、イモを炊いてつくる「いも水飴」にはイモの繊維質が多く含まれていて、繊維の「せん」をとって「げせん」としたのではないか、ということだった。じゃあ、「げ」は、とたずねると……わからなかった。残念。
 昨日くだんの女性から「板飴できましたよ」と連絡があった。どんな味がするのか、楽しみだ。
 
【写真】 これが「いも水飴」。「げ」は謎のままだ
【撮影場所】 指宿市宮ヶ浜坂元いもあめ店 【地図】
【国道226号】 起点南さつま市~終点鹿児島市 総延長157.2km
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国道226号 指宿温泉街 【地図】

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 時々友人が温泉に誘ってくれる。「酒と原稿にまみれた不健康な生活はからだに悪いぞ」と、車を持たない私を連れ出してくれるのだ。不健康は余計だが、たしかに家と天文館の往復だけの毎日じゃあ、いい発想も浮かばない。喜々としてついてゆく。もちろん1升瓶ぶらさげて。
 その友人は、山の中のひなびた温泉がいちばんだという。温泉ほかには何もないところで、1日ゆっくり湯につかりだらだらと過ごすのが最高だと。
 「仕事のことも、いやなことも、ぜんぶ忘れてぼーっとできる」
 だが、私といっしょのときは少々ちがう。「清水向きの温泉」があるというのだ。私がいっしょだと、昼間は湯につかりだらだらするが、日が落ちるとネオンの街をふらふらできる、そんな温泉街でないとだめだ、と。
 「じゃなきゃあ、お前はストレスがたまって、温泉にきたのに不健康になって帰ることになる」
 だが、むつかしいことをいうようだが、人は温泉に何を求めてやってくるのだろうか。
 癒し、休息、いのちの洗濯、リフレッシュ、湯治、物見遊山、観光…。いろんな目的、言い方があるだろうが、私は「非日常」だと思っている。ふだん、一生懸命まじめに働いた人が、だらだらしにくるのだ。ふだんできないことをしに。
 一般的な温泉街を思い浮かべる。温泉宿やホテル、みやげ物屋がならび、そのすき間にスナックやラウンジ、居酒屋、ちょっと薄暗いところにはヌード小屋が、と相場が決まっている。
 指宿だってそうだ。スナックが軒を連ねているところもあるし、いまはなくなったが少し前までヌード小屋があったと聞いた。その上、ソープランドまである。その建物の写真を写して「温泉にきてソープかぁ…」と一人ぶつぶつ言っていたら、観光客らしき2人組の男性が通りかかり「ここ、やってるんですか?」と私にたずねた。いえ、知りませんと答えると、入り口から中のようすをうかがって首をかしげながら去っていった。
 まじめそうな男2人がソープランドの玄関先でいったりきたりする光景は、ほほえましくもある。清廉潔白を通すなら、山の中の秘湯へどうぞ。きれいなだけじゃ、人間、つまらない。
 あれ? ということは、ふだんネオン街をほっつき歩いている私には、たまには自分を見つめ直す意味でも秘湯がむいているのではないか。
 
【写真】 ネオンに灯が入るまでは、さみしい風景だ
【撮影場所】 指宿ハイビスカスロード 【地図】
【国道226号】 起点南さつま市~終点鹿児島市 総延長157.2km
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●指宿温泉街 【地図】

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 細かい雨に打たれて指宿の温泉街、ハイビスカスロードに入った。カッパは着ているものの、冬の雨はこたえる。からだの芯まで冷え切ってしまった。少し前、雨足が強くなり歩くのをやめてバスに乗りかけたが、思い直した。この際少々のからだの冷えは、かえってきもちいいのじゃないかと。そう、次なる目的は砂むし温泉なのだ。ビールを飲むなら少々のどを渇かした方がうまいという発そうとおなじだ。まったく、酒のみってやつは…。
 温泉街の入り口近くに砂むし会館「砂楽」という施設があり、温泉宿やホテルに泊まらなくても、だれでも気軽に砂むしを楽しむことができる。入浴料は900円。
 受付で浴衣とタオルを受けとる。「すみません、浴衣、いちばん大きいサイズを」と小さな声でたのむと、受付嬢にくすっと笑われた。「だいじょうぶですよ。外国の方もこられますから」と。浴衣に着替え海岸に下りる。雨の日でもだいじようぶなのかなと思っていたが、葦簀(よしず)の下にちゃんとテントが張られていた。
 湯気の向こうに先客たちが見える。頭にタオルをかぶり、顔だけ砂の上に出して寝ころんでいる。本人は気持ちよさそうだが、なんだかゆで卵がならんでいるみたいでちょっと滑稽だ。
 おそろいのジャンパーを着た係りの人が案内してくれる。熱いのがいいか、温いのがいいか、砂を掘る深さによって温度が調節できるそうだ。温いめでゆっくり入ることにして、少々浅めでとお願いしたところ、「お客さんはちょっと深く掘らないと」と突き出たお腹をじろっと見られた。「無理しないで、熱いと思ったら起きあがってくださいね」などともろもろち聞いて、それでは、ゆで卵の仲間入り。
 柱に掛けられた時計をじっと見る。3分もたたずに全身が汗ばんでくるのがわかった。おお、全身に心臓の鼓動が響くような感じで、ドクドク、ドンドンしてくるではないか。血流がよくなるとは聞いたが、ここまでとは。恐るべし、砂むし。しばらくすると額から噴き出した汗が目に入って、なんだか大変なことになったが、じっと我慢する。
 やはり頭のなかでは、ビールの泡がひろがっていたのだ。うまいビールを飲むために…。結局、雨でからだが冷えた、それなら温泉でからだを温めて、よく冷えたビールをゴクゴクと、妙な三段論法にに陥ってしまうのである。それもいいかと湯気の中で自嘲した。
 
【写真】 汗をいっぱいかいて、とても健康体になった気分
【撮影場所】 指宿市砂むし会館「砂楽」 【地図】
【国道226号】 起点南さつま市~終点鹿児島市 総延長157.2km
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●JR山川駅前旅館・食堂くりや 【地図】

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 「人を怒らせるのも簡単。人を喜ばせるのも簡単」
 篠原信昭さん(53)は大きなお身振りでそう言った。笑い声は、小学校の講堂を移築したという食堂中に響いた。
 ここはJR山川駅前の旅館・食堂くりや。厳密にいうと国道269号沿いなのだが、山川駅もくりや食堂も226号を歩く私には欠かせない存在だったので、あえて226号沿いとして書くことにした。
 「日本一安くて海の見える気軽なお宿」くりやは、篠原さんのお父さんが戦後外地から引き揚げて、1950年に食堂を開いたのがはじまりだから、55年がたつ。篠原さんの人生よりその歴史はながい。
 「昔は、鹿児島山川間の往復運賃が宿賃だったんです」(篠原さん)という安さはいまも変わっていない。宿賃はもちろんだが、食事だけだって、ほんとうに安いんだ。「ラーメン350円、カツオのタタキ、14切れで700円」だ。
 「期待されてるからねえ。あそこは安い!って。だから、赤字でも食べさせにゃあ」。土地の人に聞いてもくりやは食堂として、宿として、地域の市場をほぼ独占している。「でもねえ、人を蹴落としてまでって思わないよ。それなりの努力と工夫をしてるんだ」。出張で来る作業員や営業マンが多い。ならば、鹿児島市内にもどるよりここに泊まった方がいいやと思わせる料金、料理、サービス。しかも、早朝など人がやらない時間に営業する。ときにはわがままも聞く。まるで自分の家に振る舞えるよう心配りをしているという。「だからお客さんは自然とくりやを選んでくれる。だから利はうすいけど、ちゃんともうかってるよ。食っていけるくらいは」。
 海をながめながら、ゆっくりとした気分で車エビフライ定食を食べた。いつものことながらビールを1本つけてもらった。エビフライは2匹。銀皿からはみ出している。人を喜ばせるのも簡単、か、とつぶやいたりする。エビフライが大きいことくらいでうれしい気分になるんだ。私も篠原さんの術中にはまっているのかもしれない。だが、客の笑顔と引き換えに、篠原さんはほとんど休みのない毎日を送っている。「休みは月に1回だけ、昼休み。散髪に行くときだけ。仕事をして、いろんな人に会ってるほうが楽しいよ」。25歳になる息子さんも、3代目を継ぐべく関西で修行中だそうだ。あと2、3年で帰ってくると笑った篠原さんは、ほんとうにうれしそうだった。

【写真】  「経験と工夫とテクニックを駆使してます」
【撮影場所】 山川町(現指宿市)成川旅館・食堂くりや 【地図】
【国道226号】 起点南さつま市~終点鹿児島市 総延長157.2km
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●山川町(現指宿市)大山 【地図】

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 国道の旅で、私が求めてきたもの、見てきたものは何だったんだろう。JR西大山駅で「日本最南端の駅」という指標の向こうに開聞岳をながめながら、ぼうっと考えた。
 鹿児島市の照国神社前を出発したのは昨年の6月のことだ。国道10号を都城まで、66キロあまりの旅だった。次に、220号を国分市敷根から串間までの93キロあまり。そして、いま、226号は山川町(現指宿市)大山の路上にいる。加世田を出て、およそ105キロは歩いただろう。あわせて270キロ近く歩いたことになる。鹿児島市影原の終点まではあと40キロほどだろうか。そこでこの旅はいったん終わる予定だ。
 この間、鹿児島県の姿も大きく変わった。10号が通る国分、隼人は霧島市に、財部、末吉は曽於市に。226号沿線では、加世田、大浦、笠沙、坊津が南さつま市となった。重富海岸で出会った若い漁師、末吉の葉たばこ農家のおじさん、鹿屋のとんかつ屋の大将、志布志の食堂のおばさん、加世田の炭焼きのおじいさん、風力発電所展示室の受付嬢、かつおラーメンを食べたラーメン屋の奥さん、瀬平で風とともに消えた老紳士、開聞岳の麓、はるか南洋の戦地を望む講演を守るおじさん…。数え切れないほど多くの人々に出会った旅だ。
 1人ひとりの顔を思い浮かべてみる。合併を経て、自分の町が大きくなり、これまでに出会ってきた人の暮らしは変わったのだろうか。合併で町が市になり人口が増えても、そこで暮らすそれぞれの人にとっては、たぶん合併前と変わらないいつもの暮らしが続いていることだろう。
 思えばこの旅で私がいちばんに求めてきたものは、出会いだった。歴史や文化、政治や経済のことを書いているよりも、ふつうの人と出会いふだんの暮らしを見せてもらい、そこに隠れているドラマを書いている方がおもしろいのだ。
 雨の無人駅はさみしい。が、ここでも出会いが用意されていた。旅行者らしき男性が1人、駅のベンチで弁当をひろげた。私に気づき手招きをする。「電車がくるまで1時間近くあります。酒の相手をしてくださいませんか」と。もちろんおことばに甘えた。漬け物がうまかった。「先年亡くなった母親がつけていたものです」。2年ぶりの墓参りで実家に帰り、分けてもらってきたという。雨にけむる開聞岳をながめながら飲む酒と漬け物。とつとつとした話がこころにしみわたっていった。

【写真】 雨に濡れた鉄路がさみしい
【撮影場所】 JR西大山駅ホーム 【地図】
【国道226号】 起点南さつま市~終点鹿児島市 総延長157.2km
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●山川町(現指宿市)小川九州電力山川地熱発電所 【地図】

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 小雨のベールの向こうに大きな蒸気の柱が立っていた。九州電力山川地熱発電所だ。「温泉の出るところだからな」と、愚かな私は温泉と地熱発電をダイレクトに結びつけて納得する。んっ? 温泉を汲み上げて発電しているのだろうか。発電といえば、水力、火力、原子力、風力と、すべて回転力を電気に置き換えるわけだから…。疑問を解くには、実際に見てみるのが早い。国道をそれて、蒸気の柱の下をめざした。
 展示室でおおよそのことがわかった。火力発電所のボイラーの役割を地球が果たしているのだ。地下深くの岩盤の中にはマグマによって高温に熱せられた地下水がある。地熱発電はその岩盤に蒸気井(じょうきせい)というが、穴をあけて、そこから噴出する天然の蒸気を使ってタービンをまわす。温泉、いや熱水というが、それを使うのではなく蒸気だったのだ。蒸気井からは蒸気と熱水がいっしょに噴き出してくる。これを蒸気と熱水に分離して、蒸気はタービンに送り、熱水は冷ましてふたたび地下に戻す。
 山川発電所の場合、蒸気井の深さはいちばん深いところで2500メートル、浅いところでも1500メートルのものが16本もあるのだそうだ。全体で1時間に225トンの蒸気が噴き出しているといわれるが、ふわふわしている蒸気を思い浮かべてもその容量はピンとこない。これでどれくらいの電気が発電できるのかというと、1分間に3600回タービンをまわし、出力は3万キロワット、約1万戸をまかなえるそうだ。
 日本には現在18カ所の地熱発電所があり、53万キロワット超の電力が供給されている。私の中では、温泉とだぶらせてイメージしていたため、地熱発電は古くからあったものだと勘違いしていたが、ようやく本格的な導入期を迎えた新しいエネルギーのひとつだ。地球温暖化の元凶である炭酸ガスの排出量が少なく、地球環境に優しいエネルギーとしても注目されているが、見えない岩盤層を調査するのに時間がかかったり、開発コストが高かったりと、電力の主流を占めるのが難しいのは風力発電と同じみたいだ。
 だからかどうか、展示室のシアターで流される番組は、開聞岳を背景にした山川の風景が舞台となるが、私の印象としては原子力発電の説明に力が入れられているようだった。まあ、送電線にのってしまえば、電気はみな同じ。ともったった灯りが、原子力の灯か、地熱の灯か、私たちにはわからない。

【写真】 一瞬も途切れることなく蒸気は天をめざす
【撮影場所】 山川町(現指宿市)小川九州電力山川地熱発電所 【地図】 テロ対策だろうか、マピオンには正確な位置が記されていなかった
【国道226号】 起点南さつま市~終点鹿児島市 総延長157.2km
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