長男が2年前 他界したとき

私自身 鬱にも自殺したいとも思いました

行けば逢えるとも思ったり

巻き込まれたことで 
自分が運転していたわけでもない

具合が悪くて 風邪ぎみを外出させなければ・・・・
自分が 代わりになってあげれば・・・・
あの場所に いかなければ・・・・
友達が 乗せてあげると言わなければ・・・・

もっと ハグしてあげれば
もっと 悩みを聞いてあげれば

自分や他人を 責め
何も考えられず 生きている意味も価値も無くなり
起き上がれない日々 何も手につけられない
生きているのだか 死んでいるのか
そんな日々を すごしました

四十九日には 痩せ顔はたるみ目がくぼみ
白髪が 髪全体に広がり
60過ぎの母より 私は老け
母に なんでこんなになってしまったの?と

ある日 知り合った人が
こう言ってくれました『お母さんの 今の姿を見ることが辛い
僕は お母さんの明るくて元気な姿が一番好きだから
夜な夜な 僕の仏壇で泣いているでしょう。見ているととても辛いよ
先に逝ったことは とても申し訳なく思っている
ありがとうも ごめんねも言えないで 旅立ってしまったから』

仏壇の前で寝るころ
夜な夜な泣いていたとは 誰にも言ってないのに・・・・

人の手
人の心
人からの
思いやりをたくさん貰い
乗り越えてきました

だから このセラピーやヒーリング
カウンセリングの仕事を続けて行こうと思った

自分を助けてくれた人がいる
今度は 人の乗り越えるお手伝いを これからも
今まで通りに続けて行こうと・・・・・・

24歳で失った息子
今頃26歳 彼女と結婚していて孫もいたかも
まだ独身で 亡くなった当日
社員の採用の連絡がきた衣料店で
ラップの曲を流し 店員になっているかも

坊主で ラップ小僧の彼は
バリカンで 剃った時
母は ちゃっかりナデナデさせてもらう
『エグザイルのボーカルの子に似ている・・』と言うと
『バカ言ってるんじゃね~』とか言ってニコって笑っていたっけ
でも 皆にも言われてたんだよね

どんなときにも 母は味方をしていた
たとえ どんなときにも
そして 愛してきた
彼女に『マザコンじゃない?』と言われても
『別に そんなじゃねーよ』とかいって笑い

いつまでも みんな心の中にいるんだよ
生きていき 
そうして見ている君が
恥じないぐらい 精一杯生きていくからね

いつか逢えたときに
『よくやったじゃん やっぱ俺の親だね』と言ってもらえるように