鎌倉時代に藤原資経(ふじわらのすけつね)が書写した私家集(国重文)39冊の1冊で、唯一冷泉家から流出していた『斎宮女御(さいぐうにょうご)集(徽子女王編)』資経本の原本が発見された。
 奥書は永仁二年(1294)で全40頁、他の私家集と紙質が一致するという。[京都新聞・中日スポーツ]