ココイチ版!

小市慢太郎 、通称小市マンがいま一番大好きな俳優さん。
彼の出演作に関することのほか、お芝居や映画など好きなことを色々と書き綴っていきます。


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戦い方

これが、あるべき喧嘩。
いや、交渉のやり方なんだろうな、と。

尖る戦い方
尖らない戦い方


劇作家のやり方
俳優のやり方
リーダーのやり方

立場によっておそらく、伝え方は様々だけども、

戦っている。
守ろうとしている。


表現を生業として闘ってきている人たちの使う言葉は、やはり、的確で、雄弁だ。


文化というものはとにかく、
有事には虐げられて
庶民たちが娯楽を奪われた時代は
彩はなく、腐敗が進む


野田さんが「劇場の死」と伝えた言葉は、刺激が強すぎて一人歩きし、その真意が伝わらなかったりもしたけれど、劇場を閉じることで何が起きるか、について、社会システムがあまりにも想像力を欠いていることへの怒りでもあり。また、その、怒りをストレートにぶつける、という方法で戦うのもまた、野田さんだからなのかなと思うところもあり。


一方で、こうやって、冷静さを保って、美しく、整然と、何が問題かを明らかにしながら言い返しようのない言葉で表明することのその姿に、


表現者の方々の仕事の尊さを知る。


お願いだから、このかけがえのない日本の劇場や文化を支える、役者さんたちの道を、潰さない方法がないか、と、思う。






劇場の灯


2011年の震災の後。

過度の自粛ムードの中、「南へ」という作品の休演をめぐり、劇場の灯は、どんなことがあっても消してはならない、と、いう、力のこもった怒りの言葉を野田氏は発しました。

その言葉から9年。

劇場の灯が消えていきます。
街から人が消え、
店からは、商品が消えていきます。





また同じ危機に直面して、この人はどんな言葉を語るのだろうかと、待っていました

やはり、発してくれました。


直後、野田地図のHPはアクセスできなくなっています。なのでいまは、朝日新聞の記事のスクショにしておきますが。


無観客公演、は、あり得ない、と。

そうなんですよね

最近は、劇場にも行けない私にとってみれば、
無観客で放映してくれればお金を払ってでもみたい、と思ったけども、

劇場で、観客の存在があってこそ、作品は、脚本から離れて生き物になり、変化して、変性して、「その日」の完成形となる。

映画と違って1日たりとも同じ作品はなく、素晴らしく贅沢で素晴らしく豊かな時間を作る。

劇場の灯を消してはならない

感染拡大に尽力するのは当然のこととして。。

この言葉には、エゴではない想いが込められている。劇場を閉鎖する理由を、安易に認めてはいけない、という、決死のメッセージなのだと、受け取る側は捉えるべきだと思う。

芝居や文化は自由の象徴。劇場が制限されることは、自由を奪われることの、わかりやすい現象で。また、一度エンジンを止めてしまったら、演劇界は止まってしまうかもしれない。。「不要不急」の大号令のもとに。


ウイルス拡大の防止を阻害したいというわけではない。

自由という権利の奪取を、そしてそれを支える人たちの生活を奪うことを、安易に、簡単に、気軽に、考え無しに、受け入れてはいけない。という抵抗のようなもの。








小市さん 読売新聞夕刊2020年2月29日「風景2020」

読売新聞夕刊に記事。

 

小市漫が大好きで、ずっと自分の支えみたいにしてたのは10年以上前のこと。

とにかく、自分の隙間を全部、「演劇が好き」「小市さんが好き」という思いで埋めていた。

ものすごい熱量の思いを、注いでいたと思う。

 

だけどもそんな、異常な時期は長く続けるわけにはいかなくて

時間の経過とともに環境が変わって、生活が変わって

「好き」、という思いで隙間を埋めるような、ぜいたくな時間はなくなってしまって

 

演劇から離れてしまって。

 

情熱が消えてしまったのではなく

限りある時間を、自分以外の小さな存在に注がなければいけなくなって

誰かのために生きる。自分の人生の主役が自分ではないような、そんな時間が続いて。

 

自分にとってだいじだった ,当時の思いはすべてこのブログに詰まってる。

もうとにかく、必死に生きてた、ずいぶん昔の私の気持ちが、濃厚にここには書いてあって。

そんな大事な、この場所に戻ることもできず

 

日々の生活に追われるように必死に生きてて

テレビや劇場もなかなかいけなくて

どこか、なにか、注ぎ足りない。そんな気持ちでいる。


時折つけるテレビに小市さんの姿を見つけると

嬉しくて元気が出た。

そんなわたしが、この記事に出会えたのも、何かの縁だと思う。

 

そろそろ戻れるかな、

あっちの世界に。

 

+++++++++++++++++++++++++++++

読売新聞2020年2月29日夕刊より転載

 

風景 2020

*林試の森公園

 

2月の半ば、東京都目黒区と品川区にまたがる林試の森公園。陽光の射す穏やかな空気の中、

鳥の声が時折響く。円形の「出合いの広場」の中央に立ち、周囲を見渡す、「わあ懐かしいなあ」思わず声がでた。

夏になると、周囲の木々は葉が生い茂る。「ここでこうやって、夜空を見ていたこともありましたね」そういうとしゃがみこみ、目を細めて空を仰いだ。「ここが自分の原点。ここで生まれ変わったんです」

 

++++++++++++++++++++++++++++++

私もそのころ

小市マンへの思いやいろいろなものを手放して、ほかの新しいものを手に入れました、。

それを思い出した、

 

泣きそうです。

 

 

 

 

 

水橋研二さん。

最近ちょこちょこテレビで見かけて、
登場シーンはそれほど多くないのに
印象が残る俳優さん。

水橋研二さん。


この人、ブレイクするかも、な予感。

堺雅人さんや、大森南朋さん、長谷川博己さんのこと、

ブレイク前に察知した私の勘。

どうか?
今回も当たるか?

またまた魅力的な、新しいバイプレイヤーの登場なるか。

楽しみです。

NINAGAWA

久々に、書くのがこんな内容だなんて切ないけれど。

また、大切な人が天国へ行ってしまいました。。


蜷川先生の手がける作品はいつも挑戦的で。安定を恐れているかのようにあらゆるものを詰め込んで、いつまでもエネルギッシュでした。

狙いすぎていて嫌いなものもあって苦手でもあったけれど、「巨匠だからっていつも面白い作品を生み出すわけでは無い」ということを知ることが、私にとっては大きな財産でした。

というより、万人に受け容れられるものばかりを作るのでなく、常に新しいものを目指していくのが、蜷川作品だったのだと思います。

期待通りではないかもしれないと思いながらも観に行ってしまうのが、蜷川作品でした。



なんだかんだで、私は蜷川作品が大好きでした。拍手する気になれないくらいがっかりしたものも、涙が溢れて仕方の無いほど感動したものも…

観た作品、全部挙げきれないくらいたくさん観ました。

コクーンで。
彩の国で。








最期の作品、みられなかったことが悔やまれます。なぜだか、いつまでも生きていてくれるって思っていました。

世界の片隅の演劇ファンより、世界の蜷川先生へ。

御冥福をお祈りします。

追悼

わたしにとって、歌舞伎とはコクーン歌舞伎だ。多くの喜びをわたしはそこから享受した。大袈裟にいうと、或る時は、生きるための意味でもあった。


日々を乗り越えるだけでも必死で…生きていることが辛くて…でも、芝居を、コクーン歌舞伎をみることで、自分には大切にできるものがあるのだと確認できた。わたしには感じる心があり、なにかを見て無感動でやり過ごすのではなくて喜べる力がまだあることを、芝居が、役者さんたちが教えてくれた。そのことが私の最後の自信だった、自分が生きている、ということを確かめるための。大袈裟すぎる表現をするならば。その熱を頼りに生き延びていた、そんな時代があった。


コクーン歌舞伎は、わたしに、無条件のエネルギーを与えてくれていた。夏の暑い盛りの風物詩、パワーの源。生きる力、感動したり笑ったり、大きな声で歓声を上げたり。そんな、ポジティブなものを惜しみなく降り注ぎ、心の奥のエンジンに火をつけ、思い出させてくれる、価値の高いものだった。


私はこの数年、不本意ながら芝居から離れている。正直、かなり辛い。アイデンティティ崩壊の危機ではあるのだが、そうならないで済んでいるのは、「いつ必ずあの世界に戻る」という意思を保てているからだ。


彼らの熱に触れ、自らの体温を取り戻す日々を必ず取り戻す、と。


そして戻る時、そこには必ずコクーン歌舞伎があり、中村勘三郎さんがいることは疑いもしなかった。


カーテンコールで必ず合掌し、客席すべてに向かってまるでお詣りでもするみたいに深々と腰を曲げ、ありがとうございます、と声に出している姿も忘れられない。お礼を言わなければいけないのは、こちらの方だ、と思うほど謙虚で、そして、素敵だった。


最後に観た勘三郎さん出演作品は、2010年…。野田秀樹氏との現代劇「表へ出ろい!」であった。


汗だくになりながら台詞を吐いでいく。アドリブともつかぬ、自然な芝居。それは歌舞伎でも現代劇でも同じであった。


絶望ですら、いつもコミカルに見せてしまう。そこにはいつも、笑いがあった。温もりがあった。それは勘三郎さんがもつ魅力のひとつでもあり、才能のひとつでもある、などと、僭越ながら思う。どの役を演じても、いつでも生身の、リアリティある人間を感じさせてくれた。


それは、色気、だったのだと思う。現代劇での勘三郎さんからは、特にそれを感じた。

長塚圭史脚本、串田和美演出「桜姫」現代版。色気といっても、セクシーさ、というのではない。惹かれて仕方ない魅力が、止めることもできずに溢れている、といった類のもの。



太陽が、消えた。

と、野田秀樹氏が日経に掲載した追悼文にはあった。


それをなんども読みかえしてしまう。最も近しい場所にいたひとりである野田氏の思いに触れることで、わたしの中でも悲しみを具体的な言葉に変えたいと願うからだろうか?実際に、読み深めるほどに、野田氏の思いは私に移植され、まるで自分のもののように映写されて…わたしの胸の奥にあるなにか敏感な場所は捻り上げられ、涙がにじんでいく。



エネルギッシュに燃え盛り、周囲を照らしてきた太陽が、消えたのだな。舞台の上でライトに照らされていただけの役者さんではなく、多くのひとを照らし、励ます、熱い、太陽が。



わたしみたいにちっぽけな、一観客にすぎない人間にとたさえこの喪失感なのだから、近親者にとってはそれは如何ほどのものか、想像もつかない。


でも。


一観客だからこそ、思うことがある。


太陽が失われたあとの、その世界を見てみたい。


肉体は失われても…その意思は必ず継承されていく。周囲にいた、才能溢れる人々の手によって。


葬儀にも参列せず、舞台に立ち続ける二人の息子さんたち。役者さん、舞台裏の人々。彼らの中に存在する役者魂、舞台魂は間違いなく本物で、簡単に揺らいだりなんかしない。


遺志を継ぐ者たちの力を信じてる。偉大なる太陽の光に目が眩み、しゃがみ込み、涙に暮れてしまいたくてもできず。できることは前を見据え、ただ進むこと。流れる血液、流れる意思。その力を信じてる。


勘三郎さん、さようなら、ありがとう。


あなたがいなくなったあとの世界が、どうなるのか、きっと多くのひとが悲観してると思うけど

わたしは、信じてる。

ちっぽけな、観客として。


あなたが遺したものが、決して簡単に消えるものではないということを、信じてる。

photo:01






iPhoneからの投稿

過去

かつて、その暖かな眼差しで見つめた誰かの残像が、あなたの脳裏にどれだけ鮮明に浮かんでいるかは私にはわからない。

かつて、あなたのその誠実な心から生まれた言葉や行為が、誰かの気持ちをどれだけ救い、守ったか。そのことが、あなたの記憶の中でどれだけ輝いているのか、私にはわからない。



私にはわからない。



わからないから、あなたの優しさも誠実さも独占したくなって、誰ともわからぬ相手に対して狂おしいほどの嫉妬を抱いてしまう。あなたの記憶に焼き付いる過去を引き剥がして、消してしまいたいほどに。


過去のどこかの時間、あなたのそばにいた誰かに。


あなたのそばで、多くのものを分かち合っていた誰かに。


行き場のない切なさ。

やり場のない苦しさ。


あなたを愛しく思えば思うほど、抑えきれない感情が暴れだして



あなたを前にしても、どうしても素直になりきれずに苦笑いばかりを浮かべてしまう。



過去には、勝てない。


なにを、したって。

なにひとつとして

変わらぬ愛など、ないのだと
壊れぬものなど、ないのだと


絞られるような痛みとともに味わったじゃないか


完膚なきまでに、思い知らされたじゃないか。


大切だったはずのものを、時間の流れとともに、忘れていく。


忘却は、将来に対する希望であるのと同時に
過去に対する不誠実な仕打ちだ。


新しい何かを得ながら
古い汚いものを捨てながら
代謝は続く。


どうしたって変わっていってしまう私の
どうしたって消えていってしまう私の


いま、心の中にあるものなんて、


なにひとつ信じられやしない


眠れぬ夜に流す涙に、真実味なんてありやしない。
痛む胸の中に刻まれる思いに、誠実さなんてありやしない。



なに、ひとつ。



なに、ひとつとして。

距離

一歩前だと近すぎて
一歩後だと遠すぎる


触れることはできるけど
抱き締めるには無理がある


いまなら言葉を尽くさずともわかる


それくらいの距離が、時には心地よいということを。

新しい時間

ただの暦なのに、

一枚めくっただけでいろいろリセットできた気になる

新しい朝
新しい空
新しい光


なにか変わったわけではないのに

なにか生まれ変われる気がして

なにか心が軽くなり


なにかを捨てた気にもなる


新しい自分になるなんて

そんなこと、簡単にできるはずもないのに。


荷物も澱も毒も悪も後悔もすべて含めてこれからの自分。

蛹が脱皮して美しい羽を震わせる蝶になる。そんな風に劇的に変身できることなど期待せず、新陳代謝の範囲でゆっくりと、じっくりと、音もなく生まれ変わるしかできない自分なりに


自命の歩みを慶びたい。


生きている。

小さな争いも、ちらりと燃える嫉妬も。ふと交わしあう微笑み、ほのかな喜び、秘めやかな淡い想いも甘苦しい切なさも、ささやかな後ろめたさも。


すべて、この手のなかにある。


生きている。


新しいカレンダーをめくっても、
私は大きく変わらない。

決められた時間の流れに従って、少しずつ、先へと進むだけ。


変わらないことに祝福を。
変わることにも祝福を。


新年、あけましておめでとうございます。
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