赤い薔薇と名もなき雑草①

赤い薔薇と名もなき雑草②



「付き合うって…俺と?」


 隆志はこの状況が飲み込めずにいた。今目の前にいるのは確かに上条彩夏なのだが、自分の知っている彩夏ではない。クールで、近寄りがたいオーラはそこにはなかった。

「付き合って…もらえますよね?」

 ここにきてなんという低姿勢だろうか。普段の雰囲気とはまるで違う。

「あの、まあ、その、付き合うって言っても」

 いけない、こんなしどろもどろになるなんて。隆志は自分でも不思議な感覚の中にいた。

「溝口君、あ、もしかして好きな子がいるとか、彼女がいたりする?」

 そこは考えてなかったとばかり、彩夏の表情が険しくなった。

「いや、そういうんじゃなくてさ、なんで僕なのかな、と思ってさ」

「人を好きになるのに理由なんて必要なくない?」

「いや、確かにそうだけど」

 なんか話がややこしくなってきた。頭の出来はあまりいい方ではないから(容姿だって同じようなものだが)難しく考えるのは苦手である。

「そうか、急に付き合ってって言ってもびっくりするだけだよね。分かった。よく考えてからでいいから。返事はまた今度でいいよ」

 そう言うと彩夏は、次の講義が始まるからと隆志を一人置いてけぼりにして行ってしまった。

 隆志は一人になってよく考えた。

 何かあるとすれば、打ち上げの後に彩夏を自宅マンションまで送って行った時に何かがあったと考えるのが自然だろう。しかし、ほぼ素面の隆志があの時点で何かがあったなどとはあり得ない。だとすると彩夏が何か勘違いしているとも考えられた。もしくはクラスメイトに何がしか言われたかそそのかされているのか。

 隆志の志向は堂々巡りを繰り返し、思考は完全に滞ってしまった。もやもやした気持ちのまま一日が過ぎていく。


 翌日、教室に着くと彩夏が手招きをする。軽く挨拶をしただけで席に着く。小声で、

「昨日はごめん」

 と言った。何に対してのごめんなのか、はっきりしなかった。もやもやした気持ちのままである。講義の内容はもちろん右から左に高速で通り抜けていった。ノートをとる手も止まってしまった。

 さすがにこのままではまずい。色恋沙汰で生活が崩壊するようなことは極力避けなければならない。意を決して隆志は彩夏を呼び止めることにした。

「あのさ、この後、時間いいかな?」

 講義を終えて席を立つクラスメイトの視線が痛いほど分かっていたが、今声をかけずしてもう二度とチャンスが無くなってしまうんじゃないかという気分になっていた。

「うん、いいよ。どっかで話そうか」

 野次や冷やかしとも取れる声がどこからともなく上がったが、意に介す必要もない。無視だ。

今度は隆志が彩夏の手をとって屋上へ上がって行った。

「昨日のことだけどさ」

 隆志の声は少し上ずっていた。何焦ってるんだ俺?告って来たのはあっちじゃないか。

「ごめん、昨日は一方的にあんなこと言って。溝口君の気持ちもちっとも考えてなかった。本当にごめんね」

「それは、大丈夫。でもやっぱり理由が知りたいんだ」

「実はね、私、謝らなきゃいけない事があるんだ。昨日、酔っぱらって送ってもらったんだけど、ほんとはわたし、そんなに飲んでなかったんだ。ひとりで帰れたけど、そうしなかった。したくなかったの」

「…どういうこと?」

「つまり、酔っぱらったふりして、家のいちばん近い溝口君に送ってもらおうって思ったの」

 それは隆志にとって予想外のことだった。まさか昨日の彩夏の泥酔状態が演技だったとは。もともとお酒が弱いのだとばかり思っていたのだが、そう感じていたのは隆志だけだったかもしれない。考えてみれば、ゼミの打ち上げ程度でここまで飲むことの方が考えにくい。げんに最初の1杯だけビールで、後はソフトドリンクを飲んでいたという連中もいるからだ。忘年会や新年会ならいざ知らず、我を忘れるほど飲むようなことは誰一人いる様子はないのだ。

「全然分からなかった」

「・・・怒ってる?」

「いや、って言うか、なんでそんなことしたの?」

 彩夏のそんな行動が理解できなかった。仮にも男を自宅に上げる結果になるのだ。万が一、ということを考えなかったのか。それとも、マンションの管理が完璧だという油断がそうさせたのか。本当のところは分からなかった。いずれにしてももう過ぎたことだ。

「そうでもしなきゃ、二人きりになるチャンスなんて、ないでしょ?」

「確かにそうだけどさあ。危ないなとか、思わなかったの?」

 隆志がそう言っても、彩夏の表情はほとんど変わらなかった。

「溝口君、そういう人じゃないって信じてたから」

 これはまた大した信頼である。

「まあ、それはいいとしてだ」

 まずは自分の気持ちを伝えなくては。とくに意識などしていなかったクラスメイト。彩夏の告白を受けて、心の距離がいっきに縮まったのは確かだ。一日考えて、隆志は決断した。

「昨日の、返事なんだけどさ」

 隆志の声は少し上ずっている。緊張しているのか?彩夏は黙っている。軽く深呼吸を入れてから、隆志はこう切り出した。

「せっかくだからさ、付き合おうか」

 ちょっと心拍数が上がったのが、自分でもわかる。

「ほんとに?」

「嘘言ってどうするの」

「それもそうだね」

 彩夏はクスクス声を出して笑った。

「あーよかった。溝口君、ガードが堅いから絶対無理だって諦めてたのに」

「どんなふうに見られてるんだ」

 隆志もちょっと笑えてしまった。

「じゃあさじゃあさ、お互い下の名前で呼ぼうよ、溝口君、上条さんじゃ肩こっちゃう」

 隆志はその申し出を快く受け入れることとした。相変わらず、ちょっと緊張している。変な意識が働いているのかもしれなかった。ともあれ二人は交際をスタートさせることとなったのである。


つづく