ユーラシア大陸から見た京田辺の古代歴史ルーツ ②竹取翁博物館 「国際かぐや姫学会」 | 翁

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ユーラシア大陸から見た京田辺の古代歴史ルーツ ②竹取翁博物館 「国際かぐや姫学会」2014.1.10

koi okina

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16,422 回視聴 2014/01/11

日本人の古代史ルーツに大変詳しい和尚さんが住んでおられたので、竹取翁博物館の館長が対話形式でお話を伺うことにした。 今回は、京田辺が日本の「まほろば」であり奈良よりも遙か古い時代に大陸から色々な人達がやってきていた場所であると言うことをお話し頂いた

 

延喜式内佐牙神社の神輿渡御の祭礼

 

   イスラエルのアークと同型の神輿

 和尚さんは、40年ほど前からイスラエルのユダヤや世界各地からきた人たちと寝食を共にして古代の歴史を調べられた方である。  日本人の祖先は、遙か西方のチグリス・ユーフラテス川のシュメールあたりからゆってきていて、日本列島の奄美にやってきていた。この「アマミ」はフェニキア語で「海洋民」という意味であり、ここが最初の日本の入り口であったという。

 

 

  筒木の京田辺市大住で幼少期を過ごしたという藤原不比等もこれらの民族の人達で、大住三野にいた犬飼三千代や三野王(みののおおきみ)も一連の民族だという。  その後、藤原不比等は、「17条の憲法」を作り『古事記』『日本書紀』の編纂等の中心となって完成させたと述べられた。故に不比等は、聖徳太子というササン調ペルシャのタルトである「タリシヒコ」という人物をたてて一連の歴史を成立させて行ったという。 「国際かぐや姫学会」 copyright(C)2013 World Meeting Corp Kaguya-hime Japan Kyoto All Rights Reserved.