ココロとカラダに栄養映画~試写会へGo!
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世界の果ての通学路


世界の果ての通学路

 毎週土曜日に中国語学校に通い始めてもうすぐ3年になる。中国語で書くと「我学中文学了快三年了」。

 東京で40年ぶりの雪の中、午前中のクラスに出席した先々週は、授業中にみるみる雪が激しくなり、午後からのクラスは休講になった。

 先週も大雪で、朝に電話で開講を確認してから雪の中を赤坂まで通った。

 教室に入ると、谷川さんという男性がひとり席についていて、私を見るなり「よかったー! ひとりだったらどうしようかと思いましたよ!」と嬉しそうに笑い、普段あまり話さない二人が、ひとしきり雪の話題を交わした。


 欠席しても当然の天気にもかかわらず、6人の生徒の内3人が出席し、老師のバハマ旅行の話に半分中国語で盛り上がった。

 3時間弱の授業でまた少し進歩したような気になって、今日覚えたフレイズを口の中で反芻しながら、ちょっと嬉しい気持ちでシャーベット状の道を家路についた。


 そんな突然の大雪による、ちょっとしたサバイバルな通学路とは比べ物にならない通学をしている子供が世界にはいることを、この映画で知った。登場するのは長く危険な通学路を通う、4組の子どもたち。


 ケニヤの子供たちは象の群に怯えながら(年に数人は象に襲われて命を落としているらしい)、片道15キロのサバンナを2時間(なんというスピード!)で駆け抜ける。

 アルゼンチンの子供たちは、広大なパタゴニア平原の18キロの道のりを、兄妹で馬にまたがって通う。

 モロッコの少女たち3人は寄宿制の学校へ毎週月曜日、アトラス山脈の22キロの岩道を4時間かけて歩く。

 インドの3兄弟は4キロの道のりを、おんぼろの車いすに乗った兄を2人の弟が助けながら、1時間15分かけて通う。


 そのすべてが通学というよりはサバイバルに近い。

 サファリ観光客であれば大喜びするであろう象の群れは、ケニアの少年の目には凶暴な猛獣に映る。

 アルゼンチンの石山の道は、愛馬が足を滑らせれば大怪我は免れないほど峻厳だ。

 モロッコの少女は途中立ち寄る市場で生きた鶏をお菓子に換え、脚を痛めた友だちのためにヒッチハイクに挑戦する。

 車いすの3兄弟に至っては、川を渡ろうとして難渋し、ついには車いすのタイヤがはずれ、にっちもさっちもいかなくなる。


 毎日こんな思いをして学校に通うなんて!

 信じられ ない思いを抱きながら、ハラハラドキドキの道中に見入ってしまう。大自然の美しさ、子どもたちの小さなアドベンチャー、道中の大人たちとの駆け引きやふれ あい、子どもたちの素直な掛け合い。そうして、こんなに大変な思いをしているのに、子どもたちの表情がとても可愛く活き活きとしていることに印象づけられ る。


「今日は国旗を掲揚する当番なんだ」「早く歩かないと間に合わないよ」「お兄ちゃん、(馬の)前に乗せて」「近道しようなんていうからだ」「ケンカしてる場合じゃない、急がないともう遅刻だよ」


 子どもたちの口から発せられる言葉の端々から「ああ、この子たちは本当に学校に行きたいのだなあ」という気持ちがひしひしと伝わってくる。


 家族もその子どもたちを温かく見守っている。

 モロッコの女の子のおばあちゃんは「自分は協会でしか学べなかった。しっかり学校で勉強するように」と教える。

 インドの子供のお母さんは未熟児で生まれ足に障害がある長男に毎日マッサージを欠かさない。

 そして子どもたちには夢がある。ケニアの子供はパイロット、モロッコとインドの子供は医師、アルゼンチンの子供は地元の教師だ。


 その夢が真っ直ぐな目で語られるとき、彼らの目線が学校のはるか向こうに向けられていることに気がついた。

 自分の将来の夢へのパスポートだと心から信じる学校に通う彼らの通学路は、大変ではあるけれど、辛くはないのだと。

 逆に言えば、自宅の目の前に学校があっても、そこが行きたくない場所であるならば、その通学路はどんな険しい道よりも辛いはずだ。

 学校はそのものの良し悪しではなく、通う子供の思いでその価値は大きく変わる。


「何も持たずに生まれてきて、何も持たずに死んでいく。それが人間でしょう」


 こんな言葉を子供の口から聞いて、しょぼい株の損などなんでもないと思えた映画でした。

 さあ、来週も中国語行くぞっと!


包帯クラブ


包帯クラブ
小さい頃、石につまずいて転んで泣いた時、机の角などにぶつかってこぶを作ってべそをかいた時、親はよく、石や角をしかってくれた。

「いけない石だね。めっ!」「この角が悪いんだ! こらっ!」

おまえが不注意なんだよ、と言われるより、何倍も気が済んで、泣きやむ気になった気がする。

石が悪いんじゃないことはわかっているけれど、自分の不注意も自覚しているけれど、ちょっとだけ慰められることで、我慢できる自分でいられた気がする。

そんな手当てがないと、何気ない日常で、人の心は取り返しの付かないくらい傷ついてしまうのかもしれない。

ワラ(石原さとみ)は地方都市に住む高校3年生。
弁当工場に勤める母と弟と3人暮らしだ。
卒業したら就職しようと思っている。

誤って切った手首の傷の治療に病院に行くと、世間はリストカットとしか見てくれない。
同情と優しさのこもった対応は、逆にワラの心をざらつかせる。
病院の屋上で街を見ていたワラは、入院患者の少年、ディノ(柳楽優弥)に出会う。
ディノは手首から落ちた包帯を屋上のフェンスに巻いてあげた。

「手当て、や」

2人は友人たちと「包帯クラブ」なる活動を始める。
インターネットで傷ついた出来事を投稿してもらい、傷ついた場所に包帯を巻きに行ってあげるのだ。

見ず知らずの人たちの、どうしようもない悩みを、ネット上に包帯を巻いた映像を載せることで、彼らは「手当て」していく。
そして彼らもまた、自分たちの中に手当てを待っている傷を抱えていた。

人の心を癒すことは、ものすごく簡単なようでいて、ものすごく難しい。
時として自分のことを一番大切に思っている人が、一番大事なものを奪って行く。
愛という名のもとに、心を殺す。
それほどに、人の悩みはパーソナルなものだ。

他人にとって何でもないことが、その人にとっては堪え難い痛みであったりする。
そのことを弱さと言うのは簡単だが、人は死ぬまで弱い生き物でもある。
強くなれと言って強くなれるのなら、誰も苦労はしないのだ。

破天荒ながらナイーブな、はみだしエリート高校生・ディノを演じる柳楽君が実にいい。
大人と子供、突っ張りと優しさ、クールとホット。
人が必ず合わせ持っている相反する面を、同時に表現していることに感心する。
柳楽君の目に、遠い昔に忘れていた、自分たちの青春時代の風景を思い出した気がする。

★★★★★
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試写会「インランド・エンパイア」


インランド・エンパイア
「ツイン・ピークス」を見なかった僕の中で、デビッド・リンチ監督といえば「ブルー・ベルベット」だ。
独特の空の青に、切り取られた耳のオープニング映像が鮮烈に印象に残っている。
でもって、ちゃんとストーリーがあった。

そのリンチ監督の新作である。

「どうしよー!!!」

見ながらずーっとそう思っていた。
全くストーリーがわからないのだ。
いや、最初のうちは少しわかった気がしたが、途中から影絵のようなウサギやら、貧乏そうな若夫婦やら、全く見覚えのない映像が矢継ぎ早に登場し、筋がわからなくなってしまった。

それぞれの映像は面白いのだが、つながりが全くわからない。
もともと僕は外国映画を見て筋をつかむのが下手だ。
外国人の顔や名前の区別がつかないからだ。
筋がわからない映画を見続けるのは結構つらい。
しかもこの映画、3時間もある。

難解な現代音楽をじっと座って聞くコンサートのように、見終わったときには息も絶え絶えだった。

「ええんか? デビッド・リンチ?」

そう思いつつ、でもブログに書くネタを探そうとパンフレットを見て驚いた。
みんな、筋がわからない(あるいは、ない)ことを大喜びし、絶賛しているではないか。
今野雄二氏はアメリカのグレン・ケニーという評論家の次のような言葉を紹介している。

「内容が分からなかったって?それがリンチを理解したってことさ」

パンフレットによると5つの世界が交錯するらしい。
その中には現実の世界や撮影される映画の世界のほか、ウサギ人間の世界などがあって、読めば読むほど分からなくて当たり前な気がして、ちょっと安心した。
分からないこと前提なら、環境映像に触れる気分でもう一回見てもいいなー。
でも3時間は長いなー。
酒でも飲みながら見ることができたら、すごく心地よいかもしれない。
先日取材に行ったバンコクには、バー付きの映画館があった。
きっとあそこなら一杯飲みながら見れるはず。
この映画には、新たな映画鑑賞スタイルが必要だと思わされた。

驚いたのは終盤になって結城奈江が出演していること。
「北の国から~巣立ち」(とんねるずが「朝立ち」ってパロディーをやってたっけ)で純君とエッチして妊娠し、その後女性誌にバッシングされて消えた、あの結城奈江さんです。
全然変わってなくて、結構な長セリフを英語でこなしていて、ちょっとびっくりでした。


試写会「ミリキタリの猫」


ミリキタニの猫

何かの呪文のような、東欧か中東の名前のような「ミリキタニ」は人の名前である。
しかも日本人。漢字で書けば「三力谷」になる。
本名はジミー・ツトム・ミリキタニ。
カリフォルニア州サクラメント生まれ。広島育ち。18歳からアメリカに戻った。今年で87歳の芸術家だ。

真冬のニューヨークの街角で、ひたすら画用紙にクレヨンを塗りたくるように、猫の絵を描く老人の映像から始まる。
透明のシートが風雨除けになっている商店の店先で、ボロのような服を重ね着した姿は、ホームレスにしか見えない。
しかし彼は芸術家だ。
施しは一切受けず、自分の絵を売ることによってしかお金を受け取らない。
監督のリンダ・ハッテンドーフは、お金を払う代わりに彼の映像を撮ることで絵を受け取る。

そんな時に9・11のテロが起こる。
粉塵舞うニューヨークで誰もが逃げ惑う中、いつものように絵を描き続けるミリキタニを見つけ、リンダは自分のアパートに招き入れる。
誇り高き芸術家のドキュメントはこうして始まった。

ミリキタニが日本からアメリカに戻ったのは、日本の軍国主義の高まりが理由だ。
絵を学んでいたツトムは父の「兵隊になれ」の言葉に、こう答えた。

「死ぬのは怖くない。でも僕は軍人じゃない。芸術家だ」

しかしアメリカでは、日米開戦と共に日系人収容所に収監されてしまう。
なかば一方的に市民権を放棄させされ、一方で日本の故郷の広島は原爆で破壊された。

戦後、開放されたミリキタニは、芸術活動を再開しようとニューヨークに流れ着き、大学の図書館で寝ているところを日本人講師に拾われる。
仏教界の紹介で、しばらくは料理人として生計を立てるが、80年代後半に職を失い、それ以降ワシントンスクエア公園で暮らし、絵を売る生活を始めた。

なかなかにファッキング・ジャパン、ファッキング・アメリカな人生だ。
しかし、「思いではワシに優しかった」と静かに語るミリキタニの姿は、神々しいまでに穏やかで清潔感に満ち、誇り高い。
人に優しく、自分をおごらず、やりたいことをやり、施しを受けない。

その姿が「オレは芸術家だ、兵隊にはならない」と言った若い日の気持ちをそのままに見える。
そのミリキタニをアメリカの行政が、公的援助で何とか救おうとする姿も克明に撮られている。
そして、ほとんどホームレスのミリキタニの資料が、その気になれば調べられてしまうアメリカの行政の底力に驚く。
だからミリキタニは暮らし続けたのかと納得する、アメリカの社会の強さが垣間見える。

強い個人を支えるのは、国民を守る強固な意志を持った国家なのかもしれない。

★★★★☆

試写会「ヒロシマ/ナガサキ」


広島菜が咲き

「しょうがない」って、僕は好きな言葉なんです。
落語ではいっぱい出てきますね。

「そこの横丁で鯛拾った」
「どこに落ちてたんだ?」
「大八車の荷台に落ちてた」
「それは落ちてたんじゃないよ! 持ってきちゃったの? しょうがねえなー」

こんな落語での与太郎とのやり取りに使われるのが「しょうがない」なんです。
人間社会の潤滑油として、バカなヤツも間抜けなヤツもいるけど、みんな生活してるんだし、そんなに悪いヤツじゃないし、まあ仲間に入れてやろうよ。
それが、僕が考える「しょうがない」の美学というか、生きていく智恵だと思うんです。

だから、次のような使い方は絶対に間違いなんです。

「えっ! 原爆落としちゃったの? 15万人死んじゃった! しょうがねえなー」

この映画、タイトルの通りの原爆のノンフィクションです。
監督のスティーヴン・オカザキさんは1952年生まれの日系3世。
英訳されたマンガ『はだしのゲン』を読み、81年に広島を初めて訪れ、82年には被爆者を取材した第1作『生存者たち』を発表。
世界の多くの人々はいまだにその実態を知らない、原爆の被害に対する認識と関心を、世界に呼び起こしたいと考えている人物。

映画は現代の渋谷の映像から始まる。
「1945年8月6日に何が起こったか?」
この質問に「えー、分からない」「歴史苦手なの」と笑う若者たち。
その顔が思わず辞任した防衛相の薄笑いに重なる。

取材は生き残った被爆者から、原爆を投下したエノラ・ゲイの乗組員まで網羅します。
ひどい傷と後遺症に悩みながら、差別にさらされ、死ぬよりも辛い人生を生き抜いた被爆者がいます。
自分が代わってやればよかったと、いまだに弟妹に詫びる老婆がいます。
「悪夢を見たことは一度もない」と鋭い目をして答える元アメリカ兵もいます。
目撃者によると、あのキノコ雲は雲ではないそうです。
あの巨大なキノコ雲は、そのすべてが火柱だそうです。
爆発の瞬間、地上は5000度の熱と秒速400メートルの爆風に襲われたとか。
この世に地獄があるとしたら、まさにその瞬間でしょう。

お寺の地獄絵そのままの当時の絵。
瓦礫と黒焦げの死体の写真。
ケガをした人の焼けただれた肉体。
映像は淡々と、しかし残酷なまでに生々しく事実を伝えます。

原爆投下まで、ヒロシマには空襲がなかったそうです。
それは原爆の威力を検証するための措置だったのかと想像されます。
戦争で瓦礫になった街はいくらでもあるでしょう。
でも、消滅した街はヒロシマ、ナガサキをおいてないのでは。

原爆症で苦しむ子供たちは、アメリカの資料になりました。
治療もしないのに、症状を検査されました。
その日本人は、中国で人体実験をしていた記録もあります。

しらなかった事実は、アメリカが行った「原爆乙女」というプロジェクト。
1955年に、肉体に傷が残った被爆者の若い女性10数人を対象に、アメリカに招待して整形手術を施すという内容です。
日本政府が最近まで被爆者を放置していた事実と比べると、複雑な感情に襲われます。

原爆を投下した元兵士は、こう語ります。
「私たちはパンドラの箱を開けてしまった。
核戦争が起こるかもしれない世界を生きるしかないのです。
酒場でこう言う人がよくいます。
“イランなんか、核兵器を落としてやればいいんだよ”
それは核兵器をどういうものか知らないから言えるんです。
そんなものじゃないんです」

地獄の蓋を開けてしまった人間は、どう生きればいいのか?
世界が核のチキンゲームに突入していないことを祈るばかりです。
エノラ・ゲイに原爆リトルボーイを搭載するテニアン島は快晴。
真っ青な空が目に焼き付いています。

★★★☆☆
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