両親が到着してまだ二日しか経って居ませんが、日本に私たちが行くのと違って

両親が訪ねてきている場合は二人が会う相手が私たち親子しか居ないため

かなり濃い訪問となっています。

私が日本に帰ると、旅行に行くだとか友達に会うだとかで

正味数日間しか両親とは会わないし、他の人も一緒にいる時間も数えられたり

私たちの世話をする時間も入っているので

こちらに来てもらったほうが、話をする時間が多くて良いです。

元から私は両親が忙しくて話をする時間をたくさん経験した訳ではなく

遠く離れて住んでいると電話をしてもお互いが料金を気にして焦っていたりするし

電話したタイミングによっては相手の都合で焦って話したりという感じでちゃんと話さないし

元から両親が自分だけのために時間を作るなんてことはしてなかったので

こういう訪問で初めて時間がもらえた~という気がします。

前回もそうだったと思うけど、今回は「両親のどちらかが亡くなった場合はどうする予定なの?」なんて話をしてます。(母と)

弟が面倒を見るのは分かっていますが、母が先だときっと大変だよね~というと

「そうなんだよ。」妹と弟もそういうことを考え始めていて

母が管理していることをすべて記入してくれと言い始めたそうです。

病院はどこの病院だとか、土地などの名義は誰になっているのかとか

それで母の両親の家の名義が37年前に亡くなった祖父のままになっていたのを発見したそうです。

弟妹、よく考えてくれたぞ。

祖父の名義をこれまたすでに亡くなった祖母の名義に変更して、そして母の名義にしたとか。

そこで初めて祖母がどんな土地に移り住んできたかとか知らなかったことを改めて知ったそうです。

身の回りの整理、私もちゃんとしておこう~~。(自分の管理しているものの情報っていうと、いろんなアカウントのパスワードか?)

私は家族がそばにいないので、私に何かあったら誰に連絡するか?と言う話はハリに常に話しています。

まずはベイエリアに住んでいる私の友達に連絡して、助けてもらえと言うだけですが・・・

私の話はどうでも良いけど、両親がいる間にできる限りの情報を収集しておこうと思います。

基本的には弟と妹がちゃんと面倒を見るつもりなんだなあと言うことはわかりました。

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今日は両親が日本から遊びに来るので空港へ迎えに行くために休みを取りました。

来週の火曜がハリの卒業式です。

4年前にハリの中学の卒業式で両親が参列するために渡米してくれました。

ハリには家族が私以外にはいないので(父親もいるけど)かわいそうだからと言って来てくれたのでした。

そして「高校を卒業する時にまた来るよ。」と言って約束したので

「ちゃんと来るんだろうね?」と聞いたら

「なんか最近急に年取っちゃってねえ。行くの面倒だなあって思ってるんだけど・・・。」と

二人はもともと高卒で就職してから、主にデスクワークをしていたうえ

あまりアウトドア派ではないので

家にこもってテレビを見たりしている事が多く

元から重かった体がどんどん重くなっているようなのです。

もちろん、定年退職して年金と貯金で生活している年寄り二人に

渡航費用は自分持ちで来てくれ!と言うのも気がひけるのだけど

私の卒業もあるし、来てもらえると嬉しいなあ・・・とお願いしたら

なんか渋々くることに決めてくれました。

ハリの卒業式に参列できればいいと言うのが両親の意見で

でも1週間とかしか来ないと、私がまだ仕事中の期間なのでどこにも連れて行けないからと

約3週間滞在してもらうことにしました。

二人が来たらどこに行こうかなと考えていると

「前に行った時に遊覧ボートみたいのに乗って橋の下の近くとかまで行ったよね?それに二階建てバスに乗ったりもしたね?

そういうの、もう良いから。一回経験したから。」だって。

また行きたいのかと思ったのに!

母はサンフランシスコの坂道を車で走るのが嫌だそうで

なるべく出かけたく無い・・・と言うのです。

道によっては坂が急なのでローラーコースターのような感覚を感じる場合もあるからですが

ゆっくり運転してあげてるのに・・・。

「お母さんは、大きなデパートとかに行ければ良いから。」と言うのですが

アメリカ生活の長い私としては、アメリカで売ってる品物はほとんどがメイドインチャイナ(或いは他の外国産)で

日本でも絶対に同じものを売ってると思えるものか、あるいは安っぽい作りだったりして

どれも買いたいものはありません。

食べ物だって、ほとんど日本で買えそうだし

買っても甘すぎたり塩辛すぎたりで美味しいと思えるものはほとんどありません。

サンフランシスコでは美味しい食べ物も買えますが、そういうのはめちゃくちゃ高い。

便利なものや可愛いものなどを買いたいと思っても、日本に比べるとなんだかなあ~~と言うものが多いのが私の感覚なのですが

母はデパートに行きたいそうです。

私だったら、そんな場所で時間をつぶすよりは

ここでしか見られない景色などを見て欲しいのですが・・・。

ちなみにまったく動かないという両親ですが

デパートなどに連れて行くと、もりもりと何時間も歩きまわります。

何かブランド品が欲しいのであれば、デパートに行く理由もあるかもしれませんが

出かけない人がブランド品を手に入れても、見せびらかす場所が無いですよね。

(おっと、使う場所が無いってことです)

とにかく、どこに連れて行こうか全然思いつかないので

以前ブロ友さんと行った蘭の温室に行くことだけ決めています。

そしてその近所にあるティールームでお茶を飲む予定です。

あとは何をするのだろうか?

楽しみに(?)していてください。

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私の卒業の表彰について、高校時代から私を知っている友人に伝えると

高校時代の私を知っている彼女はこんな結果を出すなどとは想像もしなかったと言っていた。

私もそう思う。

過去に遡ると

私は小学校の頃は覚えたことをすぐにテストで検査する体制だったので、結構良い点を取っていたけれど

中学のように中間とか期末とか時間をおいてまとめてテストをされると覚えていない。

そういうテストの場合は、勉強をしてテストに向けて準備をするのだが

私はそういう勉強が苦手だった。

特にテストに出そうなことがわからず

とんでも無いことを復習したりしていて、意味がなかった。

中学で悪い成績を納めてから、一回り以上上の従兄弟たちが代わる代わる家庭教師に来た。

お兄ちゃんたちがかなり厳しくて、そのおかげで成績が上がったけれど

そのおかげで学年で11位とかになったこともあったけれど

やっぱり自分で勉強したらあまりいい成績はとれなかった。

こんな私が市内で一番難しいと言われた女子高を受けた時は落ちるのを覚悟で受けた。

中学の担任も受からないと思っていた。

5教科のうち英語と社会はほとんど点を取っていなかった。

数学、理科、国語でなんとか合格をしたのだった。

そんな私だったので、高校で落ちこぼれ寸前だったのは言うまでもなく

テスト勉強をとことんしなかったので

いい成績を取ったことがなかった。

かろうじて専門学校に入れたのは、部活を一所懸命やっていたことと

文化行事委員会の委員長として色々と学校全体の行事のアレンジなどをしていたので

先生が推薦文を書いてくれたからだった。

成績で入ったわけでは無い。

専門学校でも、実技の成績は結構よかったけれど

それ以外の成績は悪かった。

勉強が苦手だったのだ。

(それとバイトで忙しかった)

だから、元から優秀な人間だったわけではなくて

アメリカの大学で良い成績を収めるには、かなりの努力が必要だった。

それにはハリが犠牲を払ってくれた。

もう17歳のハリの人生のほとんどが我慢の毎日だった。

良い成績を収めるため(成績が落ちると奨学金がもらえないと思って頑張っていたのです)

ストレスが過剰にあって、ハリとは本当にたくさん喧嘩をしました。

思春期だという理由もあったでしょうが

私がたった一人の家族なのに、ハリに余り時間を割かないのが大きな原因だったと思う。

それでもハリはいい子に育ってくれたと思う。

勉強や遊びなどはどうしているのか余りわからないけれど

人間的には真面目で、思いやりがある子だと思う。

でもとにかく、私が大学でいい成績を納めて表彰されたのは奇跡としか言えないくらい

過去の私からは想像つかない結果だった。

別に自慢をするためにこれを書いているのではなく

好きなことだったら、落ちこぼれ寸前の私でも

前向きに真剣に学習することができるのだと思った経験だった。



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