聖徳太子はいなかった、という真っ赤なウソ 第2回 | 「聖徳太子はいなかった」という嘘

聖徳太子はいなかった、という真っ赤なウソ 第2回

●聖徳太子はいなかった?(1)

「聖徳太子はいなかった」という説を粉砕して、ぶっ壊すというのですから、少し覚悟を決めないといけません。これを読んでいるあなたも覚悟を決めてください。

私は、自分のアイデアを公開するのには少し抵抗があって、これはケチな性分だからなのかもしれませんが、無料で提供するのは少しもったいない気がするのです。しかし、ことは聖徳太子の名誉に関わることなので、そうも言っておれません。「聖徳太子の名誉を守る会」を作ろうとも考えたのですが、ひとまず、このブログで頑張りたいと思います。

「聖徳太子はいなかった」という聖徳太子虚構説は、昔からパラパラあったのですが、ここ20年ほどで本が数冊でて有名になったのです。

アマゾンで、「聖徳太子はいなかった」で検索してみると、石渡信一郎さんと大山誠一さんと谷沢永一さんの本が目立ちます。この3人の著作は、聖徳太子のイメージに強く影響を及ぼしました。

  1992年の石渡信一郎さんの『聖徳太子はいなかった』(三一書房、河出文庫は2009年)
  1999年の大山誠一さんの『<聖徳太子>の誕生』(吉川弘文館)
  2004年の谷沢永一さんの『聖徳太子はいなかった』(新潮新書)

この3冊の特徴として私が気がついたのは、どれも読みにくいし、一読して何が書かれているのか分からないところです。分かりやすく書けばいいのに、不思議だなと思ってしまいました。

そこで、今回は、私が皆さんのために、そんな苦労をせずとも3冊のエッセンスを理解できるよう要約することにしました。無駄な時間を使うことはありません。タイムイズマネーなんですから。

要約してみようとして気がついたのは、3人の書く文章は、意味が分かりづらいのだけれど、聖徳太子を否定しようとしている論理の形は共通していて、非常にシンプルなのです。シンプルなんだから分かりやすく書けばいいものを、読者に対して不親切だなあというのが私の印象です。どうしてなんだろ。

まず、1992年の石渡信一郎さんの『聖徳太子はいなかった(文庫本2009年版)』を読んだので、そこに書かれている内容を私なりに、私の言葉で、簡単に、まとめてみます。

これは予想を超えて奇想天外な内容でした。

骨子としては……蘇我氏こそが天皇家(大王家)であった。蘇我馬子も天皇(大王)だったので、推古天皇は存在しなかった(日本書紀が作った架空の人物である)。蘇我入鹿も天皇(大王)だったが、645年の大化改新というクーデターで殺された。ここで、蘇我天皇家は滅亡して、現在の天皇家に簒奪された。以上の事実を隠蔽するために、聖徳太子という虚構の人物を、720年の『日本書紀』は作った。その作者は、藤原不比等と当時の天皇である。実は、天皇(大王)だった蘇我馬子は、死後に、「聖徳大王」と呼ばれていたのだった……という驚天動地の説だったのです。正史では、蘇我馬子は大臣でした。

驚きました。私は、「驚いた」とだけ言って、この説に対する意見を述べることはやめておきます。先を急ぎましょう。
それよりも重要なのは、石渡信一郎さんの「聖徳太子がいなかった」説の根拠です。それを、また私なりに、まとめると次の通りです。

(1)聖徳太子関係の現存する史料は、信頼できるものがない。
(2)『日本書紀』によって、虚構の聖徳太子が捏造(ねつぞう)された。
(3)『日本書紀』と同様に、『上宮記』『法王帝説』も信頼できない。
(4)『日本書紀』の虚構の聖徳太子イメージをもとに、以下の、後世の偽作が作られた。
  ○法隆寺金堂薬師如来像光背銘
  ○伊予国湯岡碑文
  ○天寿国繍帳銘
  ○法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘
(5)聖徳太子の主な事績は、大王馬子の事績を隠すために後世に作られたものである。
(6)聖徳太子の息子の山背大兄王も架空の人物である。

なかなか読みにくくて、何が書かれているのか分かりにくい本でしたが、結局、もともとは蘇我氏が天皇家だったという説です。これを殺して天皇の地位を奪ったのが現在に続く天皇家であって、歴史を隠蔽するために、『日本書紀』を作った。隠蔽する過程で、歴史を偽造するために、架空の人物を作る必要があった。そのためデッチアゲをして、それが聖徳太子だった。これが結論です。

もう一度、簡単にまとめてみましょう……蘇我馬子は天皇だった。馬子の孫の蘇我入鹿も天皇だったろう。大化改新で入鹿を殺して、蘇我天皇家を滅ぼし天皇位を奪った。それを誤魔化す歴史書として『日本書紀』が作られた。馬子天皇を消すための文章を書く時に、辻褄を合わせるために、聖徳太子という架空の存在が必要になった、というものです。

真偽は別にして、論理はシンプルです。わかりやすい。

私なりの報告は以上ですが、感想を一言だけ言うと、石渡信一郎さんの場合は、蘇我氏が天皇家(大王家)だったことを主張したいのがメインで、それで聖徳太子を利用したのではないかという点です。

そう思った根拠としては、本のタイトルの『聖徳太子はいなかった』ですが、聖徳太子が出てくるのは、全6章の本の、第6章だけだからです。内容とタイトルが、ややズレているという感じです。

自分の発見を主張したい本を売るために、聖徳太子の名前を前面に出したというのが私の印象です。そのほうが話題になるでしょうから。でもまあ、誰もがやっていることだし、許容される範囲だと思います。問題は、本当に聖徳太子はいなかったのか? というところです。

それでは、石渡信一郎さんは以上にして、次に行きましょう、明日は大山誠一さんです。