うっちゃん先生の「古代史はおもろいで」

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うっちゃん先生の「古代史はおもろいで」
内っちゃん先生の「古代史はおもろいで」

ブログ 「ご挨拶」


 このブログも140回を超えました。古代史に関わるさまざまな疑問に挑戦し、本当の古代史はどんなものかを探って来ました。そのなかで浮かび上がってきたのは、古代史家らが日本の「正史」と考えてきた『日本書紀』のいかがわしさでした。分かってはいましたが、探っていくと「ここまでうそを並べたか」とびっくりするほど事実を捻じ曲げていて、ひどい内容であることがわかりました。

 消されたのは九州政権や卑弥呼らの国ですが、その中で『書紀』の執筆者は、読者に何とか事実を探るきっかけを与えようと各所に“暗号„を散りばめています。この“暗号„に気付くかどうかで歴史の真実に近づけるかどうかが決まりそうだと分かってきました。

 〝うその歴史〟は文部科学省の役人や一部の古代史家たちによって再生産され、市民や子供たちに教えられています。古代史像から導かれる国のアイデンティティはとても重要です。嘘八百の古代史は市民を直撃して地獄に落とすでしょう。

 第二次世界大戦の経緯をみれば明らかでしょう。教育界は今とさして変わらぬ「嘘の古代史」を平然と市民に教え込み、軍の首脳は銃をちらつかせて政治を乗っ取り、東京の「大本営」でマスコミに嘘情報を垂れ流し、マスコミは嘘情報に尾ひれをつけて紙面を飾りました。

 何十万人もの市民が焼夷弾で焼かれ、苦しみのあまり断末魔の叫びをあげながら川に飛び込み、原爆でも目玉まで飛び出さされ、全身焼けただれた姿で苦しみながら焼き尽くされた町をさ迷いました。南方の森の中では支援もなく空爆にさらされて逃げまどい、カエルや蛇を食い尽くし、死んだ仲間の肉まで食べて挙句の果て死にました。

 国史学者らは軍部にへつらい、財閥だけは世間を謳歌しました。若者たちは「国の為、天皇陛下のために死ね」と言われて将来の夢や人生を捨て、爆弾を抱えて死地に赴きました。「国の為」などは全くの嘘で、実は戦争を起こした軍部・参謀たちの命と面子を守るためでした。

敗戦が決まるとマスコミと教育界は「一億国民総ざんげ」などと言って戦争の責任を市民に転嫁しました。まったくとんでもない事です。

 彼らが一日も早く良心を取り戻し、市民全てが本当の歴史を知るようになって欲しいものです。その一助になれば幸いです。ぼちぼちですがこれからも頑張るつもりですのでよろしく。

  どんな事を探って来たのか。テーマ別に主なものをまとめてみました。ぜひ読んで下さい。ご批判大歓迎です。

()内はブログのナンバーです。

九州倭(いぃ)政権実在のデータ47

九州年号とは6135698134135

九州の遺跡の年代は間違いだらけ5122139

九州にいた古代の天皇 
神武(131141142他)景行11684他)継体1314138139)、安閑1556)、神功皇后697579)、成務80)、天のタリシヒコ(1617)、斉明(120123)天智959899101102
前方後円墳は「大和政権の墓」ではない。

紀(姫・木・基・記・貴)氏が造り始め、やがて九州倭政権の墳形に7978127

卑弥呼の鏡262937548389

大国主・大己貴は山陰の出雲でなく九州にいた737496

九州政権の一翼を担っていた熊襲234131548599395138139

「東海紀(貴)氏国」を造り君臨した紀氏240819199)。

「倭」を「わ」と読むのは間違いだ11144

・古代史年表(14312

・偽られた聖徳太子像(161966102104137

・このほか山陰、丹波、岡山、埼玉、熊本、薩南などで古代史を探っています。「うっちゃん先生」こと九州古代史研究会主宰 内倉武久

ブログNO.199

「神武天皇」は「クメール族」の血筋? Ⅰ

 父親や側近にそれらしい大蛇伝承や名前


先日来、ベトナムとカンボジアに旅をしてきた。そこで「見出しの件」について確信を得たので報告しよう。九州の熊曽於族(熊襲・隼人)の主体ともなったらしい彼の地の「クメール族」が、カンボジア周辺から黒潮に乗って渡来したのだ。合わせてそこから伝来したと思われる北部九州の文化・舞踊の一部も紹介しよう。

 まず、これまでのブログで「本当の神武天皇」は鹿児島の大隅半島で生まれた。そして、先住していた大巳貴(おおなむち=大穴持)らの追放に成功しつつあったニニギら天族(薩摩半島に漂着し、勢力を築いていた)に加担した。

「本当の神武天皇」勢力は、志布志湾に注ぐ肝属川河口から出発して海路北九州に向かい、銅矛や銅戈で武装していた大巳貴らを鉄の武器で追い詰め、その拠点であった現在の福岡県春日市や佐賀県鳥栖市一帯で戦果を挙げた。「本当の神武天皇」は福岡県東部や大分県北部の「豊の国」で活躍し、多くの伝説や逸話を残した(当ブログ№177169141157161など参照)

 大巳貴やニニギ、熊曾於族らはいずれも、中国大陸南部から、黒潮を利用して南九州の海岸に漂着した「難民」の子孫たちが主体であった。朝鮮半島とは何の関係のない人々だ。

『日本書紀』はその死後のおくり名(諡号)である「神武天皇」の名称をパクリ、「自らの政権の始祖である」としたニニギら天族の「狭野命(サのミコト)・神倭磐余彦(かむやまといわれひこ)」に付け替えた。「神倭磐余彦が神武天皇だ」と偽り、黒潮に乗って渡来した人々が開き、やがて日本全国を支配した九州の歴史を消し去って「大和政権一元論」として歴史を改竄したのだ(当ブログ№195など参照)。

 だが、庶民は「権力」による歴史の改ざんに決して組することはなく、今でも多くの事績を「伝承・伝説」としてはっきりと伝えている。報告した通りだ。


まず「日本における大蛇の話」から。

 伝承によると、「神武天皇」の父親であるというウガヤフキアエズは、生まれた時「大蛇」の姿をしていて、人々を怖がらせたという。また、大正時代の末期ごろまで、大隅半島や南九州の住民たちは「藁(わら)束」や孟宗竹で通称「蛇の宮」という神殿を作って大蛇を祭り、また、十五夜には同じく藁束で作った「大蛇」を地区内で引き回して、無病息災を祈っていた、という。(当ブログ№142など参照)「大蛇信仰」は熊曽於族(熊襲・隼人)の「九州年号」の発布など全国展開の結果(当ブログ195参照)、全国に広まったらしい。

 例えばまず、大阪の事例を見てみよう。『三善貞司編集・大阪地誌集成』(清文堂出版)によると約30例が「龍蛇の話」として報告されている。「龍」はもちろん、大蛇から生まれた想像上の動物だ。

 大阪天神橋筋の伝承

 天神橋筋にとても美しい娘がいた。年頃なので降るように縁談がきた。しかし、娘はまったく相手にしない。しかも年頃なのに行水したり、体を拭いたりしなくなった。心配した母親が何度も尋ねると、娘は「こんな体になりました。どうぞ私のことは忘れて、お幸せにお暮しください」といって、そっと肌着をめくった。

 脇の下や腰の周りに鱗(うろこ)がいっぱいついて、キラキラ光っている。母親はびっくりしてしがみつこうとすると、娘はするりと身をかわし、そのまま闇の中に消えていった。

 何年か経って美濃の滝で娘さんを見たといううわさを聞いて、母親が訪れ、しきりに娘の名を呼ぶと滝の中からあの時と同じ着物をまとった龍が現れ、何度も頭を下げて滝を登って空に飛び去った。

 大阪天満

大昔、天満では全く雨が降らず、田畑は枯れ、飢饉となった。庄屋は困り果

て神仏に雨乞いの祈願をしたが、いっこうに霊験はない。たまりかねて「だれか雨を降らしてくれたら器量よしの娘を嫁にやるぞ」と叫んでしまう。翌日天満の大池から見たこともない巨大な蛇が現れ。「庄屋どん、俺に任せよ」といったかと思うと、大空めがけて火を吐いた。みるみる一天にわかにかきくもり、雷雨となる。三、四日降り続いて田畑は緑を取り戻し、村人たちは大喜びしたが、庄屋父娘は抱き合って震えている。翌日立派な貴公子が現れ「娘さんをお迎えにきました」と背中に負い、流れるように走って池につくと大蛇に戻り、あっという間に娘をくわえて消えていった。

それから娘は二度とこの世にはでてこない。村人たちは」涙を流し、年に一

回池畔に集まって娘の好きな食べ物や紅白粉を三方にのせて流し、感謝の言葉を捧げ、菩提を弔うこととする。ふしぎなことに三方は、毎年池の中の中央まで流れるや突然渦が巻いて、吸い込まれていったという。

 大阪府泉佐野市

土丸に「水呑地蔵」というバス停があり、あたりに小祠や碑石が散在する。

昔当地に多くの大蛇が棲み、頭の蛇王丸が仕切っていた。獰猛で悪知恵があり、田畑を荒らし、女こどもをひっさらい、村人たちは恐れをなした。あるとき空海と名乗る旅僧がやってきて難儀を知り、のこのこと蛇王丸に会いに行く。手下を集めて取り囲んだ蛇王丸は「やい坊主、何しに来た。喰ってやろうか」と脅すが、空海は平気で「お前たちはどうして悪いことばかりするのか」と尋ねる。「そら当たり前や。人間どもはわしらを見ると、すぐに棒や鍬で殴りかかってくる。石を投げつける。わしらは生きるために戦っとるんや」と赤い舌を出した。

 「そんなら聞くが、お前たちは嫌われるのと好かれるのとどっちがええ」空海が重ねて聞くと大蛇たちは「この坊主、あほやな。誰かに好かれたいにきまっとる」と笑った。空海は「そんなら話は簡単や。お前たちは風雨をつかさどる能力を持っているが、人間たちにはない。風雨がなければ人間は死んでしまう。これからは天界に住んで、日照りに困る人間に雨水を恵んでやれ。必ず誰からも好かれるから」と説き、修法に入った。

 やがて夜空を真紅に焦がした護摩壇の炎が下火になるころ、蛇王丸は巨大な竜の姿となり、配下どもを従えて昇天する。空海は「白住竜神」と名付け、「井戸を掘って小祠を建て白住明神を祀りなさい。蛇害は無論、二度と乾天に悩むことはなかろう」と言って立ち去った。井戸や小祠や碑石はこうして置かれたものである。


 このほか、数多くの市町村で「大蛇伝説」が語られている。多くが娘をさらわれたとか、畑を荒らし、災いをもたらす、あるいは改心して良いことをしたなど、あまり歓迎しない存在として語られている。ちょうど現今の外人の参入などのように、日本の風土習慣になじまない人々として語られているようだ。「大蛇=新しく日本に入ってきた怖い連中」というイメージだろうか。(次回に続く)(2025年12月)

中国で政権転覆の疑いも

  日本に「狂奔」の政策次々突きつけ

 

 2013年に国家主席の位につき、巨大中国で絶対的な権力をほしいままにしてきた習近平の「最後」が近づいている、という。すでに北朝鮮かロシアに向けて亡命先を探っているという情報もある。

 最近の習主席の混迷ぶりはまさしく「異常」とも思えるほどだ。高市早苗さんの首相誕生を阻止すべく、「手飼いの公明党」に指示を下し、自民党との連立から離脱させたと考えられる。もちろん、習・政権からの指示によって呉・中国大使が動き、斎藤・公明党代表と会談して指示したと考えられている。この件は前のブログでお伝えした。

 さらに習政権は、歴代の政府関係者が明文化していた「中国が戦艦などの武力を使って台湾を占拠するような事態があるとすれば、それは日本にも影響を及ぼす『存立危機事態』にあたるのではないか」という答弁が気に食わない、として「撤回」を要求。

大阪の中国総領事に指示して「(中国の主張に同調しない)汚い首は躊躇なく切ってやる」などととんでもない妄言を吐かせて高市首相らを脅そうとした。さらに、市民に向けて、日本への渡航を「身の安全が保障できない」などと難癖をつけてやめるように指示した。日本人が中国人など外人に危害を加えるなど考えられないのに、である。さらに膨大な数に膨れ上がっている留学生に、日本への渡航をやめるよう申し渡した。

 さらにさらに、東京電力・福島原発の汚水処理に関して、一時「輸入禁止」にし、撤回してばかりの「水産物輸入」を再び復活させた。「狂奔」という言葉がぴったりだ。そして日本の立場を説明しに行った外務省の役人に対して、小役人がポケットに両手を突っ込み、偉そうな顔をして応対している写真をマスコミに取らせ、「日本人を謝らせた」などとふざけた宣伝をさせている。

 高市首相の「答弁」を、しつこく食い下がって言わせたのは立憲民主党の岡田・元代表だ。岡田はこれまで訪中団を率いて何回も中国に行き、中国のスパイを取り仕切ったり、国防の要人らと握手し、親し気に会談している「立憲の親中派」の筆頭でもある。

 岡田は、しつこく質問を繰り返し、生真面目でまだ国会答弁に不慣れな高市首相の失言?引き出すのに成功した。岡田が習政権から言われて質問を繰り返したどうかは不明だが、立憲のこれまでの「中国ぞっこん」の姿勢から考えればありそうなことではある。彼らにとっては、「日本の立ち位置」などどうでもいいのだろう。まったくおかしな政党だ。

 

 現在、習主席の周囲は孤立を深めている。江沢民派や軍の反発が厳しく、「4中全会」では「強固な同志」を誇った取り巻き9人がいっぺんに解任、排除された。中には行方不明状態の人もいる。

 今年に入ってから、「習主席が毒を盛られて昏睡状態になった」とか、「習体制の反対派の一人が殺され、上海のホテルのプールに浮かんでいるのを発見された」、あるいは「国軍と習派の軍隊が未明の北京で打ち合いを演じ、国軍が勝利したらしい」とのうわさが広がり、「習派の軍幹部が次々に汚職の疑いをかけられ、解任された」などの二ユースがユーチューブでよく流された。習派と反対派の間で激しい権力闘争が繰り広げられているらしいことがうかがえた。

 もちろん「汚職の疑い」は習派も反対派も同罪だ。解任する理由にすぎない。習はこれまで多くの反対派を同じ罪を着せて断罪してきた。

 まだどちらが勝つかはわからないが、「9人の同志」が排除されたことから考えれば、どうやら反対派の勝利は確実になり、習近平の敗北は間違いないのかな、と感じる。

 中国の権力闘争ももちろん血で血を洗う厳しい戦いだ。負けた方はまず殺される。

1970年代の初めだったか、毛沢東のやり方に反発した林彪が反旗を翻し、敗れてロシアに逃げる途中、飛行機をミサイルで撃ち落とされて死んだ、という事件があったのを思い出す。

日本のいい加減な「旧体制」の新聞、テレビは習近平の最近について、おざなりの事しか報道していない。朝日新聞の元記者で、「中国通」というある男はフジテレビの番組に登場して、習体制の「狂奔ぶり」にびっくりし、「習氏の怒りは120%に達している」「もうどうすればいいのかわからない」などと例によって「中国べったり」「日本は悪者」の話を得意そうに披歴していた。表面的な話しか取材できていないことはバレバレだ。

が、別のテレビを見ていたら、自衛隊で情報を管理していた「元海将」氏は、中国の極端な攻勢にびびった様子の司会者に対して、「中国は今、不景気などで弱い立場にいる。弱いときは日本などに対して極端な要求をする。以前にもそういうことがあった」と、冷静な判断を披露していた。さすが、情報通である。

「一般的な既存の旧体制マスコミ」を見たり、聞いたりしても「真相は何もわからない」。時折、出過ぎた表現もたまにあるが、世界情勢や世事の真相を知りたかったら、もちろんユーチューブやSNSを見る方がよくわかる。

 

権力闘争に敗れそうな習近平は、今、必死になって亡命先を探しているという。考えられるのはロシアか北朝鮮が考えられるという。

ロシアは「うそつきプーチン」の国だ。ウクライナでの停戦問題で、煮え切らないプーチンの態度に業を煮やした米のトランプが、ロシアの金づるである石油や天然ガスの面で厳しい制裁を加えようとしている。国内の石油施設の多くをウクライナに空爆され、戦死者の激増に慌てたプーチンは、中国に頼み込んで何とかしようと画策している。

「いい亡命先」ではあるが、事情が変わればプーチンは豹変する恐れが強い。優位に立った中国に「身柄の引き渡し」を要求されれば、簡単に習を裏切るだろう。ロシアってもともとそういう国だ。

では北朝鮮はどうか。今月10日の労働党80周年軍事パレード以降、催外相が二回も中国を訪れているという。「朝中友好のため」だそうだが、「ただの友好」のためになぜ「二回」も行くのか、疑問を持たれている。パレードに習も出席したが、その出席のため約150億円の「出席費」持参したとか。崔外相の訪中は「亡命への足場固めの話し合いではないか」と疑われている。

中国と北朝鮮は隣同士の国だから逃げる算段には事欠かないかもしれない。果たして習近平は、反対派をひっくり返して権力を維持できるのか。もう少しでわかるだろう。元大蔵省の高橋洋一氏は自らのユーチューブ番組で、「あんなの放っておけばいい。いやあ、高市さんは憑いているねえ。外人や観光客の不始末、中国人留学生だけに対する好待遇、スパイ防止法制定問題など、こちらから無理してやらなくても、向こうから行くな、と言ってるわけだからやり易くなったよね」という。なるほどと思った。(2025年11月)

ブログNO.197

高市早苗さんが首相に

決意に経済界など高評価

 

 高市早苗さんが自民党総裁、さらに維新党の助力を得て日本の総理になった。第104代の内閣総理大臣であり女性としては初めての日本の首相だ。明快で決意に溢れた演説で経済界などの期待は大きい。株価は期待を込めて最高値を更新し続けて、日経平均が5万円に届きそうな勢いだ。

筆者は別に自民党の支持者でもないが、高市さんが総裁選で、小泉なんていう議員二世で格好だけはよい?の若い男に負けたら、自民党はもう終わりを迎えるしかないだろう、高市さんが選ばれたら党自身も何とか一息つくだろうと踏んでいた。

 維新も長期低落への道を歩む寸前だったが、うまく高市さんに力を貸し、命拾いした格好だ。それにしても公明党が高市政権潰しを狙って、自民党から離れたのはよかった。この党は、中国の言うことをそのまま日本の政治に持ち込むなど日本の政治にとって「癌」になる可能性が高い、と考えていたからだ。

 創価学会の建物をそのまま選挙戦に転用したり、宗教団体である学会の無税の金を使い放題に利用しているなどかねてから批判が強かった。実は筆者も公明党から被害を受けた経験がある。筆者が2000年に発刊した『太宰府は日本の首都だった』(ミネルヴァ書房)が評判を呼び、当時足しげく通っていた中国で、天津社会科学院で中国語訳した拙著を出版したらどうか、という話があった。

 筆者も「いい話だ」と乗り気であったのだが、天津社会科学院が断ってきた。理由は、同院にも公明党が巨額の寄付をしており、同院はお礼として膨大な量の池田大作の著書を翻訳して出版する約束をしていた。ほかの本を訳して出版するなどとてもできないということであった。

 「膨大な量の池田大作の著書」といってもほとんどは池田大作の名をかたったゴーストライターが書いたものなのだろう。また、筆者は山東省の青島大学にもよく行っていた。公明党はこの大学にも多額の寄付をしていたらしく、大学は当時「池田大作先生・公明党様様」という状態だった。「日中友好」のムードに乗って、日本の信者からかき集めた上納金を中国に投資していたのだ。

 公明党の「高市下ろし」の策謀は、日本でのさらなる勢力拡大を狙う中国政府にとって大きな障害になると考えたのであろう。駐日中国大使「呉」氏と斎藤公明党代表の会談の直後に自民党政権からの離脱が通告された、とユーチューブの各論客が伝えている。

維新と自民の約束として登場した「議員定数削減」は、比例代表で当選した議員を削減することによって成功する。次の選挙で公明党や公明票に頼り、中国の「ハニートラップ」に引っかかった疑いがある自民党や立憲民主党議員の大半が落選するだろう。朗報と言えるのではないだろうか。

ちょっと情けないのは国民民主党だろう。立憲民主党の「貴党の玉川雄一郎代表を首相に推す」という誘惑にぐらついたのだろう。旧社会党や共産党が提唱する「無防備平和論」や戦勝国・米国政策による憲法の「改正反対」に同調する立憲民主党に「立党原則の変更」を打診し続けた。

これはもちろんや無駄だった。高市政権に協力することで自らの政策を実現させるチャンスを逸した。

でも、高市政権は盤石なものではないし、自民党内の反対勢力や「現状維持」しか頭にないマスコミなどの拒否反応も根強い。隙があれば高市下ろしに狂奔するだろう。高市首相が持つ信念らしい「靖国神社崇拝」や「天皇=男系男子」には疑問がある。国によって死に追いやられた市民を慰霊することは、戦争に加担していた民間の一神社ではなく、国家として取り組まなければならない問題だし、国民から多大な人気と賛意を表されている女性天皇の実現の願望もあろう。これからまだ紆余曲折や妥協は避けられないと考えられる。(2025年10月)