ブログNO.199
「神武天皇」は「クメール族」の血筋? Ⅰ
父親や側近にそれらしい大蛇伝承や名前
先日来、ベトナムとカンボジアに旅をしてきた。そこで「見出しの件」について確信を得たので報告しよう。九州の熊曽於族(熊襲・隼人)の主体ともなったらしい彼の地の「クメール族」が、カンボジア周辺から黒潮に乗って渡来したのだ。合わせてそこから伝来したと思われる北部九州の文化・舞踊の一部も紹介しよう。
まず、これまでのブログで「本当の神武天皇」は鹿児島の大隅半島で生まれた。そして、先住していた大巳貴(おおなむち=大穴持)らの追放に成功しつつあったニニギら天族(薩摩半島に漂着し、勢力を築いていた)に加担した。
「本当の神武天皇」勢力は、志布志湾に注ぐ肝属川河口から出発して海路北九州に向かい、銅矛や銅戈で武装していた大巳貴らを鉄の武器で追い詰め、その拠点であった現在の福岡県春日市や佐賀県鳥栖市一帯で戦果を挙げた。「本当の神武天皇」は福岡県東部や大分県北部の「豊の国」で活躍し、多くの伝説や逸話を残した(当ブログ№177、169、141,157~161など参照)。
大巳貴やニニギ、熊曾於族らはいずれも、中国大陸南部から、黒潮を利用して南九州の海岸に漂着した「難民」の子孫たちが主体であった。朝鮮半島とは何の関係のない人々だ。
『日本書紀』はその死後のおくり名(諡号)である「神武天皇」の名称をパクリ、「自らの政権の始祖である」としたニニギら天族の「狭野命(サのミコト)・神倭磐余彦(かむやまといわれひこ)」に付け替えた。「神倭磐余彦が神武天皇だ」と偽り、黒潮に乗って渡来した人々が開き、やがて日本全国を支配した九州の歴史を消し去って「大和政権一元論」として歴史を改竄したのだ(当ブログ№195など参照)。
だが、庶民は「権力」による歴史の改ざんに決して組することはなく、今でも多くの事績を「伝承・伝説」としてはっきりと伝えている。報告した通りだ。
まず「日本における大蛇の話」から。
伝承によると、「神武天皇」の父親であるというウガヤフキアエズは、生まれた時「大蛇」の姿をしていて、人々を怖がらせたという。また、大正時代の末期ごろまで、大隅半島や南九州の住民たちは「藁(わら)束」や孟宗竹で通称「蛇の宮」という神殿を作って大蛇を祭り、また、十五夜には同じく藁束で作った「大蛇」を地区内で引き回して、無病息災を祈っていた、という。(当ブログ№142など参照)「大蛇信仰」は熊曽於族(熊襲・隼人)の「九州年号」の発布など全国展開の結果(当ブログ195参照)、全国に広まったらしい。
例えばまず、大阪の事例を見てみよう。『三善貞司編集・大阪地誌集成』(清文堂出版)によると約30例が「龍蛇の話」として報告されている。「龍」はもちろん、大蛇から生まれた想像上の動物だ。
① 大阪天神橋筋の伝承
天神橋筋にとても美しい娘がいた。年頃なので降るように縁談がきた。しかし、娘はまったく相手にしない。しかも年頃なのに行水したり、体を拭いたりしなくなった。心配した母親が何度も尋ねると、娘は「こんな体になりました。どうぞ私のことは忘れて、お幸せにお暮しください」といって、そっと肌着をめくった。
脇の下や腰の周りに鱗(うろこ)がいっぱいついて、キラキラ光っている。母親はびっくりしてしがみつこうとすると、娘はするりと身をかわし、そのまま闇の中に消えていった。
何年か経って美濃の滝で娘さんを見たといううわさを聞いて、母親が訪れ、しきりに娘の名を呼ぶと滝の中からあの時と同じ着物をまとった龍が現れ、何度も頭を下げて滝を登って空に飛び去った。
② 大阪天満
大昔、天満では全く雨が降らず、田畑は枯れ、飢饉となった。庄屋は困り果
て神仏に雨乞いの祈願をしたが、いっこうに霊験はない。たまりかねて「だれか雨を降らしてくれたら器量よしの娘を嫁にやるぞ」と叫んでしまう。翌日天満の大池から見たこともない巨大な蛇が現れ。「庄屋どん、俺に任せよ」といったかと思うと、大空めがけて火を吐いた。みるみる一天にわかにかきくもり、雷雨となる。三、四日降り続いて田畑は緑を取り戻し、村人たちは大喜びしたが、庄屋父娘は抱き合って震えている。翌日立派な貴公子が現れ「娘さんをお迎えにきました」と背中に負い、流れるように走って池につくと大蛇に戻り、あっという間に娘をくわえて消えていった。
それから娘は二度とこの世にはでてこない。村人たちは」涙を流し、年に一
回池畔に集まって娘の好きな食べ物や紅白粉を三方にのせて流し、感謝の言葉を捧げ、菩提を弔うこととする。ふしぎなことに三方は、毎年池の中の中央まで流れるや突然渦が巻いて、吸い込まれていったという。
③ 大阪府泉佐野市
土丸に「水呑地蔵」というバス停があり、あたりに小祠や碑石が散在する。
昔当地に多くの大蛇が棲み、頭の蛇王丸が仕切っていた。獰猛で悪知恵があり、田畑を荒らし、女こどもをひっさらい、村人たちは恐れをなした。あるとき空海と名乗る旅僧がやってきて難儀を知り、のこのこと蛇王丸に会いに行く。手下を集めて取り囲んだ蛇王丸は「やい坊主、何しに来た。喰ってやろうか」と脅すが、空海は平気で「お前たちはどうして悪いことばかりするのか」と尋ねる。「そら当たり前や。人間どもはわしらを見ると、すぐに棒や鍬で殴りかかってくる。石を投げつける。わしらは生きるために戦っとるんや」と赤い舌を出した。
「そんなら聞くが、お前たちは嫌われるのと好かれるのとどっちがええ」空海が重ねて聞くと大蛇たちは「この坊主、あほやな。誰かに好かれたいにきまっとる」と笑った。空海は「そんなら話は簡単や。お前たちは風雨をつかさどる能力を持っているが、人間たちにはない。風雨がなければ人間は死んでしまう。これからは天界に住んで、日照りに困る人間に雨水を恵んでやれ。必ず誰からも好かれるから」と説き、修法に入った。
やがて夜空を真紅に焦がした護摩壇の炎が下火になるころ、蛇王丸は巨大な竜の姿となり、配下どもを従えて昇天する。空海は「白住竜神」と名付け、「井戸を掘って小祠を建て白住明神を祀りなさい。蛇害は無論、二度と乾天に悩むことはなかろう」と言って立ち去った。井戸や小祠や碑石はこうして置かれたものである。
このほか、数多くの市町村で「大蛇伝説」が語られている。多くが娘をさらわれたとか、畑を荒らし、災いをもたらす、あるいは改心して良いことをしたなど、あまり歓迎しない存在として語られている。ちょうど現今の外人の参入などのように、日本の風土習慣になじまない人々として語られているようだ。「大蛇=新しく日本に入ってきた怖い連中」というイメージだろうか。(次回に続く)(2025年12月)