去年12月下旬から今日まで、グーグル検索件数32万件を超えた、坂本龍馬の新事実を元に構成された写真展が四国で開催されています。それは「四国龍馬街道写真展」です(検索された語句自体は「四国龍馬街道」)。
この言葉は私が'08年11月、徳島県内に埋もれていた坂本龍馬に関する重要な伝承を発見し、その内容を調査していく過程が考えた造語です。
その伝承とは、龍馬は讃岐琴平の勤王家、日柳燕石(くさなぎえんせき)の邸に立ち寄った際、燕石の同志、美馬君田(みまくんでん)から徳島県美馬市の奉行兼藍商の鎌村熊太を紹介する旨の紹介状を受け取り、熊太邸に向かい、そこで後に龍馬がしたためることになる「船中八策」の元になる政策論を教示され、大枚の活動資金を付与され、熊太の下人の道案内で土佐まで帰った、というものでした。
そこで熊太の子孫の方に取材し、各種文献を調査した結果、これは龍馬が脱藩前の文久元年10月11日、自宅を発ち、翌年2月29日に帰って来るまでの出来事である、という結論に至ったのです。脱藩するのは文久2年3月24日ですから、まさに脱藩直前の出来事な訳です。
この旅は土佐勤王党主、武市瑞山(半平太)の指示で、四国や長州、関西諸藩の情勢を探る密命だったのですが、長州萩に滞在した時、久坂玄瑞との会談で脱藩を決意したことからも龍馬の運命の旅になったのでした。そしてその玄瑞から日柳燕石を紹介されたのでした。
この四ヶ月の旅の内、龍馬が歩いた四国内の街道を「四国龍馬街道」と名付けたのです。具体的には龍馬の自宅から土佐北街道~讃岐街道~金毘羅参詣・丸亀道~同参詣・阿波道~同参詣・坊僧道~撫養街道~阿波北街道です。その総距離約280キロ。これを私は八ヶ月かけて往復踏査し、その成果を去年末ガイド書「大回遊!四国龍馬街道280キロ(龍馬が辿った道Ⅱ)」(ロンプ刊)として刊行するとともに、「四国龍馬街道写真展」をスタートさせたのです。
写真展は全ての市町村の街道写真以外に、砲台コーナーを設置し、四国各藩の砲台跡や第二次世界大戦時の帝国陸軍の山砲跡等も掲示しています。
更に写真以外の展示コーナーもあり、実物の幕末大砲の砲弾や陸軍の野戦砲の砲弾、幕末時製造の鉄製大砲模型、四国各藩の藩札や貨幣、勤王志士のフィギュア等もガラスケースに展示してあります。これらは全て私が全国から集めたものです。
写真展の入場は無料。これまで
ガイド書は施設一階で販売されていますが、四国の大型書店にもあり。全国の宮脇書店と明屋書店からも注文可。
写真展やガイド書はこれまで、四国の三県の新聞やNHK(徳島)、登山雑誌「岳人」等で紹介されています。ガイド書では280キロの街道を徒歩で二週間かけて巡れるよう、踏破プランや各ポイントの宿泊施設や各種問い合わせ先を掲載しているので、誰でも龍馬の追体験ができます。
今年夏から秋にかけては「龍馬が辿った道」シリーズのⅢとⅣを刊行予定なので、また高知県下の、その「道」沿線の自治体施設で新たな写真展を開催することになると思います。
真の龍馬ファンを自称するなら、来たれ、四国へ!