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3月11日

こーちゃん生後9ヶ月

早朝4時にパパさんは宮城県の松島に車で仕事に向かいました。

確か金曜日で、土日に観光して帰ると言われ、羨ましくてこーちゃん連れてママも一緒に行きたいって言ったら、パパさん遊びじゃないんだぞ!って、怒られ諦めました。

こーちゃんは普段まだ寝てる時間なのに、弁当やバナナ等、パパさんが車中快適に過ごせる様に、色々準備してるの楽しそうに見てました。

行ってらっしゃい!気を付けて運転するんだよー!

パパさんはまだ真っ暗な早朝に、宮城県松島に出掛けて行きました。

3月11日14時頃、パパさんから電話

会議が予定より早く終わったので、仙台店に顔を出してから観光しようかなーと思っていると

羨ましいなーと電話を切ってから何日か携帯繋がらなくなりました。

そして東日本大地震。

右手は冷蔵庫を押さえ、左手はこーちゃんの手を握り、タイミングを見計らって家から飛び出した。

パパさんと連絡とれない。

何も情報無いが、自宅も危険で戻れない。そうだ!車のカーナビでテレビ見よう!と車に乗った。

地震情報では、パパさんがいる辺りが震源地だ。ゾッとした。

こーちゃんをおんぶして、公衆電話に向かった。公衆電話には行列が出来ていた。

やっと順番がきた。でも繋がらない。

諦めて車に戻った。

仙台店の住所を確認すると、そこは今中継でビール樽がゴロゴロ海水に浮き、壊滅状態の地域だった。

パパさん大丈夫かな?

その頃パパさんは、会議をした人達と少し立ち話をして片付けをして、車に乗り込む手前で大地震発生した。

地面に這いつくばるも、地面が波打っているようで、這いつくばるのが精一杯。

必死の思いで車に乗り込み、仙台店に向かって車を走らせた。

高速道路では、大津波がくるので海側の道路は通行止めだった。何も考えず、進める山側の道路を走った。これが、生死の境い目だった。パパさんは、行きて帰って来た。

仙台店に到着し、社長と一緒に会社で2日過ごした。コンビナートが爆発し煙臭い。100メートルもしない近くの川には何百体もの死体が浮いていた。

目の前の建物は避難所となったが、地元の人の安否確認と食べ物提供で、相手にしてもらえない。

社長は家族と連絡取れず心配だから自宅に帰ると

パパさんは、車で遠まわりをして5日かけてようやく帰って来た。

そのうち3日間は、ママが作った弁当とバナナとお菓子で飢えを偲んでいたそうだ。

これがママが体験した東日本大地震です。