日銀の異次元金融緩和政策は、安倍政権の強力な庇護の下で、数百兆円規模のブタ積みが物価や景気・雇用動向に影響を与え得るか、という社会実験が粛々と進められてきた。

その金融緩和一辺倒な姿勢に対して、積極的な財政金融政策を支持する論者、とりわけ、機能的財政論を唱える論者から強い批判に晒されてきたが、コンマ以下の存在に過ぎぬ少数民族の抗議活動は端から無視され、「2年間で物価上昇率2%の目標達成」というコミットメントの未達も放置され続けてきた。

しかし、日銀がマイナス金利という奇手に手を染めて以降、風向きが明らかに変化した。

“マイナス金利”という見た目のインパクトの割りに、実体経済の投融資は伸びを欠き、預金の伸びに貸出の伸びがまったく追いつけず、低金利競争から「超低金利競争」へとステージが悪化したことに金融機関は強く反発している。

筆者も、知り合いの地銀関係者や信用保証協会に聞いたところ、法人融資、中でも、増加運転資金や設備投資の類いは非常にネガティブな状態で、アパートローンや住宅ローンの刈り取りで何とか融資残高を維持しているのが実情のようだ。

地銀職員によると、従業員10名ほどの小規模事業者(板金業者)でも、一般融資の金利が0.3%にまで下がっているとのこと。
まさかと思い、そんな水準で銀行の収益が上がるのか?と尋ねたが、ここのところの預金の急激な伸びもあり、日銀当座預金の政策金利残高(=マイナス金利が適用される階層)の増加に歯止めが掛からないそうだ。

ここ半年くらいの預貸の推移は、国内金融機関の貸出の対前年伸び率が2%台なのに対して、預金は5~6%台をキープしており乖離幅は広がる一方なのだ。
ちょっと油断すると、すぐに当座預金残高の水位が上がり、政策金利階層に達してしまうため、たとえ0.3%でもマイナス金利よりはマシと判断せざるを得ないらしい。

掻いても掻いても湧いてくる漏水(=預金)を懸命に汲み出そうとする哀れな金融機関担当者の姿が目に浮かぶ。

このところの黒田日銀は、金融業界ばかりか、異次元緩和が財政規律の緩みにつながることを嫌悪する緊縮財政派や構造改革派からも白い目を向けられ、いまや黒田バズーカは質の悪いオオカミ少年扱いされている。

だが、こうした日銀批判に対して、最大の応援団たるリフレ派から、反撃の狼煙が上げられている。

『日銀の金融政策変更で「リフレ派敗北」という報道は本当か[高橋洋一/嘉悦大学教授/ダイヤモンドオンライン]』(http://diamond.jp/articles/-/105157?)

コラムの中で、高橋氏は次のように主張する。
・「金融政策が雇用政策」というは世界の常識だ
・物価と雇用(失業率)はフィリップス曲線を通じて裏腹の関係にある
・リフレ派は世界中の中央銀行が採用するメインストリーム的政策だ
・もう金融政策をやるなと言うのは、デフレに逆戻りせよと同じこと
・リフレ批判者とその背後にいた財務省・日銀は、失われた20年間の教訓がまったくなく、デフレの犯人だった

氏の言い分は、一部頷ける部分もある。
しかし、因果関係を捻じ曲げたものや誇大妄想の類いに等しいものもある。

髙橋氏は、「金融政策=物価政策=フィリップス曲線による失業率改善=雇用政策」と言いたいようだが、起点となる「金融政策=物価政策」の段階でいきなり躓いており、論の証明になっていない。
物価もまともにコントロールできないのに、なにが雇用政策かと失笑したくなる。

また、フィリップス曲線については、「失業率が低いほど物価上昇率は高く,失業率が高いほど物価上昇率は低い,という〈トレードオフ〉の関係を示す曲線(百科事典マイペディア)」という因果関係の解説ならしっくりくるが、リフレ派の連中のように「(コストプッシュ型とディマンドプル型の区別もなく)物価上昇はすべて雇用改善につながる」という主張は腑に落ちない。

特に、深刻なデフレ不況期&緊縮政策の継続という特殊なステージにあっては、ディマンドプル型の物価上昇は不可能に近く、コストプッシュ型の物価上昇が起きやすくなる。
このため、雇用の現場でも、質より量を優先する動きが広がり、正規雇用から非正規雇用へ、成人男性から女性や外国人へというインセンティブが働きやすくなる。

見せかけ上は雇用の椅子が増えるかもしれないが、いずれもゴミ箱から拾ってきたようなオンボロの椅子ばかりで、そこに座らされる人間の疲労を増やすだけだろう。

リフレ政策をやるなというつもりは毛頭ないが、開始から3年半以上も経って、未だに大した実績も上げられないようでは、あまりにも情けないではないか。
リフレ派は、金融緩和政策の一本足打法に固執せず、素直に財政政策に救いを求めるべきだ。
両者は不可分の政策であり、意地を張って片肺飛行を続けるべきではない。

氏は、リフレ批判者と財務省・日銀こそがデフレの真犯人だと逆ギレしているが、金融政策の不足はデフレの真因ではないことを認めたくないようだ。

日本は、官民を問わず、支出は悪で緊縮は善であるという“モッタイナイ思考”や、日本はもう成長できないといった“空気(衰退論・成長放棄論)”に包まれており、これが惹き起こす需要不足こそがデフレの震源地なのだ。

高橋氏も、デフレ脱却を目指す気持ちが1ミリでもあるなら、需要不足を扇動し、有害な緊縮政策を推し進めようとする現政権や財務省を攻撃し、財政政策の実行を強く求めるべきだろう。