あらかしこのブログ

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息子のアルバムを見た。

家族の写真は旅行とか楽しい時ばかり。

修学旅行の集合写真。

思い出してしまった。

先生方がいろいろな生徒のいろいろな場面をパチパチと撮ってその見本のなかからほしい写真の番号を書いて申し込むの。

何枚も写ってる生徒がいる。

でも息子はいつも・・・

写っていることがあるとしたら、漏れがないように各グループごとに撮った写真に入っている位だった。

そうそう参観会の時、息子は何回も手を挙げていたが最後まで指されなかったっけ。

中学の三者面談の時、担任の先生が成績表を見ながら「英語が5?日本語がろくに話せない奴が英語が5なんて」と大きな声でつぶやいていた。

よっぽど言い返したかったけど、内申書という人質があるのでぐっと堪えたっけ。

でも息子よ、あなたはバカ真面目に皆勤目指してたんだよね。

そんなことを思い出してしまった。

それも遠い昔のことだよね。

先生も人間だもの、そりゃあねと、今なら思える。

 

息子よ

あなたが自死してから、お母さんは最初の頃いろんな恨みを抱えていたの

あなたをいじめた人たちはじめ

強い薬をくれただけで、「本当の鬱にかかるのはもっと年配の人間だから本気で死なんか考えてないとおもいますよ」と私に言った心療内科の先生とか

でもね、3年過ぎたあたりから悟ったの

私があなたを死に追いやったのだと

あなたが生まれてから母である私の判断が誤りだらけだったと今ならわかる

誰のせいでもない

私の愛情が足りてなかっただけ

私がもっと自分の息子に深い愛情をかけていたならあなたは今も生きていたよね。

私があなたに告げて良い事と言ってはいけないことの判断が的確だったら生きていたよね。

私にもっとあなたの気持ちを察する事ができたなら、今も生きていたよね。

ごめんね

ごめんね。

もう何も誰も恨みはない。

ただね

ただ

もう1度思い切りあなたを抱きしめたい。

今月父が息を引きとりました。

老衰の大往生です。

長男が亡くなったとき父は老人ホームに入所したばかりだったので、悲しませないために父にとっての孫の死は知らせませんでした。

でも、あの世に行った今、向こうで「あれ?妻だけと思っていたのに、なんで孫のお前がいるんだ?」なんて息子に語りかけてるのかな。

父は息子が小さい頃、本当に可愛がってくれました。

おんぶも何度もしてくれて、三輪車や自転車が乗れるようにしてくれたり。

何かあると駆けつけてくれました。

本当にありがとうございました。

お父さん、あの世で息子をよろしくお願いしますね。

お母さんと3人で寂しくないよね。

この世の私は、また少し寂しくなりました。

息子の死から丸三年が過ぎました。

ここでブログを書くのを終わりにします。

今まで書いた記事を読み直して原点に戻り、自分が忘れずに書き留めておきたかったことだけを残すことにしました。

削除してしまった記事にいいねをしてくださった方、ありがとうございました。

 

3年間どうして息子は自死してしまったのか、考えて考えて、答えは自分でした。

私が息子を死に追いやってしまったのだ、1番の原因は自分なのだと答えが・・いえ、考えるまでもなく、最初からわかっていたような気もします。

 

これからは自分の心の中でのみ息子と会話を続けようと思います。

 

こんな片田舎のブログに立ち寄って下さった皆様、本当にありがとうございました。