2011/7/15(金)~17(日) 須崎へ
コース 自宅 = 川内BS = 知寄町 = 文珠通電停 ・・・ 31竹林寺 ・・・ 32禅師峰寺 ・・・ 種崎渡し ・・・ 33雪蹊寺・高知屋(泊)・・・ 34種間寺 ・・・ 35清瀧寺 ・・・ 36青龍寺 ・・・ 三陽荘(泊) ・・・ 佛坂 ・・・ 別5大善寺 ・・・ JR須崎駅 = JR高知駅 = 川内BS = 自宅
右手に川を見ながら土手道を進んで行くと、「塩木橋」欄干に貼られたシールが橋を渡るようになっている。
渡った先にはシールがないが、すぐに土手道へ左折する。
要するに左岸から右岸へ移るだけ。
ここからは左手に川を見ながらズーと土手道を進んでいく。「源蔵橋」「大峰橋」と過ぎ、左手川向こうに住友セメントの大きな煙突を見ながら進んでいく。
住友セメント
このあたり道が新しくなり、ショッピングセンターが建設されている。
この先の「御手洗川橋」手前分岐に「遍路道・右」「右・岩本寺へ」等の遍路標識が何枚もあるが、この標識やシール、ちょっと問題があった。
シールにしたがって進んで行ったが、高速の下を潜ったあたりで進行方向に疑問を持った。
確かに88ヶ所岩本寺だけに行くのなら最短コースなんだろうが、須崎では「観音寺」や「大善寺」にお参りする遍路も大勢居るはずなのに、これでは不親切だ。
遍路地図を調べると、今進んでいる道は遍路コースになっていなかった。
どうして何人もがこの分岐点に遍路シールを貼っているんだろう。
先ほどの標識まで引き返し、今度は橋を直進する。渡り終えた右手に遍路シールが1枚、ポツンと貼られていた。高速の橋脚をコの字に潜り、
踏切を渡ると観音寺
JR踏み切りを渡って右折、200メートルほどで「観音寺」に到着した。
「観音寺」は町中の小さなお寺で、本堂・大師堂は建物の2階部分にある。納経所もあるが肝心の番外用納経帳を持ってきてないのであきらめる。
大師堂前に大きな栗の木が植わっている。
お大師様伝説で、お大師様を粗末に扱った罰で食べられなくなった物は「喰わず芋、喰わず梨、喰わず貝」とイロイロあるのに、どうしてご褒美は「三度栗」だけなんだろう。
「観音寺」から須崎市役所の前を通り、須崎警察署前の小道へ入る。
国道56号線の旧道の旧道かな。
高速道路下のトンネルを抜けると、左手に小さい社がある。
このあたりが「よさこい節のお馬さん」が住んでいた所で、「お馬神社」として祭られている。
「お馬さん」は道ならぬ恋で、高知城下を所払いとなり、しばらく神峯寺の麓に住んでいたが、再び追放されて、ここ須崎で生活し、純信とは別の人と結婚した。
この神社、縁結びに霊験あらたかで、今も沢山の人が訪れるそうだ。須崎の高速道路のトンネル名がなぜ「お馬トンネル」なのか、やっと分かった。
お馬神社より県道388号線へ出て大善寺へ向う。
須崎トンネルの手前を左折すると10人以上の人が店の前で待っている。
鍋焼きラーメンの「まゆみの店」だ。
2時も過ぎているのに、客が並んで待っているなんてすごすぎる。
(実はこの店、2004年に鍋焼きラーメンを食べるためだけで、松山から車で来たことがあるのだ。場所が分からず、警察で地図を貰ったのを覚えている。味のほうは覚えてないがタクアンが付いていた)
大善寺の道路に面しているところは、石垣になっている。
とてもお寺とは思えない感じなので、前を向いて歩いていると、通りすぎてしまう。
上を向いて歩いていると、お寺やモノレールで気が付くのだが・・・・今回も一度通り過ぎてしまった。
石段を登った上に大師堂があり、本堂は更に石段を登った高いところにある。
大善寺本堂
境内からは須崎の町や港が180度見渡せる。
現在、納経所は隣の遍路会館に移っているので、お寺にはだれもいないし、今回遍路行最後のお寺なので、大声でフルバージョン読経をする。
酷暑の中、無事遍路できたことをお大師様に感謝し、今回の遍路行は大善寺で打ち止めとした。
隣に建っている遍路会館の奥まったところに納経所があり高校生ぐらいの娘さんから納経をいただく。
汽車にはまだ時間があるので、西浜歴史公園の
「砲台跡」を見学しながら須崎駅へ向う。
15時丁度、須崎駅到着。
遍路衣装をザックに仕舞い、15時35分の汽車で高知市へ向う。
須崎へ おしまい