いろいろな人との出会いも自由業の利点で、日常生活では余り出会うことがない自衛隊員の方々などとの接点もありました。

 数えてみると、自衛隊関係の人3人、海上保安庁関係の人2人と出会っています。

 自衛隊の2人を除くと、裁判の相手でした。

 自衛隊の人は、誰もが非常に低姿勢です。

 最初の方は祐天寺の事務所に来ていただきました。確か相続関係の記憶ですが、研究所にいるとのことでいつも丁寧な応対が印象に残っています。

 次の年配の方は、防衛庁で何十キロも先に届く砲弾の弾道の研究をしていて、今は民間に天下っているとのことでした。酒の席などで10回以上顔を合わせました。そういう世間話を聞きながらも、秘密めいた雰囲気はありませんでした。どうして肩で風切って歌舞伎町を歩けるのか未だに分かりませんが、それも愛嬌でした。

 3人目の方は防衛庁本庁に勤めている方で、交渉相手の関係者として立ち合われました。ひたすら低姿勢で、経済的にも協力していただき、頭が下がりました。

 考えてみると、自衛隊は日本の隅々で隊員募集をしていて、市井(しせい)の人と目線を同じ高さにする習慣が身についているのかもしれません。

 それでも、普通、公務員の人は、むしろ高い位置にいることに相当のこだわりがあるようで、地方公務員のほうがそれが強い印象です。

 

                 

 

 地方公務員は、変動する法令、限られた予算、揺れ動く市民にも対応しながらの仕事をしていて、緊張を伴い、市井の人たちと同調する気持ちが持てないかもしれません。

 とにかく、公務員の人の高い目線が普通と思っている中で自衛隊の方々の腰の低さは際立っています。

 海上保安庁(海保)の方々は、裁判の相手方として顔を合わせました。

 最初は、離婚問題の相手方でした。地方勤務の際に羽目を外して、離婚することで解決しましたが、終わってから相手の代理人が、私に「本当はどうだったんですか?」と尋ねてきました。

 相手の代理人も様子が分からないままで離婚になったのでしょう。

 ご本人は、離婚原因をつくってしまったか、そういうことはないかも、自分の代理人に対してさえ説明の必要はないという頑(かたく)なな態度だったのでしょう。

 海保のもう一人の方は、相続問題で私の依頼者の弟でした。

 京都の家裁で顔を合わせましたが、弟である相手は、昂然(こうぜん)としていて周りを睥睨(へいげい)するという雰囲気がそのままでした。兄のほうがおどおどしていました。

 海上保安大学(広島)は、競争率9倍くらい、5年間、給与が支給され、全寮制のようです。この兄が海保大学出身のレベルだったとすると、警察的な特別の世界の中で、緊張を伴い、いつも昂然とした気分で生活しているのかもしれません。

 逆に、市民との接点は少ないのでしょう。

 

 今回は、職業別、印象記の一つでした。