以前に、西日本弥生、北日本縄文説を書きました。

 最近、DNAの研究が進み、勇壮な御柱(おんばしら、みはしら)で知られる諏訪は、意外に最後の縄文エリアのようです。背後には大自然信仰があります。自然に向かっての「雄たけび」が特徴のようです。

 自然と共生する荒々しい縄文、「雅(みやび)」でたおやかな弥生。その弥生が鉄と稲作を持って東の進出しました。しかし、平地と山岳の住み分けで共生になったようです。

 弥生の貴族社会に対して、鎌倉以降、関東からの武の優勢が続きました。戦時中の軍隊では、宮城と長野の連隊が精強だったそうです。

 最近でも、津軽の銭湯経営の人が、テレビで「静岡から西の人とは話さない」と言ったりします。

 なぜ嫌いかというと、ニコニコときらびやかに近づき、結局は価値のあるものを持ち去る・・というイメージですか。西は、普通に取り引きしていただけでしょうか。

 古代のスパルタのように、武勇の国が長続きするというものではないようです。

 一方の、貴族文化は、武士を格下に見て、「天誅」というテロにも親和性がありそうです。

 朝鮮はもともと貴族文化、朱子学神学論争、正邪分別論の体系に染まった国で、日本が朝鮮よりも格下であることは絶対に譲れないようです。

 今でも「両班」(りゃんぱん)という貴族階級の出身であるかどうかは韓国系の人たちの日常会話です。朱子学の立場から中国以外の国を見下して、中国のアヘン戦争の後も近代的な軍備を否定し、国の防備はできませんでした

                                 


 今の世の中を見ると、意外に、武とか雅とか簡単に傾かない人が多いようです

 鎌倉、豊臣、江戸と、武の優位での、東西の融合が進み、日本の、上質で強い岩盤になっているようです。

 家康も朱子学の林羅山を脇においていたようですから、徳川幕府は朱子学の清風運動に抗する理論がありませんでした。まして最後は水戸(徳川慶喜)でした。

 明治からは、朱子学に類似する神学を純化するために廃仏毀釈をし、神学(朱子学)の武勇一辺倒です。全体主義の魔力です。

 昭和27年まで7年の間、GHQは官庁から民間までの、この指導者群26万人を排除し、左も切り捨て、平和信仰を強制しました。

 世界では米ソの対立、中国の台頭の間で、幸運にも国は分割されませんでした。

 占領下の平和の下(もと)で、外来の、お仕着せの、民主主義が行われ、ほぼ定着しました。

 国内の東西も、先鋭な指導理論も薄れ、経済、学術、文化を誇れる今があることは幸運な化学変化の結果のように思います。底力とも言えます。

 今の民主主義は押しつけで、それでも賢明な結果になりました。将来は評価が定着するのでしょう。

 

 優れたバランス持つこの国の均衡を破ろうとする国があることは歴史の繰り返しです。

 対抗するために、当分は蓄積された知恵を見守ることにします。