団塊以後の世代に属していますが、同世代の人がなんとなく接触を避けがちのときがあります。人を相手の仕事ですので、不機嫌は気になります。
自分が避けられているのか、自分の周囲の同窓会などの中だけなのかと考えますが、それだけともいえない気がします。
最近、「中高年がキレる理由(ワケ)」という本が出されました。
本を買って思うことは、3年も5年も調べ、考えて紡ぎだしたことが書かれた本と、どんな本が世間から興味を持たれそうかを考えて、あちこちから文章を引用し、外人の文章もちりばめて一冊にまとめた本とがあるようです。
外国人の文章を引用されると、その外国人がどんな立場でどんな評価を受けているか分からず、違う文化からの意見なのかなという思いも入って腑に落ちない気分です。
この本は、後者の、引用&集計型というような本でしたが、今の中高年の不機嫌の理由について、次のように書かれています。
若い人から「今はいかに労力を節約するかですよ」などと言われるが、自分が続けてきた努力はどうなるのかと納得できない。
「仕事は自己実現などというものではない。生きていくためだ」と思っている。
自分の評価を気にするスタンドプレーに違和感を持っている。
上の世代のように、肩書と部下が付き、収入が上がり続けるという期待は消えてしまった。
年金も削りますよ…と言われている。
そうしてため込んだストレスを、会社を離れて一市民になったときについ発散させてしまう、……というような意見でした。
私の場合は自由業のため、収入があってもなくても誰のせいにもできませんが、中高年の中のかなりの人はこの本に書かれたような感覚をもっている気がします。
60歳を過ぎで定年、その後は再雇用で収入が減り、かつての部下の部下というようになり、退社後は少しでも副収入と考えても、仕事といえない程度の、孫の小遣い程度しかないことも多いようです。
実際にはこういうことはあまり話題になりません。自分の実情から説明することになり、気が進まないかもしれません。
中高年の話題が盛り上がらない原因かもしれません。
他方で、1000兆円の負債を残した世代に含まれることも反論できません。
それは経済対策に使われたり、道路、鉄道、住宅などのインフラとして残っているのですよ…という意見もありますが、外国にもないような極限的な赤字を残しているのはポピュプリズムの結果ではないですか、そのツケは若者にですか…という意見が返ってきそうです。
胸を張れるようなことが見つからず、同世代の中ですくみ、若者に対してもすくむという成り行きです。
振り向けば、理屈に走りがちな傾向を疎んじられながら、上位下達(かたつ)型、三角型の社会から、横並び型、フラットな社会に移行することには貢献した世代です~~と、これはささやかな自負なのですが。