刑事裁判の変化について前回書きました。
最初に、過去の検察にも情がらみのソフトなところがあった例です。
東京地裁での修習のとき、スーパーに入った若者が食パンを万引きし、出口近くで女性店員に抑えられて手を振りほどき、店員に怪我をさせたという事件がありました。
そのころ、強盗致傷は7年以上の懲役でしたから情状酌量しても執行猶予はありません。3年半の刑務所行きは重すぎるのではと、担当部で議論になり、弁論を再開しました。
それを受けた東京地検が、「窃盗と傷害罪」でも可という予備的訴因を申し立て、何とか執行猶予判決になりました。検察にも温情はありました。
その後、2004年の刑法改正で6年以上の刑になり、酌量の減刑をすると執行猶予が可能になったので刑法の欠陥とも言えました。
次は、最近の、被害者にソフトな、被告人に厳しい変化です。女子大生が暴行を受けて殺された事件で裁判員裁判で死刑判決、高裁、最高裁が無期懲役にしたという事件がありました。被害者の母が悲痛な不満を訴えています。
罪もない女子大生が暴行され殺されたのに死刑にもならないのかという意見はもっともです。その一方で、綾瀬の女子高生コンクリート詰め殺人でも懲役20年でした。戦後60年間、1人の殺人で死刑になった例はないはずです。前例のない死刑にすることを裁判所がしても平等といえるかという問題は残ります。
ソフトといえるかどうか今もわからない事件もあります。修習のとき、他の刑事部の見学に行ったときに、比較的若手の裁判官が若い被告人に「今どう思ってるの?反省の気持ちはあるの?」と聞きました。
執行猶予になる可能性も少しある事件でしたが、逮捕されて留置場生活、警察、検察の取り調べで疲れ果て、弁護人にも「反省して出直します。」などと答えています。刑事裁判もようやく終わるかとなんとなく脱力の段階の被告人は、反省しているのかと裁判官に聞かれ、「はい・・・」とボソボソ答えました。裁判官は、大声で、3、4回「反省してるかって聞いているんだ!!」と怒鳴りつけました。被告人は、反省してますと言っているのに「反省してるか!!」と怒鳴られ、小さい声で「はい・・・」を繰り返します。
傍聴席の被告人の関係者から「ナニ~~」とも「エ~~」ともつかない呻きが漏れました。
元の部に戻ると、「あの裁判官は、アメリカに留学した優秀な裁判官なんだけどどうだった?」と聞かれましたが、答えようがありませんでした。
20数年たってようやく、被告人が心から訴えかける気持ちが裁判官に伝われば執行猶予にするつもりだったのかもしれないと思いました。そうはなりませんでしたが。
しかし、修習生の私も、傍聴席の関係者も分からない問いかけをしても、もっと疲れている被告人には意味が分かりません。被告人に気持を開くチャンスを与えたとするとソフトな裁判だったかもしれませんが、被告人が理解できず、それで不利益になったとすると適切ではないのか、その後に、そういう裁判官と知ったベテランの被告人集団(暴力団など)が大量の反省文や知り合いを集めた減刑運動などを始めたら影響を受けるのでは・・という疑問が続き、ソフト化といえるかどうか、結論は出ません。
刑事事件は、警察、検察、裁判所、刑務官、民間の保護司、防犯協会、交通安全協会、さらにマスコミなど、厚くて重い構造で、ソフト化も目に見えない程度のものですが、普通の人の意見が反映される方向になっているとすると進化です。
裁判員裁判は、想像以上に刑事を身近にする効果を生みました。経験者が、評決の経過を公表することは禁じられますが、感想や意見をいって周囲の人と議論することはむしろ薦められるべきだと思います。それが実のあるソフト化を進めることになると思います。