3月初旬(平成27年)に、空いた時間を利用して、北長野から越後川口まで、雪が積もる飯山線の旅をしました。

 飯山線は日本海に抜ける路線ではないかと思っていたのですが、飯山を通って越後川口まで内陸を横切って23駅もある路線でした。また、弁護士修習の指導教官が十日町のご出身であったこともあって一度乗ってみたいと思っていました。

 飯山から三つ目の、野沢菜と温泉で有名な戸狩野沢温泉駅までは外人のスキー客と思われる人も少しいました。

 飯山の手前から十日町駅あたりまで19駅位は積雪のローカル列車の旅でした。長野側の最後の森宮野原駅は、昭和20年に7.85mの積雪があった駅で、豪雪地帯を行く路線です。ここは東日本大地震の翌日の地震で3名が亡くなった栄村でした。

 飯山線は信濃川に沿っています。栄村から新潟の数駅は、地盤の弱そうな崖の横を走る区間が続き、鉄道が持つ安心感が日本一少ない路線という感じです。上杉謙信が越後から川中島に向かった道かと思ったのですが、それは北西の上越高原の路(上越新幹線のルート)だったようです。

 当日は薄曇り、積雪量は大体2メートルくらい、乗っている人はローカル列車の旅を楽しんでいる人が半分くらいという感じで、時々駅に降りて写真を撮ったり、ホームに立ったままの人、途中の駅で降りて引き返す人も見かけました。

               飯山線


 終点の越後川口駅から上越線で長岡に向かいました。途中の小千谷(おじや・錦鯉で有名駅で、上までボタンをきちんと締め、坊主頭のそろった高校生が7~8人乗りこんできました。

乗客も増えて賑やかになるのかと思ったのですが、そのまま散らばって、本を読む人、何かメモを取っている人、携帯に向かう人もいて物音一つ立てませんでした。

 他県の電車で、有名中学の生徒が大勢で帰りの電車に乗ってきて、大騒ぎをし、走り回る光景を見たことのある者として、ちょっと驚きでした。夕方の5時半くらいで、背丈も揃っていた感じで、何かの運動部の帰りかもしれません。

 帰ってからネットで調べると、県立の小千谷高校と小千谷西高校があるようで、前者は卒業式の翌日、後者は卒業式の当日のようでした。そのためも少しはあるかもしれませんが、東京の静かな路線に置き換えてもそのまま通るような大人びた雰囲気に驚きました。「どこに出しても恥ずかしくない」という言葉のとおりです。大人の雰囲気でした。

 長岡駅(河井継之助、山本五十六の地元ですね)で腹ごしらえをと、駅ビルの寿司屋さんに入りました。

 店長さんは、馴れ馴れしくもなく、上から目線でもない、率直な感じでその日は魚市場が開いていないことなど説明しました。カウンターの横の年配の人はトラックで魚などを運んでいる人でしたが、同じように横並びの感覚で普通に会話が弾みました。

 以前に新潟の弁護士さんから判例についての質問をいただき、分かる範囲で回答しただけで今だに年賀状のやり取りが続いていることとか、その後の、秋田のカップ麺自販機の72時間のようなNHKテレビ番組での飾らないやりとりなど、都会にいて神経を使う世界とは別世界のような地域が「あるかも知れない」と、ちょっといい思い出になりました。