昨年(平成26年)秋から、私のブログを前日に何人(なんにん)がアクセスしたかが見れるようになりました。例えば、調停委員さんについての四つのブログが継続的に上位なのですが、書いたのは1年半くらい前ですからどうして読まれたか不思議でした。

 別の検索をしてみると、例えば「調停委員 選考」とか「調停委員 報酬」では、私のPC(YAHOO)では予想外の4位、家族のPCから(同)でも1頁に表示されていました。

 その他にも「裁判官 心証」という検索でも同じ位、「借地非訟 種類」では2頁目に表示されます。この辺について書かれたものが少ないことが理由と思います。少しは資料価値のあるものをと思った者として身に余る光栄です。

 調停委員さんは全国で2万6600人くらい、私のブログ程度でもこの関係者の方々に継続的に読んでいただき、熱心にアンテナを張られて取り組まれていることを認識しました。

 そのブログを書いた後で、知人の調停委員さん(家裁)と情報交換させてもらいました。

 私が言わせてもらったことは、例えば離婚問題とか相続問題について、申し立てるときには依頼者の言いたいことを聞いた上で出しているので、申立書に書かれていない申立人の感情のようなことに焦点を当て、それも時間無制限的な感覚で扱われると困るということでした。
                        

 逆に調停委員さんから言われたことは、弁護士の中で、全部分かっているから細かな議論は不要という態度を取られたり、更には「私は地元弁護士会の会長ですよ」というような人は困ったものですということでした。                   

 この後の方のケースについて、私から、何を言いたいかというと、法律の勉強を8年、司法研修所を2年(以前は)、イソ弁を4年、その後25年もやっているから何が争点で大体どんな範囲で決着するか分かって進めているつもりだし、立場上、地裁や家裁の所長さんとも話すことは日常的ですよ、つまり専門知識と経験で進めているときに、細かな部分を大げさに蒸し返されると際限がないし、時間のロスも気になる、と答えました。

 考えてみると、例えば「あの人にはこの遺産は絶対に渡さない」とか「私は絶対に離婚する」というようなことは、感情面からも法律面からも対応可能です。

 そこで、調停委員さんは感情面から、弁護士は法律面からアプローチするようで、このすれ違いを互いに分って冷静に進めれば良い関係が成り立つかもしれません。

 感情面の「私があの兄弟(配偶者)を絶対に許さない理由はですネ」というようなことにキーが隠されている場合はあります。かといってこの部分を拡大したり煽ったりすることになると、情に訴える傾向の当事者が盛り上がってしまい、冷静な進行になりません。

 背景には、司法積極主義と司法消極主義、万能感と抑制感ということもあります。消極主義は、司法以外が相応しい部分には立ち入らないという考え方です。

 積極主義が行き過ぎると家父長的なものを感じます。一定の経験を積まれた方には分かっていただけると思うのですが。

 地裁の民事調停では感情的な部分はせいぜい1割以下、家裁で増えるとしてもせいぜい3割という気がするのですが……。

 当事者、男女の調停委員、裁判官、弁護士、家裁調査官も登場、それぞれの思惑が絡むとちょっとした小説の世界のようでもあり、地裁の訴訟と違った難しいところかもしれません。